第4話 曖昧な距離
それから二人の奇妙な交際が始まった。
普段は互いに干渉せず、月に一、二度だけ会う関係。素敵な店で食事をし、部屋でゲームを楽しみ、そして静かに身体を重ねる。
日常を共有せずとも満たされるような、それでいて何かが常に欠けているような不思議な関係だった。
ある夜、部屋でゲームを終えてぼんやり過ごしていると、浩輔はふと思いついたように口を開いた。
「そういえば、君って普段どんな感じなの? 仕事とか、休日とか」
まどかは驚いたように一瞬目を丸くしたが、すぐに柔らかな笑みに戻った。
「普通だよ、本当に普通」
「普通って、例えば?」
まどかは少し困ったように視線を泳がせ、曖昧に微笑んだ。
「仕事に行って、帰ってきて、アニメを見て、ご飯食べて寝るだけ」
「それって、休日も?」
「休日は……まあ、ほとんど家にいるかな」
まどかはいつもの柔らかな笑みを浮かべた。
「私の話なんて、つまらないよ。それに、あまり聞かれたくないこともあるし」
そう言って視線を逸らす彼女に、浩輔は少しだけ胸が締め付けられるのを感じた。
「僕に踏み込まれるの、嫌?」
浩輔の声には少し不安が滲む。まどかはそっと首を振って、優しく彼の手を握った。
「そうじゃない。ただ……今のままが一番心地いいのかも」
まどかの手の温もりを感じながら、浩輔は微かなため息を飲み込んだ。
浩輔にはまどかが霧の向こう側にいるように感じられた。半年経ってもまどかは自分の話をほとんどしない。浩輔は踏み込みたいが、それを許さないまどかの微かな拒絶をいつも感じていた。
ある日の深夜、二人はホテルから京都の夜景を眺めながら並んで座っていた。
「君ってさ、本当に謎が多いよね」
「え、そうかな?」
「うん。半年も経つのに、まだ君がよくわからないよ」
「じゃあ、私のこと、もっと知りたい?」
浩輔は軽く驚いてまどかを見るが、その目は少しいたずらっぽく輝いている。
「知りたいよ、もちろん」
「そう?」
まどかは夜空を見上げ、小さな声で続けた。
「でも、知ったらきっとつまらなくなっちゃうかも」
浩輔は思わず言葉に詰まり、それ以上踏み込むことができなかった。
この半年で分かったのは、彼女が「まどか」で、中小企業の事務職に勤めていること、アニメが好きで休日はほとんど家にいるということだけだった。まどかは浩輔の仕事の話を聞くときには目を輝かせて興味深そうにするけれど、プライベートなことはほとんど尋ねてこなかった。
ある夜、浩輔は半ば冗談のように口を開いた。
「僕のこと、あんまり興味ない?」
「そんなことないよ。ネットにいっぱい情報出てるし」
まどかが軽く笑いながら答える。
「ああ、あれか……」
『岩間浩輔』という名前で検索すると、確かにこれまでの経歴や業績が複数のサイトに漏れ出ている。
「ずいぶんとご高名ね」
「もう、やめてよ」
浩輔が苦笑いすると、まどかはくすくす笑いながら彼の頬を軽くつついた。
「本当はこんなかわいい人なのにね」
「だからやめてって」
二人は笑い合いながら、そのままベッドに身体を預け、互いを求め合った。
浩輔にとって、まどかはあまりにも魅力的だった。彼女のどんな表情も仕草も、すべてが愛しくてたまらない。
驚いた時に丸くなる目、不満そうに口を尖らせる仕草、怒ったふりをして見せる顔、そして何より笑った時に目尻に浮かぶ細かな皺と頬にできるえくぼ。耳に心地よく響く声、柔らかな肌、首筋から漂う淡い香り。
そのすべてが、切なく胸を締め付けた。
だからこそまどかを失うことが怖くて、浩輔はずっと踏み込めずにいた。深く知りたいのに知ることが許されない。その曖昧な距離が、いつしか甘い苦しみへと変わっていた。
そして浩輔にもまた、まどかには決して明かせない大きな問題が残っていたのだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます