十年前ー3 訪問者
夜の十時くらいになった頃だったか。起きている人たちはいたが集団生活ということでひとまず十時が消灯となり電気が消された。雨と違って雪は無音だ。時折木に溜まった雪が音を立てて落ちるくらいしか音がしない。なんとなく眠れなくてゴロゴロとしていると、ふいに何か聞こえた。
「……?」
耳を済ますと、声、だろうか、暗い中で眠れない奴がひそひそ話しているのだろうと気にしなかったが、だんだんはっきりと声が聞こえて来る。
「……て……け、て……」
何だ、と思ってばあちゃんを見たが完全に熟睡していた。起こすのも可哀想なので、ゆっくりと起き上がり耳を澄ます。確かに人の声だ。
け、 て、 けて
かん高い、子供の声だろうか。何かを言っているのだが、けて、しか聞こえない。もしかしたら、てけ、かもしれないが。
すると声が聞こえたらしい数人の子供がおき出した気配がした。聞こえた? うん、声だよねと会話が聞こえて来る。良かった、他にも聞こえた人がいた。声は消えそうで儚い。どこから聞こえてくるのかと黙って聞いていれば、外からだ。
そう思ったとき、背筋がぞくっとした。雪鬼の話を詳しく聞いてしまっていた俺は、真っ先に雪鬼が頭をよぎったのだ。
外から声が聞こえると気づいた数人が体育館入り口に集まるのがぼんやりと見える。俺も行った方がいいのだろうが……ここからは言い訳だが本当にあっという間だった。立ち上がったときにはもう、遅かった。
「開けてって言ってる」
「違うよ、助けて、だよ、ほら! 開けるよ!?」
「ちょっと、やめようよ。雪鬼の話……」
「はあ!? 馬鹿じゃないの!? 避難に間に合わないで今着いた人でしょ普通に考えて! 死なせるつもりなの!?」
「そんなんじゃ……」
「ああもういいよ、アンタは先生呼んできな! あたしが開けるから!」
待て、と声を上げるよりも先に。
「今開けるよ。寒かったでしょ」
そう言って扉を開くのが早かった。ドアの隙間から冷たい空気と雪が舞い込み、暗い中でもはっきりと見えた。光る、赤い二つの玉。何あれ? 一瞬そう思ったが、すぐに理解した。目だ。雪鬼の話をしてくれたじいさんたちの言葉が頭をよぎる。
――雪鬼は目が赤いんだ。闇夜でも光るから一目で鬼とわかるぞ。
ひくり、と喉が痙攣する。ああだめだ、返事をした。開けてしまった。鬼散らしの言葉……と思ったがそれも叶わなかった。かき消されてしまったからだ。
「いやああああ!?」
扉を開けた子が大声で悲鳴をあげたのだ。同時にどさり、と何か重いものが落ちる音がする。暗くて見えない。見えなくていいのかもしれない。
そこからはパニックだった。声に驚いて起きた人、入り込む大量の雪、暗くて何も見えないので大混乱となった。
なんだあれ、え、なに、なにがいるの いいから誰か明かり、ちょっとおさないでよ、寒いよ、扉しめて
「ダメだ、ドア閉めるな!」
俺は叫んでいた。でもこの混乱で聞こえるはずもなく、まず寒さをどうにかしようと誰かが扉を閉めてしまう。それを俺は愕然とした状態で見ていた。ダメなのに、扉を閉めたら……!
雪鬼がいるのに扉を開けてしまったら、閉じてはいけない。雪鬼が諦めてお帰りいただくまで、扉は開けっ放しにしなくては。閉じると、もう、二度と。目的を果たすまで、出て行かないのだから。
鬼散らしはこうなってしまうと通じない。体育館に南天など置いてあるはずもない。こうなると、もう隠れるしかない。雪鬼は出て行かないのに? 体育館のどこに隠れる場所があるというのか。
誰かが持っていた懐中電灯を扉に向けて照らした。ああ、最悪だ、それもやってはいけないのに。雪鬼の話をきちんと知らないからこういうことになるんだ。雪鬼は火や明かりを嫌う。雪一色の景色の中には明かりなど無いので光が嫌いなのだ。では嫌いな光があると逃げていくかと言うとそうではない。
怒る。怒り狂って……襲い掛かって来るのだ。
照らした懐中電灯は赤い目のモノは捉えられなかった。かわりに照らしたのは扉の前に転がっているもの。先ほどドサっと大きな音がして床に落ちたものの正体だ。人間だった。ただし、真っ白でおかしな方向に手足が固まっていて明らかに凍死しているのがわかる。
「ひいい!?」
死体を見た恐怖から誰かが悲鳴をあげ、先ほど以上に大混乱となる。まるで蜂の巣を突いた時のように皆が走り出した。わああと混乱して逃げ惑う声の中に、少しずつ増えていった。それこそホラー映画でしか聞かないような悲痛な悲鳴が。今ならわかる、断末魔の悲鳴だ。
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