第3話 丘陵研究会へようこそ 2
響花がにこやかに頷く。
「いい言葉ね。そう。あなたを待っていたの」
冬馬は気おされたような感じがして、戸惑った。
「いったい何なんですかあんたたちは。この丘陵研究会ってのは」
大げさな身振りでそう問いただすと、響花が人差し指を立ててみせた。
「オカルト好きが集まったサークルよ。郷土史好きの教授を顧問に抱き込むためのダミーサークル。丘陵研究会。通称、オカ研」
「オカ研って、要するにオカルト研究会ってことなのかよ」
「私たちの丘陵研究会は、表向きは、県南の丘陵地帯にある日備葦牙(ひびのあしかび)に関する史跡とかを研究している、ということになっているわ」
モリゲンがあとを継ぐ。
「そう。他の人が寄りつかないように地味なサークル名にしてるの。だけど、うちは可愛い子が多いからさっきみたいに不純なヤカラがすぐに入り込もうとするのよ。こまっちゃう」
「もしかして、その可愛い子ってのに、あんたも入ってる?」
「わたしは入ってますね」と女子高生の小熊。
「あたしもよ」と七緒が言うと、野々口が、「張り合わないでください二人とも」と奇妙な動きで両手を振った。
「うるせー、空気抜くぞてめー」
「野々口さん動きが気持ち悪いです」
「ちょっと、みんな静かにして」
響花が手を叩いた。
「結局なんなんだよ。なんで俺がそのオカ研に入らなくちゃならないんだ」
冬馬の言葉に七緒が大きな声を出した。
「あんたも見えるんでしょ!」
「は?」
「そのバッグ」
七緒は部室の隅の椅子に置いているバッグを指さしている。冬馬は思わず振り向いた。
「やっぱり」と七緒。
「天井を、見たね」と黒図が眼鏡を触った。
冬馬はバッグと言われて、天井を見た。それは、意識しない時なら無視できる。しかし、ほかの人間から指摘されると、どうしても見てしまうものだ。
響花が言った。
「あなたのその霊感を見込んでいるのよ」
バッグの上の天井には、浮遊霊が張り付いていた。陰鬱な顔が苦しげに揺らめいている。
子どもの頃からだ。冬馬はこの自分の霊感が好きではなかった。周りのみんなが見えないものを自分だけが見ている、ということに優越感などなかった。むしろ邪魔だ。周囲に静かに溶け込んで、何事もなく生きていたいだけなのに。
ここの部員たちもみんな、今自分と同じものを見ているのだろうか? そう思ってそれぞれの顔を見回した。
七緒が言う。「誰が拾ってきたんだっけ、そのバッグ」
「せ、拙者です」と野々口。
「拙者言うなキモイ。なんで拾ってくるかね、こんなもん」
「だって、部長が新入りを試すのにちょうどよさげなもの持って来いって、無茶振りを」
「ちょっといいかしら」
モリゲンがバッグの上に手を置いた。そして天井を見上げる
「このバッグの持ち主ね。借金まみれでヤクザに殺されたみたい」
バッグと会話でもしているかのようだった。
その言葉の直後、不思議な振動が周囲に満ちていく感覚が広がった。そしてそれはすぐに大きくなり、ガタガタと部室を揺らし始める。
「え? なにこれ。ポルターガイスト現象?」七緒が天井と壁とを交互に見てわめく。音が大きくなる。モリゲンもバッグから手を離し、大柄な身体を縮めて震えている。
「ちょっとこれ、思ったよりヤバイかも」
「顔が、大きくなっている」と、黒図が眼鏡を直しながら言った。
「キャー」
七緒か小熊か、どちらかの悲鳴。
壁際の棚から陶器の玩具が落ちて、大きな音を立てて割れた。不気味に揺らぎながら膨張しつつある、天井の巨大な顔を見ながら、響花が冷静に言った。
「危険な状態ね」
「わたしに任せてください」
小熊が短くそう言って、スカートのポケットからなにか小さなものを取り出した。
「なんだ。小石?」
冬馬が見つめると、小熊は「ふん」と、一瞬バカにしたような表情を浮かべた。
「下がって」
響花の言葉に小熊以外のみんなが後ずさりする。
「死ね悪霊」
次の瞬間、小熊はそう言って手にした小石のようなものを天井に投げた。それは子どものころに遊んだかんしゃく玉のように破裂して乾いた音を立てた。赤黒い粉塵が広がったかと思うと、浮遊霊の顔の真ん中に穴が開き、その穴に全体が吸い込まれるように歪みはじめた。
ああああああああああああ……
浮遊霊のおぞましい悲鳴が聞こえた。その顔が、歪みながら真横に伸びていく。
「だめ。逃げるわ」響花が指をさす。小熊が舌打ちをして、「しくじりました。もう一発」と言ってスカートのポケットに右手を突っ込む。
七緒が、「窓のほうに行った。黒図さん!」と叫んだ。
窓際では、黒図がまるでこうなることを予期していたかのように待ち構えていた。
「わかってるよ」
彼は落ち着いた口調でそう言うと、右の手のひらを上にして広げた。
次の瞬間、黒図の頭上で巨大な浮遊霊の顔は青白く燃え上がったように見えた。
きゃあああああああああああああ……。
「ひゃ」
七緒と野々口が同じポーズで耳をふさいだ。浮遊霊の断末魔の叫びだった。
「燃えた? 幽霊が?」
冬馬は驚いて目を擦った。青白い炎はまるで空間ごと燃やすように揺らめいて、チチチ、というかすかな音を立てた。
「ええ。燃え尽きたわね」
浮遊霊が青白い炎に巻かれて消滅したのを見届けて、響花が静かにそう告げた。
揺れていた部屋の不気味な振動は収まり、浮遊霊など初めからいなかったかのように、部室は元の姿を取り戻した。
「幽霊が、消滅した? あんたがやったのか」
冬馬の言葉に、黒図が頷いた。
「そうだよ」
「なんなんだ。なんなんだよあんたらは」
冬馬はあらためて全員の顔を見まわしてわめいた。響花が澄ました顔で答える。
「だから、オカ研よ。オカルト好きが集まってできたサークル。だけど、ちょっとした選別をしているの」
「アタシ、モリゲンはいわゆるサイコメトリーみたいな力が使えるわ。アタシ自身はこれ、好きじゃないんだけどね」
モリゲンはそう言うと、バッグをポンポンと叩いて見せた。次に冬馬の視線が向かったのは七緒だった。彼女は両手を頭の後ろで組んで、あっけらんと言った。
「あたしはそういうの特になーし。霊感はあるけど。でも剣道やってるからね。お姉ちゃんのボディガードよ。あんたみたいなスケベそうなやつから守るの」
スケベそう。はじめて言われた。え、俺って、スケベそうなのか? 戸惑う冬馬に、小熊がずいっと顔を近づけて喧嘩腰のような声色で言った。
「わたし小路小熊は犬神人(いぬじにん)。二条流(にじょうりゅう)の小路家(こうじけ)の人間。退魔師の家系。悪霊は、殺します」
ついで野々口がピョコンと手を挙げた。
「せ、拙者、野々口はですね。透視能力です」
それを聞いた途端に、七緒が眉間に皺を寄せた。
「あんたホントにマジのマジで、あたしの裸とかそれで覗いてたら殺すからね」
「いやいや、なんども言ってますけど、そんなに精密に見られないですよ。せいぜいさっきみたいにですね。ドアの向こうにですね、誰かいるな~、ってくらいしか」
「だったらアンタ、これ! 今日の小熊ちゃんのパンツの柄を言いなさいよ」
「だから見えませんって」
「ちょ、七緒さん、スカート掴まないで。自分のでやってください」
「だから、なんか履いてるな~、くらいしか見えませんって」
「はあっ? 聞いた? いま。おまえそれ結構見えてねえ?」
「こっち見ないでください野々口さん! 殺しますよ」
「冤罪だ! 冤罪が今生まれようとしていますっ」
そんな騒ぎに冬馬が戸惑っていると、黒図がおずおずと手を挙げた。
「あのー。僕もいいかな。忘れられそうだから」
「そうだ。さっきのあれはなんだ」
冬馬は今見たものを思い出していた。黒図が広げた手から青い炎が噴き出て、それが霊体を燃やしたように見えたのだ。
黒図は、その怯えにも似た視線を意味ありげに受け止めると、ゆっくりと口を開いた。
「僕、黒図暁は、燃焼能力、いわゆるパイロキネシスを持っている。燃素、フロギストンを持っているものしか燃やせないけどね。僕はそのフロギストンの放出を手助けするだけだ。そして霊体は、それを持っている」
黒図はそう言って、右手を広げて見せた。冬馬は、一歩後ずさった。
「その手を、向けないでくれ。向けないで、ください」
「どうしたんだい」
「とにかく、やめてくれ」
冬馬が怒鳴ると、黒図は響花を見て肩をすくめた。
「ははは。嫌われたかな」
「いじめちゃだめよ」
冬馬は「あーもう!」と言って頭を掻いた。
「とにかく、こんな人たちを集めて、なにをしたいんだあんたは。目的は?」
視線を向けられた響花は一瞬きょとんとした顔をしてから、首を傾げるようにして言った。
「この街の人間は全員感染している」
突然の言葉に、冬馬は絶句した。彼女の淡々とした口調に、なぜか寒気がした。
「感染?」
「そう。千年前から、この街は不可思議な力に浸食されているの。奇妙なことがたくさん起こってきた。それが数年前からタガが外れたようになってしまった。困った状況ね。こんな超能力を見せられても、あなたは必要以上には驚かない。感染しているからよ。霊感を持つ人が増えているのもそのせい」
「なにに感染しているっていうんだ」
「それを調べるのも、私たちの目的の一つね」
「感染源を特定して、やっつけるってのか。そのために仲間を集めたと?」
「ちょっと違うわ」
「違う?」
響花は冬馬の胸を指さした。
「それは、あなたがするの。小川冬馬。私は準備をしただけ」
冬馬は戸惑った。この部長は俺のなにを知っているのだろうか。なぜこの俺を?
「さっきの浮遊霊だけど」
黒図が、冬馬の困惑を助けるように言った。
「今日はずっと僕らに囲まれていたけど、大人しかった。急に暴れだしたのは、君に、怯えたんだよ」
「そんなわけない。そうだ、サイコメトリーだ。バッグを触ったからだろ」
しかし、響花は首を振った。
「いいえ。あなたは特別な力を持っている。外を歩いているだけで、うねりのようなものを感じる。大きな力のうねりを。その中心にいるのがあなたよ。私はあなたのために去年、このサークルを作ったの」
「わけわかんねえ」
どっと疲れが出て、額を押さえた冬馬に、モリゲンが近寄って来て、筋肉質な腕でバンバンと肩を叩いた。
「これから頑張ってね、丘陵研究会のエース。アタシたちは、あなたを待っていたの」
こうして、童貞を捨てたいと決意して始まった小川冬馬の、名状しがたい大学生活が得体の知れない袋小路に迷い込んだのだった。
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