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毛虫グレート
プロローグ
金色の光が、上空から降り注いでいた。
昼とも、夜ともつかない空は闇に覆われ、得体の知れない甲高い音が世界を包むように鳴り響いている。
アポカリプティック・サウンドと呼ばれるその音にも、降り続く光にも興味を示さず、4人の男女が路地裏の一角で身を潜めていた。
雑居ビルの壁に背中をもたれさせていた巨躯の男が、目を開いた。筋肉の鎧で覆われた肉体は傷だらけで、破れて引き裂かれた上着が腰の周りに垂れ下がっている。
「待ちなさいモリゲン」
身を起こした男に、黒髪にリボンをつけた女性が鋭く声をかけた。長身で、黒いゴシックロリータの服を着ている。その姿がよく似合っていた。
「もう私たちにできることはない」
「でも響花(きょうか)ちゃん。アタシたちだけ、こうしているなんて」
巨躯の男は、薄れた口紅の端から血をにじませ、悲痛な表情を浮かべた。
「私も、行きます。行かせてください」
ゴシックロリータ姿の女性に向かって、高校生ほどの年齢の少女が訴えかけた。彼女はまるで忍びのような黒装束に身を包み、長い後ろ髪を無造作に紐で束ねていた。その右手には厚手の手袋をはめている。弓道で使う、ゆがけと呼ばれる革製の道具だった。しかし、弓も矢も身に付けていない、徒手だ。それでも彼女は、胸に左手を当てて言った。
「わたしの身体を流れる血が残っている限り、まだ戦えます」
そう訴える少女の前に、銀色に染めた髪の女性が立ちふさがった。
「気持ちはわかるけど、小熊(こぐま)ちゃん。あたしたちが生き延びられたのが不思議なくらいなのよ」
太もももあらわな短パン姿のその女性は、腰に刀を佩いていた。戦国時代以降に主流となった、腰帯に差す打刀ではなく、腰に紐で吊るした太刀であった。彼女はその太刀を身に付けるための専用のベルトを腰回りに装着していた。そして、その両眼は全体が朱に染まり、奇妙な明滅を繰り返していた。
「でも七緒(ななお)さん」
なおも言いつのろうとする少女に、太刀の女性が首を振ったあと、空を見上げた。
「お姉ちゃんのファンネルだって、いつまでもつかわからない。ここの結界が破れたら、あたしとあなたで切り抜けないといけない」
4人のいる場所の上空には、2つの物体が高速で旋回していた。それらが描く円の中心の真下には、ゴシックロリータ姿の女性が無表情で立っている。
「くそぉ」
ゴンッ、という鈍い音がした。巨躯の男がビルの壁を殴ったのだ。
「自分に、こんなに無力感を感じたことはないわ」
血のにじんだ拳を見つめながら、彼は涙を浮かべていた。
その時、空間が歪んだような感覚が路地に走った。
「えっ」
全員の視線がその方向に集中した。
ゆがけの少女は無手のまま、弓矢をつがえるような構えを取った。そして太刀の女性は柄に手をかけた。その太刀の鞘の口からは、青白い炎のようなものが漏れ出ていた。
4人の前に、青い服を着た男が忽然と現れた。長袍(チャンパオ)と呼ばれる中国服姿だ。
見通しのいい場所なのに、誰もその男が近づいていたことに気づいていなかった。まるで、たったいまこの場所に湧いて出てきたかのようだった。
「星宇(シンユー)さん!」
みんなが彼を認め、目を見開いて叫んだ。
中国服の男のすぐあとに続いて、小太りの男が現れる。
「未来(みらい)ちゃん!」
巨躯の男が駆け寄った。
小太りの男の頭部には、黄色いお札のようなものが貼られており、中国服の男がそれをおもむろに取り去った。その瞬間、膝から崩れ落ちるようにして小太りの男が座り込んだ。その身体を、巨躯の男が受け止める。
「どうやってここまで」
太刀の女性に訊ねられた中国服の男は、上下一体となった服の膝の部分をパンパンと手で払った。
「姿隠しの呪的歩法。道士の用いる秘術です。歩法の使えない彼には、一時的に仮死状態となってもらいました」
荒い息を吐く小太りの男に目をやり、懐から出した小瓶を渡した。
「飲みなさい。薬です。苦いが、息が楽になります」
巨躯の男がそれを小太りの男に飲ませながら、「キョンシーみたいに、連れて歩いたってこと?」と訊ねる。
「おお。そうです。僵尸(ジャンシー)です」
中国服の男は微笑むと、ゴシックロリータ姿の女性に向きなおった。
「未来視の少年は、たしかに届けました」
「ありがとうございます。ご助力、感謝します」
女性は、丁寧に頭を下げた。
ふいに中国服の男がせき込んだ。とっさに口を覆った手には、赤い物が付いていた。
「これで借りは、返しました。私は……」
中国服の男は、悲壮な表情を浮かべ、うめくように言った。
「行かなくては」
そうして、「梅(メイ)……」と呟き、まるで地面を滑るように歩き始めたかと思うと、その姿が空気に溶けるように見えなくなった。
「ぷはっ」
小太りの男が小瓶の薬を飲み干して、唇を歪めた。彼は眼鏡というには大仰な、暗視ゴーグルようなものを装着していて、人相がよくわからなかった。
「野々口くん」
ゴシックロリータ姿の女性が彼の前に立ち、落ち着いて訊ねた。
「今どうなっているか、視えるかしら」
小太りの男は頷くと、震えながら遠方を指さした。ビルの立ち並ぶあたりだ。
中国服の男は未来視と呼んだが、わざわざ訂正はしなかった。彼の周りの人間も、彼自身も、長らくその能力を誤解していた。ゴシックロリータ姿の女性には、そのことがとても悔やまれた。
「で、でも、あんなもの、もう、人間が、どうにかできるものじゃない」
怯えながら、小太りの男が言葉を絞り出した。
「なにか見えます。柱のようなものが」
視力の良い、ゆがけの少女が言った。たった今指さされた方角だ。
そちらのほうから、爆発音がした。大気が揺れる感覚が頬を押す。
「黒い、火柱」
太刀の女性が目を細めながら、絶句した。
「すぐそばに、なにか白い柱も」
ゆがけの少女がそう言って、すぐそばの電柱をするすると登ってから、大きな声で続けた。
「あの白いものは、たくさんの人の、手のように見えます」
それを聞いて、ゴシックロリータ姿の女性が深い息を吐いた。目を閉じ、呼吸を止めてからゆっくりと目を開け、きっぱりと言った。
「もうあの2人に任せるしかない」
それを聞いて、巨躯の男が拳を硬く握って泣き出しそうな顔をした。
「冬馬ちゃん」
「冬馬君」
「冬馬」
「冬馬さん」
4人が、思い思いに、その名に祈りを込めてつぶやいた。
最後にゴシックロリータ姿の女性が黒目がちの瞳に強い光を灯して、言った。
「冬馬くん。必ず、戻って来なさい」
そして、胸に手を当て、服の上からなにかを握りしめた。
「みんな……、あなたを待っている」
空から金色の光が舞い降りては、彼女たちの頬をかすめ、現実世界の何ものとも干渉せず、地面に吸い込まれて消えて行く。
そして、そんなこの世の終わりの光景に、誰かがもう一度、同じ名を呼んだ。
完
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