第12話 『ほろ苦い真実』
静かな路地裏に佇む日本酒バー「宵のしずく」。
夜風に混ざるかすかな酒の香りが、店の外まで漂っている。
扉を押し開けたのは、少し疲れた表情をした若い男だった。
「いらっしゃい」
律が声をかけると、男はカウンターに腰を下ろし、俯き加減に答えた。
「……純米酒をください」
律は冷蔵庫から一本の瓶を取り出し、手慣れた動きでグラスに注ぐ。
立ち上がる香りはどこか穏やかで、米の旨みを含んだ自然な香気が漂う。
男は一口含むと、喉を通る心地よい苦味に眉をしかめながら、ゆっくりと息を吐いた。
「純米酒って、思ったよりずっと重たいんですね」
律は微笑みながら答えた。
「米本来の味わいを生かした酒ですからね。純粋な分だけ、雑味も含めて味わいになります」
男はふっと笑って首を振った。
「まるで、俺の人生みたいだ……」
律はグラスを拭きながら、少しだけ視線を向けた。
「何か、抱えていることが?」
男はしばらく黙っていたが、意を決したように口を開いた。
「ずっと親友だと思ってた奴がいて……信じてたんです。でも、あいつ、裏で俺のことを馬鹿にしてたんです」
言葉が詰まった男の瞳には、悔しさと悲しさが交錯している。
「一緒に夢を追いかけてた仲間だったのに……ずっと陰で笑われてたなんて、信じられない」
律は黙って聞き続け、やがて静かに言葉を紡いだ。
「純米酒も、雑味が含まれているからこそ、深みがあるんです。
人との関係も、純粋であろうとすればするほど、時には苦さが浮き彫りになることがあります」
男はグラスを揺らしながら、小さな声でつぶやいた。
「……どうして裏切ったんだろう。俺が何か間違ってたのか……」
律は穏やかな口調で続けた。
「純米酒には、その土地の風土や米の個性が表れます。
もしかしたら、彼にも彼なりの事情があったのかもしれませんね」
「事情か……」
男はまた一口含み、ゆっくりと苦味を味わう。
その表情には、少しだけ冷静さが戻ってきたようだった。
「本当に信じていたからこそ、裏切られたと感じるのも当然です。
でも、真実を知った今こそ、自分がどう向き合うかが問われているのかもしれません」
男は俯き加減で考え込んだが、やがて微笑を浮かべた。
「……そうですね。あいつが何を思ってたとしても、俺が信じてた気持ちは嘘じゃない。
純米酒みたいに、そのままの俺で、ちゃんと向き合ってみます」
律は軽くうなずき、もう一杯を注ぎ足した。
「その気持ちがあれば、きっと次に繋がりますよ」
男はその言葉に少しだけ力をもらったように、グラスを口に運んだ。
純米酒のほろ苦さが、今は少し心地よく感じられた。
やがて男は席を立ち、軽く頭を下げて店を出ていった。
律は片付けをしながら、ふと微笑む。
純粋さゆえの苦味も、やがて深みを持つ味わいになる。
そう信じるように、夜はしっとりと更けていった。
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