第9話 蛙と蛇
「だから、今中を覗いてみたんだけど」
エリンは私による再度の質問にも、あっけらかんとした様子で言葉を返してくる。要するに、言葉通りの意味。素直に木枠から様子を窺ったわけだ。
私が目を離している隙に? 大胆すぎる。
「バレるかもしれないじゃない……」
「でも見ない限りは始まらな……まぁいいや。まず見て」
大丈夫なの? という意味を存分に込めてエリンを見つめれば首肯を返してきた。
「……わかったわ」
小さいため息とともに立ち上がり、木枠の角からゆっくりと中を覗けば……
「フロッ――」
口を突いて出た声。咄嗟にバレてはまずいと思った私はガバッと右手で自らの口を塞ぐと、すぐに腰を落とした。
肩を叩いてアピールするエリンに頷けば、エリンは「見たね」と小さくつぶやく。
……中で話していたのは二人。片方はセレジーの出店で蛇肉を焼いていたおじさん……おそらくルーローという牧場主。そしてもう片方は、巨大なフロッガーだ。
エリンと私が今、壁一枚を隔てた先に見ているフロッガーは異常としか言いようがなかった。
人の言葉を喋るフロッガーなど見たことも聞いたこともない。普通の蛙と同じように鳴き、コミュニケーションをとる魔物がフロッガーであるはずだ。
しかも、人と比べて言語能力の差が見られない。目を閉じて会話だけを聞いていたならば、片方が魔物だと気付けなかっただろう。
それに気になるのは言語だけではない。サイズもだ。
通常のフロッガーは人間の子供くらいの大きさにしかならない。しかし、目の前のフロッガーはおそらく、私よりも大きい。そこらの男性よりも頭一つ背の高い私よりもだ。
「で、やるのか。やらないのか。どっちだ?」
フロッガーの枯れた声が重く響く。
「……」
「はっきり言えやぁ人間がぁ!」
悲痛な面持ちで口を閉じている牧場主に焦れたのか、フロッガーは威圧するように声を荒げると牧場主に顔を近づけた。
「……きない」
声を震わせて口を開く牧場主。かすれた声は私の元までは届かない。
「あぁ?」
「できな――」
「なんだって?」
……!?
冷えた声だ。脅しをかけるように冷たく、低い声。
変異体と思われる目の前のフロッガーより強い魔物と戦った経験のある私でさえ今の圧には驚いた。
正面で相対している牧場主に至っては既に足をガクガクと震わせている。
魔物そのものの強さとは関係ない。人の持つ
「リゼ、あいつの注意を逸らして」
引き続き中の様子を窺っていたエリンが言う。
「は、急に何を言っ――」
「よろしく」
突拍子もないエリンの言葉。加えて、エリンは私が疑問を投げかけるより先に素早く扉の前に移動する。そのまま扉に手を――
まさか、突入する気!?
突然、どうして?
何かを中に見た?
私の中で様々な疑問と驚きが同時に立ち上がり、思考に負担がかかる。しかし、状況は私に余裕を持たせてはくれなかった。
新しいフロッガーの気配!
まだ姿は見えないが、立ち並ぶ小屋の影から数体出てくる!
「
地面に手をついて手のひらから魔力を漏出。地面を食い破るように出現した茨が【ソーン】よりもはるかに速いスピードで空気を切り進む。
「――グゲッ!?」
「――ゲロォ!?」
タイミング良し。二匹のフロッガーが姿を現した瞬間、茨が二匹を串刺しにする。続けて右手を茨とリンクさせるように意識して動かして茨を操作。
フロッガーを家屋の屋根に向かって放り投げた。これであの変異体フロッガーに叩きつける!
気を逸らす? なら本体に攻撃しちゃえばいい。
蛙は嫌いなのよ、私。
リゼによって発動された魔法の餌食になった二匹のフロッガーが綺麗な弧を描いて空中を飛ぶ。
突き刺さった茨が抜け、遠心力に任せて空を舞ったフロッガー。しかし、彼らは翼を持たない。いつまでも空にはいられない。
重力に縛られ行き着く先は下。自由落下によって上がったスピードそのまま――
バギバギバギィッ!!
小屋の屋根は二匹を受け止めることが出来ずに損壊。大きな風穴を開ける。
「うおゎっ!?」
「なっ――チィッ、またあいつらか!?」
突然の事態に動揺する者が二人。牧場主は素っ頓狂な声をあげてしゃがみ込み、巨大なフロッガーはイラつきを隠さないが敵について可能性を巡らせた。
状況に翻弄されるがままの牧場主と比べて、巨大なフロッガーは幾分か落ち着いている。
しかし、落ち着きによって生まれた余裕からなる警戒心を潜り抜け、敵の懐に潜り込む者がいた。
「
水の都セレジーの放浪令嬢、エリンワース・エレストその人である。
二匹のフロッガーを空に放り投げ、落下の開始までを見届けた私は、エリンの後を追うために扉の前まで走った。
そこで見たのは既に扉を開けており、中に入らんとしているエリンに後ろ姿。
バギバギバギィッ!!
「突然なんなの!」と声をかけたい気持ちを我慢してもう一歩踏み出したと同時、フロッガーが屋根に着弾した。盛大な騒音を響かせて屋根が壊れる。
「うおゎっ!?」
「なっ――チィッ、またあいつらか!?」
中から驚く声と驚きに怒りを滲ませた声が聞こえてくる。気を逸らすことが出来たのは間違いない。
突発的なエリンの行動は日常茶飯事だが、今回ばかりはどういう……
魔法!
小屋の中で魔力の揺らぎを感知。この感じはまず間違いなくエリンが魔法を発動したということ。
一体全体、何があったっていうのよ!
数秒遅れて小屋に突入。蛙弾で既に隠密もへったくれもないので気兼ねなく口を開く。
「エリン! 流石に今回ばかりはしっかりとした説明、を……」
「リゼ、ありがとう。おかげで隙をつけたよ」
先ほど単身で乗り込んだエリン。しかし、現在は自身を囲って守るように【
今にも泣きだしそうな顔で震えており、エリンの背にしがみついているおさげの少女。
こんな子、居たかしら?
「さっきね」
私の疑問を見透かしているかのようなタイミングでエリンが反応する。
「このデカブツが気色悪い顔でおじさんから視線を外した時に気が付いたの。片隅でこの子がうずくまってるって」
「……なんだぁ。蛇じゃねぇのか」
グシャ
枯れた声とともに何かがつぶれる音。
「せっかく俺のために作らせた城が壊れちまった」
「城、というよりは犬小屋じゃない?」
エリンは動揺することなくいつも通りの調子で言う。
「……てめえら、なにもんだ?」
アルバートのように激昂するわけでもなく、デカブツは私たちを睥睨して静かに口を開いた。
足元には潰れたフロッガーが二匹、見るも無残な姿になっている。
「私たちは――」
「魔物に名乗る名なんてものはないわ」
エリンの言葉をさえぎって言い放つ。デカブツは私の態度が気に食わなかったのか、わずかに眉をひそめた。
実際のところ、フロッガーには人間と同じような眉は存在しない。しかし、動作として眉をひそめるような顔の筋肉の変化があったということ。
つくづく人間っぽい魔物だ。隠さず言えば気持ちが悪い。
「言うじゃねえか、女。生意気で教育し甲斐がありそうではあるが……」
蛙らしく長い舌を使っての舌なめずり。私の身体に不躾な視線が向けられているのを感じる。
「教育?」
「あぁ、教育だ。楽しい楽しい時間だぞ」
枯れた声に少しぬらっとした感触が加わる。
本当に人間臭いわね、こいつ。まるで悪趣味のオジサン貴族みたいな雰囲気だ。
「魔物に教わることなんて何もないわ。あんたらは素材。そう、素材よ。蛙は嫌いだけど、お肉になってくれれば好きね」
「……」
何よ、エリン。その「信じられない……」みたいな目は。あんた屋台で蛇肉食ったでしょう。蛙と蛇で何が違うのよ。
「……本当に生意気だな。貴様ら人間はいつも驕り高ぶっていて、虫唾が走るぞ」
一段と冷えたデカブツの声。しかし、私は気にせず言葉を投げかける。
「驕り? 違うわ。魔物に対して驕りや尊敬なんて感情、そもそも持つ必要がないじゃない」
「リゼ! なんでわざわざ刺激するようなこ――」
「静かにして。今は私に従ってなさいな」
耐え切れなくなったのか再び口を開いたエリンの言葉を遮る。続けて、不服そうなエリンに一瞥。
そこでエリンがようやく頷いてくれた。
「おいおい、仲間割れか? いくら顔が良くてもその性格じゃあ、男はできないな」
デカブツの視線は顔ではなく私の身体に向いたまま。本能を隠そうとしないのは魔物らしい。
「余計なお世話よ」
心底見下す気持ちを込めてデカブツを見てやれば、ふと「思いついたぞ」とデカブツが声をあげる。
「女、俺が貰ってやろうか。そんじょそこらの男どもより、俺の方が――」
ヒュンッ
私の【
「馬鹿言わないで。あんたと私とじゃ釣り合いが取れないわ」
眉をひそめ、口の端を非常識なほどに吊り上げて笑う。
ブシャッ
「……女ァ」
フロッガーを再度踏みつぶしたデカブツがそれだけ呟く。
よし、キレた。
「エリン、警戒して」
「わかった」
私を囲むように茨を展開。牧場主を茨の包囲に招き入れる。
「決めたぞ、俺は決めた。女、お前を殺す。周りの奴らも、容赦しない」
デカブツから魔力が漏れ出るのを感じ取り、私とエリンで顔を見合わせる。フロッガーは通常、魔法を使えないはず。
つまり、私たちが経験したことのない魔法が発動、予期しない事態に遭遇する可能性があるのだ。
しかし、エリンに慌てる様子はなかった。私もそうだ。
それが何故かというと、私たちは漏れ出る魔力の量から発動される魔法の規模を測ることができるからだ。
「っ……」
漏れ出た魔力が収縮、漠然と空気に拡散していたモノが形を成し始める。
「――ッ!!」
デカブツが大口を開けて叫ぶように背をのけぞらせた。
今、変異体フロッガーの魔法が発動する。
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