第3話:ラテアートと合理的思考
「それじゃ、ゆっくりしていってくださいね!」
陽向は満足そうな笑顔を浮かべながら、カウンターへ戻っていった。
ようやく静かになった。
結菜は軽く息をつき、本を開く。
——が、その平穏は長くは続かなかった。
「お待たせしました!追加でサービスです!」
そう言って再び目の前に置かれたのは、小さなチョコレートトリュフ。
「……?」
「お姉さん、ビターなコーヒー頼んでたんで、絶対チョコが合うと思って!」
(誰が頼んだ?)
「僕からのサービスです!ほら、コーヒーって甘いものと一緒に楽しむと、より深みが出るんですよ!」
(私はブラックを頼んだ時点で、甘さを求めていないのですが)
結菜は冷静にそう思いつつも、目の前に置かれたトリュフを見つめた。
(……さっきのフィナンシェだけでも余計だったのに、また甘いもの?)
「……いえ、結構です」
「まあまあ、そんなこと言わずに!」
陽向は懲りずにニコニコしながら小皿を指差す。
「これは特別なカカオを使ってて、後味がすごくいいんです! ほんのり苦味があって、アメリカーノとの相性は抜群!」
(だったら、注文時に聞くべきでは?)
結菜は心の中で冷静にツッコミながら、チョコを摘み、一口かじった。
——たしかに、口どけがよくてビターな風味が広がる。コーヒーと合わせると悪くはない。
「どうです?」
陽向が嬉しそうに覗き込んでくる。
「……普通ですね」
「おおー!ツンデレタイプですね!? これはかなりの高評価と見ました!」
(誰も評価していませんが)
結菜は無言で本に視線を戻し、会話を終わらせようとした。
——が、やはり、それも長くは続かなかった。
「お待たせしました! 特製カフェラテです!」
「……?」
今度はカフェラテのカップが目の前に置かれる。
「私はアメリカーノを頼みましたが?」
「うん、知ってます! でもですね、見てください、これ!」
陽向はカップを指さす。
結菜は渋々目を向けた。
そこには、猫のラテアートが描かれていた。
「お姉さん、猫好きでしょ?」
(なぜ、それを知っている?)
「いや、なんかそんな感じしたんで! だから猫のラテアート描いてみました!」
(まったく根拠のない決めつけですね)
「すごいでしょ? ふわふわの泡で描くこの繊細なライン!」
(だから私は注文していません)
「いやー、でもやっぱりカフェラテっていいですよね。
こうやって絵を描く楽しさもあるし、お客様にサプライズを届けられるし!」
(誰もサプライズを求めていませんが)
結菜はゆっくりとカフェラテのカップを押し戻す。
「気持ちはありがたいですが、私はアメリカーノを頼みました」
「まあまあ、そう言わずに!
これは僕の『お姉さんへのおもてなしセット』なんで!」
(おもてなしとは、客が求めるものを提供することでは?)
しかし、ここまで来ると、いちいち反論するのも疲れてくる。
「……結局、私が飲まないといけないんですね」
「そうそう! ぜひぜひ!」
結菜は静かにカップを手に取り、一口飲んだ。
——少しミルクが多いが、まぁ飲めなくはない。
「どうです? お姉さんのために心を込めて描いたんですよ!」
「……心を込めたのは認めますが、私はやはりブラックのほうが好みです」
「まあ、今日は特別ということで!」
(……何が特別?)
結菜は再びカップを置き、もうこれ以上余計なものが増えないことを願いながら、本に視線を落とした。
——が、願いはあっさりと打ち砕かれる。
「お待たせしました! 本日のおすすめデザート!」
「………………」
今度は、ほんのり温かいアップルパイが運ばれてきた。
結菜はついに目を閉じ、小さく息をついた。
「……これは?」
「お姉さん、甘いものが足りてないかなって思いまして!」
(どこをどう見たら、足りていないと思うのか)
「さっきから、私は何も追加注文していませんが」
「いやいや、これは僕の『お姉さんに笑顔を取り戻してもらおうキャンペーン』の一環なので!」
(勝手にキャンペーンを始めないでください)
結菜は完全に呆れ、軽くこめかみを押さえた。
「……つまり、ここで断ったとしても、あなたはまた何か持ってくるわけですね?」
「えっ、バレてました?」
陽向は満面の笑みを浮かべる。
(当然です)
「お姉さんがもっと元気になってくれるまで、僕は全力でおもてなししますから!」
「……あなたはいつもそんなふうに、客に押し付けがましく絡むんですか?」
「えっ、絡んでるつもりはないですよ?
ただ、お姉さんが明らかに『なんか疲れた顔』してたんで!」
(だからと言って、コーヒー一杯の客にここまでサービスするのは、どう考えても不合理でしょう)
「お姉さん、もっと気楽に生きましょうよ!」
(気楽に生きていたら、弁護士なんてできませんが)
結菜は何も言わず、アップルパイをひと口かじった。
——たしかに、ほんのり甘酸っぱくて美味しい。
「ねっ? ちょっと元気出ました?」
陽向が覗き込む。
「……甘すぎます」
「じゃあ、紅茶持ってきますね!」
「いえ、もう結構です」
「本当に? 遠慮は禁物ですよ!」
「……いいえ、もう十分です」
結菜は淡々とカップを置き、静かに思う。
(……この男、私とは正反対すぎる)
論理的な思考とはかけ離れた直感的な行動。
合理性を度外視した、感情優先の言動。
そして、根拠のない「お姉さんを笑顔にする!」という使命感。
(なんて非合理的な人間)
だが——それなのに。
(不思議と、悪い気はしない)
結菜は、甘さの余韻が残る口の中で、そんなことを思ってしまった自分に驚いた。
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