第39話
文化祭は無事終わり、クラスの片づけを手伝う中、世良さんと一緒に、ごみステーションへと向かう。
「世良さん、同じ1組なのに、こうして2人で話すのって初めてだよね」
「麗香」
「?」
「麗香って呼んでほしい。その代わり、私は仁義って呼ぶから。私、下の名前の方が呼ばれなれてる」
「お、おう」
海外経験あるとそうなるのか。
「麗香は指揮もできるんだね」
「私、ピアニストだから」
「ピアニストだと、指揮もできるの?」
「ラフマニノフは作曲家としてだけでなく、ピアニストとしても、指揮者としても超一流だったよ。だから、できるでしょ」
「いや、その理屈はおかしい」
逆に、何でできないの? って顔するのさ。
「みんながみんな、ラフマニノフになれるわけじゃないでしょ」
「なりたいものがあるから、人は努力するんだよ。だから、上達する。そして、さらなる高みを目指す。向上心があるからこそ、人は成長できるし、成長できたらいっそうの向上心を持つ。仁義だって、トランペット、一生懸命練習したんでしょ? 血のにじむような努力の上に、その華やかな音がある。音を聴けば分かるよ。私は仁義の努力、認めてる」
これは、継続的な努力の上で成功を掴んだ経験のある人間ゆえの言葉だ。おそらく、麗香は幼少の頃からピアノに向き合ってきたんだろう。でないと、全国で入賞なんて、そうそうできるもんじゃない。
「仁義にとって、音楽をやってて楽しいって思うのはどんな時?」
「そりゃ、人前で上手く演奏できて拍手もらえた時でしょ」
「確かにそれもあるね」
麗香は、口に手を添えて、ふふっと上品に笑う。その茶色がかった髪がゆったりと風に撫でられる様は、まるで外国人のようだ。
「私はね、できなかったことができるようになったその時に、無償の喜びを感じる」
「それ、分かる」
「でしょ!?」
普段はちょっと大人びている雰囲気だけど、無邪気な笑顔を向けてくれた。
「私さ、自分が他の人と音楽を演奏できる機会が来るなんて、思ってもみなかったよ。それが出来たから、今日はやっぱり楽しかったな」
「指揮、上手かったよ」
「ありがと」
ようやく目的地にたどり着いた。ゴミ袋を所定の位置に置く。身軽になった麗香は、天に向ってうんと手を伸ばした。
「これが青春ってやつか~。ひとりでピアノだけ弾いてたら、味わえなかったかも」
今日の演奏に、満足してくれているらしい。音楽に対しておそらく最もストイックに向き合ってきた麗香。少人数アンサンブル、正直どうかなと心配していた。
「麗香のピアノ、今度聴かせてよ」
「え、いいの? 悪いけど、誇張なしでめちゃめちゃ上手いよ?」
「それ、自分で言うのか」
「私、ハードルは高めに設定するタイプだから。仁義は違う?」
こちらの目を覗き込み、首をかしげる。あどけなさとあざとさが入り混じった笑み。自身が最もかわいく映る角度をよく心得ていらっしゃるようだ。
「俺は、下手だと思わせておいて、あとで度肝を抜く方が好きかな」
「何それ、性格悪い」
麗香はお腹を抱えて笑い始める。
「まあでも、今日の演奏開始前は、正直言えば、お客さんたち、見くびってたよね。たった9人で何が演奏できるんだよって。弦の演奏に満足して帰っちゃう人もいたし」
「度肝、抜いただろ?」
「確かに。でも、個々のレベルは普通に高いもん。それに加えて、途中から桜たちが入ってくれたから」
桜たちの参戦は、演奏のクオリティ的には決して褒められたものではなかった。しかし、パフォーマンスとして、演奏を楽しみ、観客を楽しませるという点では申し分なかった。麗香もそう評価しているようだ。
「できれば、この部で、ピアノ協奏曲、やってみたいね。麗香がピアノ弾いて、俺らがオケで」
「え~まじ!? ピアノでみんなと演奏できるって、最高だね!」
断られるかと思ったから、意外な反応だった。
「しかも、王が直々に伴奏してくれるとか! なら何? 私は神!?」
「神は死んだ」
「死んでない!」
間髪入れずのつっこみ。この女、できる。
「私、ピアノ協奏曲だったら、ショパンの1番がいいかも。それか、チャイコフスキーの1番」
「ラフマニノフは?」
「あ、そうだ。やっぱ、ラフマニノフの2番だね。私、あの曲が一番好き。全楽章好き。作曲の経緯も含めて好き」
「協奏曲って全部で3楽章だっけ」
「基本はね」
「手の大きさ、足りる?」
ラフマニノフの2番は、手が大きくないと、冒頭、鐘の音を彷彿とさせる和音を、同時に出せないと言われていることで有名だ。それ以外も、奏者に対して非常に高いレベルを要求する難曲中の難曲らしい。
「それはもう、ラフマニノフ自身が弾いたように、分散で弾くよ」
麗香は、右手を俺に見せつけるように広げる。この手の大きさでは無理だ、と仕草で訴えているのだ。
「ラフマニノフの演奏、残ってるの?」
「残ってる。これが本当の自作自演だよ」
自作自演。普段はネガティヴな意味合いで使われることが圧倒的に多い言葉なのに、ラフマニノフに関しては、全く違う。
「百年くらい前の音源だから音質は良くないけど、私、あの曲を初めて聴いたのは、ラフマニノフ本人の演奏だったから。今度貸すよ」
「まじか。ありがとう」
ラフマニノフは20世紀前半のロシアを代表するロマン派の大作曲家。ロシア革命を機に国外へ亡命して、後にアメリカで活躍したから、その録音が残っていてもおかしな話ではないのか。
「あの曲は、トランペットもかっこいいよな」
「ほらまた、隙あらばそうやって目立とうとする。ピアノ協奏曲なんだから、主役は私だよ?」
「せいぜい、神のお膳立てをさせてもらうよ」
教室に向って談笑しながら歩く。割と近寄りがたい感じだと思ってたけど、結構気さくで話しやすいな、なんて暢気に思っていたら、遠くからこちらに向って走ってくる姿が視界に入った。
「河野君……!」
2組の相原さんだった。俺たちの元まで駆け寄ると、肩を上下に動かして、身体全身を使って呼吸しながら、声を絞り出した。
「……大変なことになった!」
「?」
状況が理解できず、麗香と顔を見合わせる。
「弦の子たち、やばい……!」
賢くて、普段は冷静な相原さんの口から出たのは、あまりにも中身がなくて、そして、強烈な響きを持つ言葉だった。
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