第三十一話 『猫と主人』

ニグラスとセクメットは場所を移動していた。

広い決闘場。

観客は誰一人いない。

尤も、2人がこれから決闘を行う事など誰一人として知らない。

だが、それでいいのだ。

この闘いに観客は必要ない。


セクメットは、拳と拳を突き合わせ気合を入れる。

そして…


「んじゃ、始めっか」


それが決闘開始の合図だった。


「一撃でぶっ殺す!!」


ドッと勢いよく地面を踏み込み加速する。

鍛え抜かれた強靭な脚力による推進力は音すらも置き去りにする。

一気にニグラスとの間合いを詰めたセクメットが拳を振り抜こうとした…瞬間、全身の毛が逆立つ。

同時、振り抜こうとした腕を引っ込めて距離を取る。


(ッ、んだよ今の…)


一瞬。

脳裏に浮かんだのは、振り抜いた自身の腕が無惨にも斬り飛ばされる光景だった。

ニグラスは今の一連の動きに反応出来ていた様子はなかった…

一体、何をしたのか…ただ分かるのはあのまま向かっていたら自分の腕は失くなっていた。

ゾクゾクっと不思議な感覚が全身を駆け巡る。

この感覚が武者震いだと知った時、彼女は嗤った。

コイツは…"本物"だ。


「面白え…次は本気で行くぜ」


身体に闘気を纏わせる。

獣人族が得意とする技術の一つ。

全身の筋肉を活性化させ人智を超えた身体能力を発揮する技。


「来い」


ニグラスもまた、魔力を身体に纏わせる。

目の前の強敵に意識を集中させる。

剣を構えて大きく息を吐く。


「ガァっ!!」


最初に動いたのはセクメット。

ガラ空きとなったニグラスの背後に回り込み、巨大な鉤爪を首目掛けて振り下ろす。

が、鉤爪は空を切る。

ニグラスは背後を取られた瞬間にしゃがみ込み鉤爪を躱すとくるりと身体を捻らせ刃を斜め下から振り上げる。

完全に不意を突かれたセクメットは本能に従うままに顔を突き出す。

鋭い犬歯ががっちりと、ニグラスの放った刃を文字通り食い止めていた。

完全に防いだとは言えず、切られた口の端からは血が滴る。


お互いに顔を見合わせて、不適な笑みを浮かべる。


セクメットは咥えていた刃を噛み砕こうとしたが、その意図に気付いたニグラスは即座に刃を引く。

その勢いによって彼女の犬歯が砕け血が飛び散るがそれを物ともせずに右脚の蹴りを放つ。

容赦なく首をへし折ろうとする蹴りに対してニグラスは剣の柄頭を女の膝に叩き付ける。


ボギ、バギッと骨が折れる鈍い音が響く。

セクメットの顔が苦痛に歪む。


「ッ!ーーがァァァァァァァァァァァァア!」

「!?」


それでも彼女は雄叫びを上げながら蹴り上げようとする。

ニグラスは彼女の執念に驚嘆しながらも、もう片方の腕で彼女の脚を掴み持ち上げそのまま投げ飛ばす。

弾丸のように飛びながらも体勢を空中で立て直し闘技場の壁を目一杯に蹴って再びニグラスに向けて飛び掛かる。


「ーーガルァァアッ!!」

「ッ!?」


セクメットの雄叫び。

身体が一瞬硬直する。

獣人のみが持つスキル『咆哮』の効果だ。

対象を数秒の間硬直させるだけだが、こう言った一対一の場面では強力な切り札になり得る。

が、当然それは想定済み。

予め岩魔法で作り出した耳栓をして防いだ。


「オラァァア!!」

「ーシィ!」


気合いの籠った本気の拳骨。

短い呼気と共に放たれる斬撃。

拳と斬撃がかち合う。

凄まじい衝撃波が闘技場を揺さぶる。


「ッ!?」


拳が砕ける音が鳴り、血が噴き出る。

ニグラスの振るった刃もまた刃が砕け散る。

普通の剣では彼女の腕力を完全にいなす頑丈さはなかった。

しかし、これも想定内。

僅かに意識が逸れたセクメットに生まれた隙をニグラスは決して見逃さなかった。

岩魔法で地面を隆起させて彼女のガラ空きになった顎に強烈なアッパーをお見舞いする。


「かっ、は…っ」


完全な死角からの一撃は見事に彼女の顎を打ち抜いた。

その強烈な一撃に彼女の意識が途切れよろける。

これは不味いと本能で分かっていながらも身体は自由が効かない。


「ふんッ!」


右腕に魔力を込めて、彼女の鳩尾に拳を叩き込む。

拳が鳩尾にめり込む感触が伝わってくる。声にもならない絶叫を漏らしながらセクメットは腹を抑えて地面に転がり悶え苦しむ。


「かひゅ、あガァ……」


まだ終わらせない。

地面にのたうち回る彼女の身体を掴むと、膝の上に相手をうつ伏せで乗せて上半身はしっかりと脇で固定する。

無防備となった彼女の可愛らしい尻目掛けて何度も何度も強烈な張り手をお見舞いする。


「ひぎゅっ!?、あぎいっ!?、痛っ!?やめっ!?あひっん!?ちょっ!?」


パン、パンパンと闘技場内にけつを叩くいい音が響き渡る。

獣人が尤も屈辱とする行為の一つとしてあるのが、自身の認めた番以外の雄に尻を触られる事。

故に、今ニグラスが行なっているスパンキングは彼女にとって死ぬよりも最悪で屈辱的な行為なのだ。

痛みと屈辱による情けない声を漏らしながらセクメットの顔が赤く染め上がる。


「降参しない限り叩き続けてやるからな。生意気な獣人め分からせてやる!」


こういう仕置きは『ニグラス』を置いて右に出る者がいない。

早く降参すればいいものを…セクメットは一向に降参しようとしない。

何とか振り解こうと抵抗するが無駄に終わり、されるがままに尻を叩かれ続ける。

徐々に声が艶めいて来たような気がする…いやらしい行為をしているようで変な気分になってきた。


「わ、わかった!あっ♡、降参っ♡、降参するにゃ♡許してにゃー♡♡♡」


尻を叩き始めて30分。

ようやくセクメットは降参した…のだが。

明らかにおかしい…さては、変な扉を開いてしまったのではないだろうか?


「俺の勝ちだな?」

「そうにゃ♡貴方の勝ちだにゃ〜♡」


うん、様子が変だ。

語尾に「にゃ」が付いている…たしか、原作でも彼女がこうなるイベントがあった気がする…この場合の彼女は、、、、


「オレの、いや、にゃーのだにゃ…約束通り奴隷になるにゃ…"ボス"♡」


ああ、やってしまった。

やりすぎた…絶対服従モード&お馬鹿セクメットを引き当ててしまった。

身体を縮こまらせ手足を折り、仰向けになり相手に腹を見せる仕草を取っている。

この行為は獣人族特有の習性である。

主に発情期となった雌が自分の番と決めた雄にのみにみせる習慣。

現代風に言うのなら"逆プロポーズ"だ。


ニグラスは頭を抱える。

こんなつもりはなかった…『ニグラス』の衝動に任せて彼女にお灸を据えてやろうと思っていただけだった。

だが結果としてそれが予期せぬ方向に進んでしまったのだ。


「どうしたんだボス♡なにか困りごとかにゃ?」


その困り事の原因が君なんだけどね。

すりすりと自身の身体や胸をニグラスに押し付けている。

獣人族(猫人族)特有の求愛行動には前世で飼っていた猫のミミを思い出す…


「君はそれでいいの?」

「強い者に惹かれるのは生き物の本能にゃ♡私はもうボスにメロメロにゃー!」


セクメットの頭や顎を優しく撫でる。

ゴロゴロと喉を鳴らして低く奥行きのある鳴き声で甘えてくる。

つい、前世で飼っていたミミと同じように接してしまったが…彼女は猫耳と尻尾が付いてるだけで姿は女性と変わらないので猫とは違い悶々とした気持ちになってしまう。


完全に懐かれてしまった。

いや、待てよ?…ふと、思い至る。

これは逆に良い事かも知れない…彼女の性格はともかく、実力はかなり高い。

今の彼女はニグラスに対してだけは従順で命令には背かないし、何があろうと裏切らない。

そう言った面では正に最高の人材である。


この後に迫る学園試験でも貴重な戦力になるのは確実だし。

いよいよ半年後に迫ってきたニグラス・シュブーリナに降り掛かる『悲劇』を回避する為の手札にもなり得る。

そう考えたら…悪くないんじゃないかな?


「どうしたんだにゃ?」


不思議そうな目と表情でニグラスを見つめてくる。

先程の凶暴な獣とは思えない程の変わりように若干頭が混乱しつつも可愛いから良いかと結論付けた。


「いーや、なんでもないさ。それよりも俺を"ボス"だと言うならこれからは誰彼構わずに暴力を振るわない事ね」

「分かったにゃ!」

「それと、こう言ったスキンシップはクラスでは控えるように!」

「なぜにゃ?」

「皆んながびっくりするでしょ」


あと、フェンとメゾルテが凄く怖い。

あの二人は嫉妬深い一面があるから絶対に知られたくない。


「分かったにゃ!ボスは恥ずかしがり屋なんだにゃ!」

「うーん、そうだね。ま、とにかく明日はよろしくね」

「はーいにゃ!」


ーー


言い聞かせたは良いもののやはり心配だ…そう思いながらようやく屋敷に到着した。

扉を開けて中に入ると、二つの人影が姿を現した。


「遅かったなニグラスきゅん」

「遅いお帰りですわねニグラス様」


フェンとメゾルテの2人が入り口のすぐ目の前で腕を組み待ち構えていた。

ゴゴゴゴッ!!と言う◯ョ◯ョの◯◯な冒険によく使われる効果音が聞こえて来るようなオーラを放っている。

これは怒っている。


「や、やぁ二人とも…」

「失礼致します」


と、急にフェンが此方に顔を近づけて来た。

そして、スンスンと鼻を鳴らして身体の隅々までニグラスの匂いを嗅ぐ。


「女の匂いがしますわ…それも、同族ですの」

「ギクッ!!?」


図星である。

フェンもまた獣人族…セクメット同様に鼻が効くのを完全に忘れていた。


「ほーう?私達といういい女が居ながら、自分はまた新しい女を引っ掛けていたのか?」

「こ、これは違うんです!」

「何が違うんだ?詳しく説明してもらわなければなぁ?」


ガシッと2人の美女に腕を掴まれてリビングの方に連行される。

被告人ニグラスを中央に座らせ、原告側のフェンとスパルダはそれを挟むようにして椅子に座る。

両側からニグラスの腕に胸を押し付け、動かせないようにしっかりと固定している。

本人達はただニグラスを押さえ付ける為にやっているのだろうが、ニグラスは湧き上がる邪な気持ちを抑えるのに必死であった。


「それで?詳しく聞こうか?」

「実は…」


ニグラスは放課後に起きた出来事を詳しく説明した。

その間にも2人の顔色を窺いながらなるべく刺激しないように慎重に話す。

まるで、恋人に浮気を詰められているみたいだ。


「ふむ…全く君という奴は放っておくと色んな女が寄ってくるな…」

「ええ、ほんとですの。しかも、私と同じ獣人と言うのが尚更気に入りませんわ。話からしてその雌猫は完全にニグラス様をマーキングしてますわね」

「僕は無罪で…」

「何かな?」

「何ですの?」


ギロっと2人が同時にニグラスを睨みつける。


「はぁ…それにしても、そのセクメット・ブバスティスには困りましたね」

「全くだ。まぁ、ニグラスきゅんに惚れるのは理解できる。が、仲間として認めるかは別だ」

「それなんだけど…少し考えている事があって、もしかしたら彼女の力が必要になるかも知れないんだ…」


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