異世界でデマと煽動の力で総統まで成り上がった軌跡について

解体業

第1話 煙草とインクの匂い

 深夜。書斎の空気は紫煙シエンで僅かにかすんでいる。デスクライトだけが、手元に置かれた上質な紙と、インクが染みていくペン先を鈍く照らし出していた。部屋の外は恐らく深い闇だろう。この部屋の主――つまり俺は、外の景色になど興味はない。今はただ、ペンを走らせる音と、時折タバコの灰を灰皿に落とす音だけが支配する静寂が心地よかった。


 ふぅ、と細く煙を吐き出す。感傷に浸っているわけではない。単なる習慣だ。この、記録ともつかない殴り書きを始めるにあたって、多少の儀式めいたものは必要だろう。


 これは俺が獄中時代に書いたものを大幅に加筆・修正したものである。したがって、元本に含まれていた要素はほとんど消え去っている。壁のシミを数えるような日々に書きなぐった、あの陰鬱なメモだ。獄中での思索と反省、あるいは単なる暇つぶし——そのどちらに基づいたものかは今となっては定かではないが、正直に言えば反省など柄ではない。まあ、どうでもいいことだ。ともかく今ここに残っているのは、単なる記録に過ぎない。歪んでいるかもしれんし、都合よく書き換えられているかもしれん。それでも、記録だ。遠い未来に誰かに読まれることを願って。もっとも、その「誰か」がこれをどう解釈するかまでは、俺の知ったことではないがな。


 俺は今、こうしてタバコを蒸かせながら、ペンを片手にこのメモを書いている。机の上のライトの下で、万年筆が紙の上を滑る感触を確かめながら、ペンを走らせている。もちろん、今は獄中にはいない。あの薄汚く、希望の欠片もないような場所にはな。脱獄などもしていない。そんな面倒な真似は御免だ。俺は、実に合法的、正規の方法で出獄したのだ。まったく、あの時の連中の呆気にとられた顔といったら……いや、よそう。過去の些末な感傷に浸るのは時間の無駄だ。重要なのは、俺が今ここにいる、ということだけだ。


 このメモには、俺が異世界に転移した後、いかにしてこの国のトップへと上り詰めたかを記すつもりである。そう、しがない異邦人が、言葉も通じぬ世界で、ついには一国の支配者になった。御伽噺のようだろう? だが、これは紛れもない事実だ。日本語で書いているから、読めるのは次にこの世界に転移してきた、不運な、あるいは幸運な日本語話者のみだがな。いや、もしかしたら、この異世界にも日本語と似たような言語があるのかもしれない。知的好奇心の旺盛な連中が血眼になって解析すれば、解読されることがある可能性は拭えないが、別に誰に読まれても問題はない。隠し立てするような高尚な秘密など、俺の人生には存在しない。ただ、最後のメモぐらいは、自分自身の母語で書きたい、というだけだ。思考を最も正確に、そして……そう、皮肉を込めて表現できるのは、やはりこの言葉だからな。


 本題に入る前に述べておきたいことがあるから、そこまでの前座は長くなるかもしれない。なに、心配はいらない。退屈させないようには書くつもりだ。俺の人生そのものが、退屈とは無縁だったからな。ジェットコースターのような、と言えば聞こえはいいが、実際はもっと泥臭く、血生臭いものだった。だが、まあ、そういう部分も含めて楽しんでもらえれば本望だ。もっとも、楽しめなかったとしても、俺には関係ないが。


 俺がこの世界に来たのは、恐らく偶然だろう。「世界のバグ」とも言うべきことが起きてこの世界に来てしまったのではないかと思っている。元の世界で何か大それたことをした記憶もないし、トラックに轢かれたわけでもない。気づいたら、ここにいた。それだけだ。まあ、原因などどうでもいい。重要なのは、この状況をどう利用したか、だ。だが、ホントのことは俺には分からない。いつからこの世界にいたのか、時間的な区切りがハッキリしていない——日本にいた時の記憶すらもボヤけてきているが——。故郷の風景、家族の顔、好きだった食べ物の味…思い出そうとしても、霧がかかったように朧げだ。まあ、それも都合がいいかもしれん。過去への未練は、前進の妨げになるだけだからな。それに、御天道様に聞いてみても、ウンともスンとも言わないからな。——御天道様というのは、便宜上のこの世界における太陽のことだ。この世界の太陽と日本にいた頃の太陽が同じなのかも分からないが、一つしかないし明かりの源だから太陽と呼んでいいだろう。あの無感動な光の塊に何を問うても無駄だということは、早々に学んだ。神などというものがいるとしても、俺のような存在には興味などないのだろう。あるいは、いるからこそ、こんな場所に放り込まれたのか? フン、くだらん話だ。


 この世界の仕組みは、驚くほど元いた世界と似ていた。言語は全く違ったが、それ以外はな。重力があり、空気があり、水が流れる。人間がいて、社会があり、国家がある。一旦列挙してみようか。物理法則、太陽系……いや、枚挙にいとまがないから、異なっている点を挙げた方がいいか。そうだな、最大の違いは、あの奇妙な……いや、後に俺にとって最大の武器となるアレの存在だろうか。まあ、それについては追々語る。下手に最初に情報を出しすぎると、物語の興を削ぐからな。読者を焦らすのも、語り手の技術というものだ。……注意が必要なところで随時注意書きをすることに決めた。


 さて、この国の名前は、書く必要はない気もするが念のため書いておこう。俺が運命(あるいは悪運)によって転がり込み、そして今や支配するこの国の名は、この世界の言語の発音で「ベルディカ」だ。「ベルジカ」の方が近いかもしれないが、俺の記録では「ベルディカ」と書くことにする。響きは悪くないだろう? まあ、名前などどうでもいい。重要なのは中身だ。そして俺は、その中身を根底から作り変えたのだ。


 言語の件だが、日本語のような言語はこの世界には無かった。当然だ。だから、体当たりでベルディカで話されている言語、ベルディカ語を学んだ。最初は赤子同然だった。身振り手振り、そして屈辱的な物乞いのような真似までして、必死に言葉を覚えた。あの惨めさは忘れられん。だが、その経験が俺のハングリー精神を鍛えたとも言える。この過程は本題には深く関わらないので、これ以上は触れない。重要なのは、俺が今、この国の言葉を不自由なく操り、そしてその言葉で……いや、あらゆる手段で、この国を動かしているという事実だけだ。


 で、だ。俺の今の立場を説明しよう。これを読んでいる未来の読者諸君は、俺が何者なのか、気になっているだろうからな。俺はベルディカの首相だ。どうだ、驚いただろう。異世界から来た、出自も不明な男が、一国の首相だぞ。信じられないか? まあ、無理もない。だが事実だ。……首相と言っても、ベルディカの政治システムについて説明がなければよく分からないか。確かに、少々特殊だからな。丁寧に解説を加えておくべきだろう。俺が変えてしまう前の、古き良き……いや、古くさいベルディカの仕組みについてだ。


 ベルディカには議会と首相がある。そして、大統領も存在する。ここまでは、まあ、よくある共和制の国と似ているかもしれんな。だが、ここからが面白い。ちなみに、大統領は俺だ。驚きが足りないか? そう、俺は大統領であり、そして首相でもある。大統領と首相を兼任しているのだから、実質的には「総統」とでも言うべきか。フン、悪くない響きだ。シンプルで、力強い。話が脇道に逸れそうだから、元に戻そう。


 一つ思い出したことがある。重要なことだ。俺がこの国の政治システムを変えてしまった点がかなり存在する、ということだ。「総統」だからな。今のベルディカは、俺がここに来た頃とは全く違う国になっている。良くも悪くも、な。俺の支持者どもは「良くなった」と熱狂しているし、まあ、そうでない連中は……口を噤んでいるか、あるいは物理的に存在しないか、だ。このメモの趣旨は「いかにして『総統』になったのか」であるから、まずは、俺が「総統」になる前の、つまり俺がぶっ壊す前の、ベルディカの政治制度について書こう。知っておくときっと面白いぞ。いかに脆く、愚かで、そして……俺のような男につけ入る隙が満載だったか、よくわかるだろうからな。


 さて、その旧体制だが……ベルディカは立憲主義と連邦制の国家だ。建前上は、な。立派な憲法があって、国民の権利が保障され、権力は分立している……と、まあ、そういうことになっていた。実に結構なことじゃないか。だが、現実はどうだったか? それをこれから、たっぷりと語ってやろう。

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