第一章 はじまりの森

第1話 出会い


 街道沿いの街路樹から春の木漏れ日が零れ落ちてくる。道を進むにつれて旅人の数が増えてきた。追い越していく春風に、ルルートの心は奮い立った。

「ルル様、見えてきましたよ」

 ラインベルが道の先を指で差し示す。その指の先に街が見えた。

「あれがカナデの街です」

 街へと架かる橋を多くの旅人が渡っていく。ルルートの足取りは自然と速くなった。あの街の奥に広がる森、その森の暗雲に覆われて見えない最深部こそが、この旅の目的地だ。

 亡国ダフネローラス。

 かつては中央大陸で最も栄華を誇ったとも評される王国だ。豊かな土地、華やかな文化、理想郷とも呼ばれた国。しかし栄光を極めていたはずの王国は、たった一夜にして滅亡したという。今となっては美しかった領土には魔力が溢れ、魔物の徘徊する魔境と化し、立ち入る者を拒んでいる。だが歴史に消えた亡国を巡って、いつしかこんな噂が流れるようになった。

『亡国ダフネの王城に辿り着けばどんな願いでも叶う』

 旅人たちは皆、その噂に魅了されて亡国ダフネへと挑んできた。今は濃霧に隠され、暗雲に覆われ、全貌を確認することは出来ない。王城がまだそこにあるとは限らない。どんな願いも叶うという確証もない。それでもなお、その旅路の果てで願いが叶うと信じる冒険者たちは、今日もまた魔境へと足を踏み入れるのだ。ルルートもまたそんな冒険者のひとりである。

 ルルート・セイデリックが祖国を旅立ったのは、冬の始まりのことだった。季節が移り、今はうららかな春。東大陸から中央大陸へ。ずいぶんと遠くまで来た。名前の知らない草木が街道を彩っている。風が花々を揺らしても、遠い祖国の噂はもう聞こえない。

 ルルートは大きな志を抱いていた。必ずダフネを踏破すると、それまでは決して帰らないと、心に誓って祖国を出た。幼馴染のラインベルには感謝している。自分の我儘に付き合って、こんなところまで一緒に来てくれた。勝手に付いて来ただけだとラインベルは言うが、ルルートが心強かったことは間違いない。

 しかし、これで終わりではない。ここから冒険が始まるのだ。ルルートは耳飾りに手を触れた。この耳飾りは、兄が祖父から受け継いだ形見の品だ。そんな大切なものを兄が託してくれたのは、ルルートの帰還を信じているからだ。遠い祖国で待つ兄の想いも背負って、ルルートはダフネに挑む。すべては一族の名誉を取り戻すために。

「さあ、ラインベル。行きましょう」

「はい、ルル様」

 ラインベルがルルートに続く。街道を一歩ずつ踏みしめるたびに、まだ見ぬ魔境に興奮が沸き上がった。


 カナデの街の広場で噴水を背に少年と少女が腰掛けている。疲れた表情の少年と、不貞腐れた様子の少女。春の昼下がりの陽射しは穏やかで、緩い風が冒険者で賑わうカナデの街に花びらを運んでいた。

「キルズベーズさぁん、どうしてダメなのですかぁ……」

 拗ねたように口を開いたのは少女だ。悔しげに地団駄を踏むたび、薄桃色の長い髪がふわふわと揺れた。

「キルグヴェーシュ。だからキースで構わないって言っているじゃないか」

 そう言うとキルグヴェーシュは被っていたベレー帽を脱いで膝に乗せ、言葉を続ける。

「ギルドの受付も言っていただろう。ぼくたちだけでは幼すぎる。何よりダフネに挑むためには、最低でも三人で組まなければならない決まりだって」

 魔境や迷宮とも呼ばれるダフネへの立ち入りは、ダフネの玄関口であるカナデの街に置かれたギルドによって管理されており、冒険者はギルドに登録することでダフネへの挑戦が許可される。多くの冒険者たちのようにダフネへと挑もうとしたふたりだったが、幼さと人数不足を理由にギルドで追い返されたばかりだった。

「どうして二人組じゃダメなのです」

「生存確率を上げるためだろう。フィピッツ、きみは何が出来るの」

 少女フィピッツはエプロンドレスのポケットから一冊の本を取り出した。

「フィピは治癒の魔法を唱えられますよぉ」

 自慢気でどこか能天気に答えたフィピッツとは対照的にキルグヴェーシュは冷静だった。

「たとえばダフネの魔物と戦うことになったとして、ぼくが防御、フィピッツが回復、それなら誰が攻撃するの? ダフネが危険な場所だというのなら、生き残るための選択肢はひとつでも多く持っておくべきだよ」

 春風がキルグヴェーシュの白い髪を揺らした。

「でも、でも……挑戦を諦めるのですか」

「ぼくはダフネがどういう場所なのか見たかっただけだよ。叶えたい願いがあるわけではないから、入れないのならそれまでのこと。また別の場所へと旅を続けるだけだよ」

「それなら! キースさんの願い事を見付けるために挑みましょう! とびきりステキなお願いを見付けましょう!」

 フィピッツはキルグヴェーシュの手を取ると、ぶんぶんと上下に振った。キルグヴェーシュは面倒くさそうに溜息を吐いたが、不意に何か思い立った様子で瑠璃色の瞳を細めた。

「……あの人へ少しくらいの土産話にはなるかな」

 キルグヴェーシュはフィピッツの手の中から自分の手を引き抜くと立ち上がった。

「一人か二人組の冒険者に声を掛けて仲間に誘ってみよう。ぼくは街の入り口のほうへ行ってみるから、きみはギルドのほうへ行ってくれ。きっとぼくたちのような余り者がいるだろう」

 時計台に目をやる。時刻はもうすぐ午後二時になる。

「仲間が集まっても集まらなくても、三時にここで待ち合わせよう。ぼくが戻ってくるという証として、この帽子はフィピッツに預けておくよ」

「分かりました。フィピ、頑張って仲間を見付けますぅ!」

 フィピッツはキルグヴェーシュの提案を快諾した。キルグヴェーシュからベレー帽を受け取ると、少ない荷物を持ってギルドのほうへと向かう。フィピッツの小さな体は人混みの中にすぐ見えなくなった。キルグヴェーシュも荷物を手に取る。旅の道具に、形見の剣。キルグヴェーシュはカナデの街の入り口へ向かって歩き始めた。

 カナデの街はダフネによって栄えている。ダフネの拠点となるカナデの街には、伝説に魅了された冒険者が世界各地から集い、彼らを相手にした宿屋や商人が店を出す。酒場や賭場、風俗の娯楽もあり、誇張された冒険譚が声高々に響き合う。街は整備され、石畳の敷かれた往来には活気が溢れている。どんな願いでも叶うというダフネの噂がカナデの街に多くの欲望を集めていた。

 キルグヴェーシュは街と外を繋ぐ橋の上に立った。行き交う人々を眺める。あれは商人。あの二人組は手練れ、おそらくは別の仲間と共にすでにダフネに挑んでいる。あの冒険者は服装が貧相で頼りない。キルグヴェーシュは静かに冒険者を見定めていた。

 もう諦めてフィピッツの元へ戻ろうかと思った時、若い男女二人組の冒険者がカナデの街にやって来た。


 ルルートとラインベルがカナデの街へと架かる橋を渡っていると、橋の欄干にもたれかかった少年に声を掛けられた。

「ダフネに挑むの?」

「ええ、そうですよ」

 少年の問いにルルートはにこやかに笑って答えた。しかし、後ろのラインベルは少年を警戒していた。

「あぁ? 何だ、お前」

 ラインベルが少年を睨み付けるが、少年は怯まない。

「ぼくの名前はキルグヴェーシュ。ダフネに挑戦する仲間を探している」

 少年はキルグヴェーシュと名乗った。東大陸出身のふたりには、キルグヴェーシュという名前は聞き慣れない響きだった。少年時代から白髪というのも東大陸では見かけない。西大陸か南大陸から来たのだろうか。

「ダフネには最低でも三人で挑まなければならないからと、ギルドに追い返されてしまった」

「なるほど、規則があるのですね」

 ルルートはラインベルを振り返った。

「ラインベル、私たちにも仲間が必要です。規則であれば仲間を募るほかありません」

「しかしルル様、素性も分からない相手と組むのは危険です」

 ラインベルは忠告した。オールバックにした、燃え上がるような橙色の髪が、春の午後の陽射しを受けて輝いている。

「そうは言っても、ラインベル。私たち、この街に知り合いはいませんよ」

「ですから仲間は慎重に選ばなければ」

 それもそうですね、とルルートはキルグヴェーシュに向き直った。

「私はルルート、こちらはラインベルです。えぇっと、キルシュベールさん?」

「キルグヴェーシュ。発音が難しいみたいだね。キースで構わないよ」

「失礼しました、キースさんとお呼びしますね。私は盾と銃槍、ラインベルは大剣で戦います。キースさんは何か得意なことはありますか?」

「ぼくは戦うことよりも探索のほうが得意かな。でも、ぼくの仲間のフィピッツは治癒の魔法が使えるらしいから、冒険の仲間にして損はないと思うよ」

 魔法というキルグヴェーシュの言葉にルルートとラインベルは顔を見合わせた。魔法の詠唱者は貴重な存在だ。魔法は誰もが扱えるわけではなく、事実、ルルートとラインベルには魔法の才能が無く、ふたりの周囲にも魔法を扱える者は居なかった。中央大陸には詠唱者たちの学びの場である魔法学院があるというが、他の地域では詠唱者と出会うことなく一生を終えることがほとんどだ。僅かに限られた者しか使えない魔法は冒険において重要な役割を担うだろう。

「ラインベル、詠唱者が仲間にいるのは心強いですよね?」

「ええ、勿論」

「それじゃ、決まりだね。よろしく、ルルートにラインベル」

 ついてきて、とキルグヴェーシュはカナデの街へとふたりを促した。

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