第14話

 何が「じゃ」なのか。


 しかし、ひとが家に来るのを断る理由はない。

 たとえば、ひとに見られたくないようなものを、部屋の目立つところに置きっぱなしにしてあるとか、そういうことでもあるならば躊躇ちゅうちょしただろうが、それに関してはぬかりがない。


 もっともひとは、俺の隠し場所を無理にあさるようなタイプではない。俺が嫌がれば、それ以上踏み込んでこない性格なのを知っている。だから、ひとの来訪にはなんの問題もなかった。


 ――家には両親は当然のことながら、姉も不在だった。

 つまり今、この家には俺とひとの二人しかいないということだ。だからって、それで何かのフラグが立つわけでもない。


 二人きりだから何だと言うのか。俺は新田物朗で、相手は瀬加一図だぞ。何も起こるわけがないではないか。


 ……と、必死に自分に言い聞かせる必要があるほど、俺はひとのことを意識している。

 るると三人でいる時は何も考えていないが、単体でいられると意識せざるを得ない。

 別にどうする気も、どうなる気もないのだが、ついつい余計な考えが浮かんでしまう。これが思春期の性というものだろう。


 ひとに言われるまま、床にあぐらをかいて座る。ひとは、帰り道の途中にドラッグストアに寄って買ったヘアワックスと、ドライヤーを両手に持っている。


 膝をつき、こちらを向いたひとが、俺の真正面にいる。ちょうど胸の辺り。いくらなんでもこれは距離が近すぎる。思わず目をらしてしまった。


 ひとの手が俺の髪に差し入れられ、頭皮に触れた瞬間、背筋がぞわりとした。華奢きゃしゃな指先の感触に、つい声を漏らしそうになる。いや、変なことを考えるな俺。素数でも数えてろ。2、3、5、7、9、あ、違う。


 ――ドライヤーの風を受けながら、ひとの手で髪が自由自在に形作られていく。次第にワックスの感触が髪に馴染なじんでいくのを感じた。


「こんな感じかなあ」


 ひとは俺の眼鏡を両手ではずし、テーブルの上に置くと、スタンドミラーを手に取って俺に向けた。そこには見知らぬ人物が映っている。いや、それは紛れもなく俺自身の姿でもあった。


 いかにもモテそうな……いや、俺がモテそうになったのではなく、モテてそうなやつがしているような髪型に見えた。


「ものの髪型作るの、るるちゃんの方が上手だったけどね。あたしはいつもこんな感じにセットしてあげてたよ」

「え? るるもやってくれてたのか!?」


 自分がヘアワックスを使っていた記憶すらないが、ひと作の俺、るる作の俺、そして俺が自分で不器用に整えていた日もあったという。

 いや前の世界の俺、どれだけ恵まれた中学生だったんだ? 二人の幼馴染なじみに朝から髪をセットさせ――そのために登校前に早く俺の家に来てくれていたらしい――それで毎日学校に通っていたとは。一体どんな顔をして、至福の時間を過ごしていたのだろう。


「からかわれなかったのか? その……周りのやつに」

「からかわれることもあったよ。でももの、みんなと上手うまくやるタイプだったから。クラスのムードメーカーだったから。嫌なことはあんまり言われなかったよ」


 俺が――今の俺が、クラスに昔の俺みたいなやつがいたら、きっとやっかんで陰口の一つも言っていただろう。だけど、今の俺も結局は、ひととるると一緒にいる。


 前の世界の記憶はいまだあやふやで、もちろんひとのこともるるのことも大筋は思い出せているし、個々の思い出はほぼ戻ったと言ってもいい。

 だが俺にまつわることとなると、まだ記憶は歯抜け状態で、だから朝の髪型セットの話はまるで覚えておらず、そのことで俺たちが周りから何を言われていたのかわからない。


 今後、三人でいることでからかわれたり、ひとやるるが嫌な思いをすることだってあり得るのか――それを避けるためにどうすべきかと言えば、前の世界の俺と同じ結論になる。周りとなるべく上手にやっていくしかない。


 いやでも、そんなこと俺にできるのか? 陰キャ眼鏡野郎のアイデンティティを身にまとってしまっている、今の世界の俺に――


「ものが変わったのは髪型と眼鏡だけ。他は何も変わらない。考え過ぎるところもそのまんまだよ」


     ☆★☆★☆


 姉の――沙綾さあやさんが帰ってきて、いきなり部屋のドアを開けたもんだから、俺はの髪型をまじまじと見られてしまった。


「おかえり、物朗」


 沙綾さんはそう言って、ひとにはにこにこと笑顔を見せ、すぐに部屋を出て行った。

 その「おかえり」が俺が学校から帰ってきてることに対してのものなのか、前の世界の姿に対してのものなのか、わからなかった。


 俺は、沙綾さんが転移者――つまり転移した記憶が残っている者――なのかどうか、確かめていない。確かめ方も知らない。どう聞けばいいのかわからない。


 この部屋に置いてある黒鷺くろさぎ中学の卒業写真に写っている俺は、もう少しおとなしい髪型をしていて、眼鏡は掛けていなかった。それでも、雰囲気は今の俺に近いものに違いなかった。

 沙綾さんは、今のこの姿の俺を見たことがあるのだろうか。

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