第7話 冬の残響

 帰宅したのは、いつもより少し遅い時間になってしまった。


 仁奈と三弦のおかげで、俺以外の風呂は済んでいる。俺も最低限のシャワーは、向こうを出るときに済ませている。さっそく夕飯の準備をすることにした。


「兄貴、なんか手伝うことあるか」

「俺一人でもできるよ。三弦は宿題やってていいぞ」


「今日はすくねーの。それにほら、料理って家庭科の予習になるだろ」

「家庭科に予習はいらないだろ」


「うっせ。いいからやらせろよ」


 三弦は口こそ悪いが、根の優しさが滲み出ている。運動神経がよく、裁縫などの細々したことも得意。たぶん、体を操るのが人よりも得意なのだ。


「じゃあ野菜切ってくれ。今日は多いぞ」


 キャベツ1玉と人参2本、それとしめじ。並んだ三種の野菜に、三弦は目を丸くする。


「おい待て兄貴。なんか多いぞ」

「いいんだよ、今日は」


 三弦は瞬きを何度か繰り返して、ばっと後ろを振り向いた。


「姉貴ー! 兄貴がやべえ仕事に手ぇ出したぞ!」

「出してないって!」


 どたどたと慌ててこっちに来る仁奈。

 スパァンッ! と綺麗なスナップで三弦の頭を叩く。


「うっさい。樹にぃが悪いことするわけないでしょ」

「……でもよぉ、こんなに野菜買ってくるなんておかしいだろ」


「頑張って稼いでくれてるの。樹にぃはすごいんだから、これくらいで驚かない!」


 二人の様子をうかがいながら、エコバッグの中からゆっくり豚肉のパックを取り出す。900円ぶんだから、かなりの大きさだ。


「あの、実は肉も買ってきた」

「樹にぃ、警察行こ?」


 腕をつかんで、上目遣いの仁奈。

 一瞬で瓦解する俺への信頼。野菜は買えるけど、肉は買えないと思われるくらいの信頼って……どれくらいだ?


「まあ、驚く気持ちはわかるよ。俺もレジ並んでるときに何回か逃げそうになった。でも安心してくれ。たんに今日、いつもより稼げただけだから」

「稼げたって……どれくらいだよ」


「2万」

「「2万!?」」


 飛び上がって後ずさる仁奈と三弦。中学生で物の価値がわかってきた二人には、衝撃的な額だったらしい。


「おい姉貴。2万円って言ったぞ」

「三弦にもそう聞こえた? 実は私も」


 幻聴疑われちゃってるよ。


「2万円っつうことは、1ヶ月で60万ってことか?」

「馬鹿。樹にぃを休ませなさい」


「家が建つんじゃねえか?」

「建たない。そんなに多くないから落ち着いて」


「でもよ……」

「樹にぃだから」


「まあ、兄貴だしな」


 ひときわ混乱する三弦を、ちょっと混乱した仁奈がなだめる。

 なかなか話が進まないな……。


「料理していいか?」

「おい、兄貴はもう休んでろ。姉貴と俺でやっから」

「そうだね。樹にぃはあっちで遊んでて」


 二人に追い出されて、俺は台所から居間へ行く。


 星花、星奈、六月が俺を迎えてくれる。普段は家事で構ってやれないから、レアキャラ扱いでちやほやしてもらった。


 ほどなくして、台所からいい匂いがしてくる。


「ごはん?」

「ごはん!」

「ごはーん」


 俺の膝の上に住み着いた三人が、一斉に立ち上がって台所へ向かっていく。


「ぐはっ」


 子供はパワフル。膝から一気に飛び出されたので、畳の上に転がる。


「こらーっ、樹にぃ置いてきちゃだめでしょ」


 仁奈に怒られて戻ってくる三人。右手を星奈、左手を星花、お腹に六月が抱き着いてくる。


 満面の笑みで、星奈と星花が腕を引っ張る。


「「いっくんいこ!」」


 双子の二人は息がぴったり。俺は六月を下ろして立ち上がる。


 仁奈と三弦の圧によって俺は椅子につかされ、二人は立ったままで手を合わせる。


「「「「「「いただきます」」」」」」


 六人で声を合わせる。

 肉入りの焼きそばを食べるなんて、いつ以来だろう。夢中になって食べるみんなを見ると、口元がほころんでしまう。


 明日もまた、頑張ろう。





 ――嘘みたいに白い世界で、サイレンが反響する。



 十数年に一度の猛吹雪で、普段は雪なんて降らない街が真っ白に染まっていた。真っ赤になった指先がかじかむ。靴の中の足は棒切れみたいに硬い。息を吸う。それだけで肺がきんきん傷む。吐いた息は、きらきらと空気中で凍った。


 電柱。その周りに張られた黄色いテープ。人だかり。真っ赤な明かりを回す救急車、パトカー、消防車。真ん中でぐしゃりと潰れた、黒い車。


 ――あの中に、父さんがいた。


 人が死ぬ意味を知らなかった俺は、呆然と立ち尽くしていたけれど。子供ながらに、なにかの歯車が落ちて壊れたのはわかった。

 俺たちの生活は転がるように悪化していったのは、この日、この瞬間からだ。


 だから何度も、蘇る。

 どうしようもない後悔を、時間を巻き戻したところで、なにもできない無力さを押し付けるように。何度も何度も、この冬が蘇る。


 事故を見つめていた少年が、ゆっくりと振り返る。


 一色樹

 それは俺だ。


「どうして、僕を無視するの?」

「……」


 俺はなにも言えない。声が出ない。必死に音を出そうとするか内側にまで寒さが入り込んでくる。口から、喉へ、肺へ、心臓へと冷気が回る。冷たい。寒い。痛い。全てが鈍くなっていく。


 ああ、もう、眠いや……。


「仁奈に聞く必要なんてない」


 わかってる。

 わかってるよ、そんなことは。


「魔法は心を映す鏡だ。憧れじゃない」


 真っ暗な目をした少年は、淡々と告げる。

 開けた口の中まで真っ暗で、そこから夜の冷たさが漏れ出しているようだった。


「お前は僕を使うべきなんだ」


 ――嫌だ。


「どうして」


 ――俺はもう……。

 ――寒いのは嫌なんだ。








 暗い。

 ……ああ、まだこんな時間か。


 布団から体を起こして、胸に手を当てる。早鐘を打つ心臓。全身の血管が爆発しそうだ。嫌な汗をかいている。震える呼吸を整える。深呼吸、何度繰り返しても落ち着かない。口の中が粘つく。


「樹にぃ、大丈夫?」


 少し離れた場所から仁奈の声。起こしてしまったみたいだ。


「ごめん。大丈夫だよ」


 立ち上がって台所へ。コップに水を汲んで飲む。冷たいものが喉を通り過ぎていくと、幾分か気分はましになった。


 濡れタオルで体を拭いて、もう一度寝よう。

 顔に当てた指先が、酷く冷たかった。





 一方そのころ、とある酒場では『マンスリー』の三人が酒を飲んでいた。


 リーダーの青年、シゲアツは両の目をガン開きにして、結露したグラスを割れんばかりに握りしめる。


「白石さんが……ダンジョンに行った……?」


 しばらく開けっ放しの眼球は赤く、閉じられなくなった顎はがたがたと震えている。


冒険けっこんしたのか、僕以外のやつと……」

「餅つけ餅つけシゲアツ殿」


「これが落ち着いていられるか! 僕がどれほど白石さんのことを想っているか……それを、どこの馬の骨とも知れないやつに……ッ!」


 細身で眼鏡をかけた、オタク気質のミツイがシゲアツの背中を撫でる。


「悔しいでござるな。拙者もシゲアツ殿の気持ちはよくわかるでござるよ。BSS僕の方が先に好きだったのに……それは男なら、避けては通れぬ道」


 彼らの横で、大男のゲンゾウは日本酒をがぶがぶと飲んでいる。すでに一升は飲んでいるはずだが、一向にペースが落ちない。

 ちらっとシゲアツの方を見ると、呆れたような顔をする。


「みっともねえな、女くらいでいちいち落ち込んで」

「女くらいとはなんだ! 白石さんは女神だぞ! 崇め奉れ! 家に銅像を置け――いやだめだ、置くな!」


「っせえなぁ。ついでに言うと、その男と飯も食ってたらしいぞ」

食事けっこんしたのか、僕以外のやつと……」


「飯くらい食うだろ」


 興味なさそうにきゅうりの漬物をぼりぼりかじるゲンゾウ。

 シゲアツは下唇を嚙みしめて顔をゆがめる。


「その男……絶対に見つけてやる……もしも白石さんにふさわしくない男だったら……」

「だったら、どうするでござるか?」


「殺す」

「殺しはだめでござる」

「そろそろクビにするか、こいつ」


 リーダーの痴態に、二人は深いため息をついた。

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