残響15 幻肢

 私たち傀儡乙女ソウルドールは戦いのために作られた存在だ。痛みも感じず、眠る必要もない。少しの調整でいくらでも動き続けることができる。だけど、私たちはミラの指示で植物園から離れた場所にあるビルの中で一夜を過ごしていた。


 初めは二十名以上いたこの隊には、もう十二名しか残っていない。


 その中に、リナも含まれている。


 リナ──私の愛する人。


 私の名前であるエリスは彼女がつけてくれた。リナは大切な人の名前だと言っていた。その人のことを知りたかった。きっと素敵な人だろうから。だけど、リナにとっては悲しい記憶でもあった。だから、私は踏み込めないまま……もうリナに訊くことなどできない。


 私が彼女を死なせたのだ。


 私が花を摘もうなんて思わなければ、私が彼女に花を贈らなければ。


 私の元に残ったのは、リナの腕だけ。何かあると、彼女はこの手で私の手に、腕に、背中に、触れてくれた。触れられた感覚も温度も分からないはずなのに、その度に心が温かくなった。今は、リナの腕はただ冷たい。温度なんて分からないのに、どうしてそんなことばかり分かってしまうんだろう。


 リナのことを思い出そうとすると、その頭が砕ける光景が浮かんでしまう。この世界の全てが色褪せてしまったような瞬間。だけど、彼女のことを考えていなければ、ふと忘れ去ってしまいそうで、それが怖かった。


 リナの腕を抱きしめる。こんなにもそばにいるのに、彼女はもうどこにもいないのだ。


 私は傀儡乙女──戦いのために作られた人形だ。それなのに、道具のように何も感じずにいられない。


 こんなに悲しいのに、寂しいのに、苦しいのに、私の目から涙が落ちることはなかった。なぜなら、私は人間ではないから。


 無感情でいられたなら、大粒の涙を流せたなら、どれほど楽だっただろう。


 私は中途半端な存在だ。私は一体何者なんだろう? 一人の愛する人を守れず、その死を思って泣くこともない。私は何のために存在しているのだろうか?






 建材が剥き出しの殺風景な部屋。その壁際に沿ってみんなが腰を下ろしている、窓からは薄い月明かりが差し込んで床と壁にぼんやりとした光の図形を落とす。みんなの囁く声が言葉にならない風の音のように聞こえる。


 人数の違いこそあれ、一人で壁に背中を預けている子はいなかった、私を除いて。ミラは周囲を偵察すると言ってずいぶん前に出て行ったきりだ。


 たくさんの仲間がいたことにいまさらながら気づく。かろうじて名前が分かるのは、セラミックアーク・ライフルの狙撃手・レイだけだ。彼女と組んでいた補助役のセリのことだって、彼女が死んだ時に知ったくらい。


 私はリナを、自分が見たいものだけを見て、感じたいことしか感じてこなかった。今、不安を口にしているそれぞれの子たちにも、考えや思い、抱える記憶があるはずなのに、私はそれに目を向けて来なかった。リナばかりを見て、世界はほとんどそれで全てだった。


 みんなの囁きが一斉に鳴りを潜める。


 ミラが戻ってきたのだ。彼女は無言のまま、私の隣に腰を下ろした。硝煙のにおいを微かに感じる。後ろでまとめていた髪を解き、小さくため息をついた。


「自分を苦しめるな」


 想像していた以上に柔らかい声だった。その声に自分を委ねたくなってしまう。


「私がリナを殺した」


「違う。私にも落ち度はある。周囲の安全を確保しきれていなかった」


 ミラの深い紫色の瞳が私の右腕に向けられる。彼女が巻いてくれた黒い布が二の腕の途中までしかない右腕を覆い隠していた。


「この作戦が終わり、前哨基地に戻ることができれば、修復してもらえるだろう」


「私にそんな価値はない。それに、戦場で生き残るなどできない」


 少しの沈黙がある。


「なぜ自分を責め、苦しめる?」


「私は戦いの道具のはず。それなのに、リナがいないことが悲しい。それなのに、人間のように涙を流せない。傀儡乙女は痛みを感じない。胸が痛まないから、涙も出ない。私は何者にもなれない半端者だ」


 ミラが腕に巻いたベージュの布を指さした。


「これを見ろ。かつての仲間が死に際にくれたものだ。彼女は全身をボロボロにしながらも、大切にしていたこれを私に託した。彼女は平和を望んでいた。私はその思いに応えようとしている」


 初めて聞いた話だった。ミラは統制体として多くの仲間の死を看取ってきたのだろう。


「我々は誰かの思いを受け継ぐ。そして、また別の誰かに受け渡す」


「私にそんな大それたことなどできない」


「大それたことである必要はない。今のお前が抱える苦しみ……お前が死ねばそこからは解放されるだろう。だが、その苦しみの中にリナは存在している」


「苦しみの中に?」


「リナの記憶がお前を苛めるのだろう? そこには彼女を思う気持ちが確かにあるはずだ。お前が消えてしまえば、その気持ちも、お前しか知らないリナの姿も、全て消え去ってしまう……永遠に。それはお前が望むことなのか?」


 私たちは戦いのために作られ、戦場で人としての感情を知り、そして死んでいく。その呪縛のようなサイクルの中で、まるであの工場のベルトコンベアみたいに、私たちの思いも流され消えて行ってしまう。私にしか感じ得ないかけがえのないものなのに。


「私は、リナを……」


 リナの冷たいままの腕を抱く。苦しみを、寂しさを、後悔を抱えるみたいだった。それごと、私は生きていかなければならない。


「ふっ、眼が変わったな」


 ミラが立ち上がろうとする。


「どうして私を突き放さない? 他のみんなにしたように、なぜ見捨てない?」


 逡巡があった。そしてミラは静かに言う。


「お前は強い。ただそれだけだ。それ以外の理由などない。夜が明ければ出発する。気を抜くな」


 彼女の声が、いつものように鋭さを取り戻していた。


 それがなんだか悲しくて──……。

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