第三部 開花

残響11 死を憎まば、生を愛すべし

 奪還目標であるロザリオへは、そこからの避難路を戦場にしないため、私たちは迂回ルートを徒歩で向かうことになった。


 道中に、形だけは保たれている街が横たわっていた。舗装された道路、五、六階ほどのビル群も戦いの爪痕は残るものの、朽ちてまではいない。


「どうやら、住民が早々に避難したのだろう。戦いも早期に決したはずだ」


 建物の壁には弾痕や爆破の傷跡がある。だが、道路脇に並ぶ車両や商店は人の営みを如実に残していた。この街には色がいくつも残っている。緑色をしたカフェの看板、白い外壁の病院、砲弾が突っ込んだショーケースに並ぶワインレッド、ネイビー、ベージュの服を纏ったマネキン……。私が気づいていなかっただけで、前回の戦場にも色はあったのかもしれない。


「かわいいお洋服……」


 リナの顔がショーケースの方を向く。彼女も人間だったなら、あんなおしゃれをしていたのだろう。その姿を想像して、心が満たされる。


「よそ見をするな」


 前を行くミラが叱責する。リナは身体をびくりとさせて前を向いたが、私には小声で、


「ミラは色のついた布を持ってるのにね……。私だってほしいよ」


 ミラの腰にはベルトのように黒い布が、腕にはくすんだベージュの布がプロテクターのように巻きつけられている。


「私語を慎め。今は進軍中だぞ」


 リナが慌てて口元を押さえる。


「聞こえてた……」


「怒られないように気をつけて、リナ」






「地図によれば、ここから南を突っ切るのが最短ルートだ」


 ミラの指さす先、崩壊しかかったガラスのドームが顔を覗かせる植物園が広がっていた。ビルの立ち並ぶ街の只中に、突然現れた広大な自然だった。仲間たちから感嘆のため息が聞こえる。灰色の街を見てきた私たちにとって、ここは心のオアシスだった。


 破壊され、錆びついたゲートを越え、植物園の敷地内に進んでいく。舗装された遊歩道は所々ひび割れ、そこからも青々とした草が勢いよく飛び出している。周囲に生い茂るのは、名前の分からない多種多様の木々だ。棘のような葉、光沢のある肉厚の葉、中には小さな白い花をつけた木もある。風が通り抜けると、それらの草木が触れ合って、ざわざわと音を立てる。その風が青々とした草と湿った土のにおいを届けてくれる。


「お喋りしてるみたい」


 リナが辺りをキョロキョロしながら歩を進める。心配だったので、彼女が肩からかけていたスチールバーク銃を預かることにした。手間のかかる子だ。他の仲間たちも見慣れない植物の中を興味津々に足を運んでいる。


 戦争などなかった頃、ここは人々で賑わったのだろう。未知の世界に足を踏み入れた人たちも私たちのように心躍っただろうか?


 なぜ人はこんなにも美しいものを放り出して戦いを始めたのだろう?


 遠くで風を切るようなヒュルル……という音が聞こえた。


「警戒しろ」


 ミラが声を飛ばし、私たちは散開して木々の間に滑り込んだ。


 十数メートル先で黄色い花が揺れていた花壇が突然、土を巻き上げた。地面を震わす轟音が走り抜ける。


「迫撃砲だ。私たちの存在に気づかれた」


 ミラが来た道を振り返る。植物園までのストロークの長い道に次々と着弾して、痛々しい穴を開ける。見通しの良いあの道を戻るのは危険だと、私にも分かる。さっきまで足取りの軽かったリナが私のそばにピタリとくっついた。


「植物たちが……」


 長く続いた砲撃の雨が止んだ頃には、ムッとするような青臭さと土のにおい、ざわめく草木の中でぎしぎしと悲鳴を上げて巨木が遊歩道に倒れ込む音がする。ミラがそれらの音に紛れて短く指示を飛ばす。


「敵はこちらにやって来るはずだ。今のうちに温室に向かう」


 身を低くして木々の間を駆ける。柔らかい土の地面が足を取って、悪夢の中を走るようだった。






 崩壊したガラスの天井が高い。


 巨大な温室の中には外にあるもの以上に珍しい草花が所狭しと並んでいたが、ガラスが破れた環境では生命を維持できなかったのか、枯れているものも多く見られた。私たちはそれらの植物や腰高の壁などの遮蔽物の間をゆっくりと、しかし、慎重に進んでいった。


 ガラスの壁を反射して、どこかで金属の足音が群れを成しているのが分かった。音を発さないよう、私は軋む右腕を、リナは動かない左の足首をケアしながら、ミラの後について行く。


 止まれ、とミラのハンドサイン。いくつかのグループに分かれた私たちの隊はそれぞれの遮蔽物の影で息を殺した。


 向こうから草木を蹂躙しながら、中型の黒い鉄の化け物の一団が現れた。黒く伸びた砲身が見える。さっきはあれで砲撃を放ったのだ。これまでの戦いを思い返す。一歩間違えれば、死んでいたかもしれなかった。隣のリナはスチールバーク銃を抱きしめるようにしている。戦う気持ちと逃げ出したい気持ちがせめぎ合っているのだろう。


 彼女の手が伸びてきた。しっかりと握り返す。


 どうして私たちは触れ合う感覚などないのにこうするのだろう? 人の真似をしているから? でも、私たちは初めから知っていた気がする。手を握り合うだけで、心が安心するのだと。


 私たちは人間だったのだ……その確信が時間を追うごとに強まっていく。では、なぜ私たちは傀儡乙女ソウルドールなんだろう? 目の前の光景は丸ごと、夜の深い藍色が地平線の彼方に飲み込まれていく瞬間に見ているほんの短い悪い夢なのだろうか?


 リナが私にしか聞こえない小ささで呟く。


「人として出会っていたら、もっと違っていたのかな」


 彼女の言葉に、私は応えられなかった。違っていたなら、彼女をもっと笑わせたかった。


 心を掻き毟りたくなる。この子をもっと喜ばせてあげたい。ここが人の笑いで溢れていた頃だったら……こんな時代じゃなかったら、こんな身体じゃなかったなら。


 敵が草木を踏み躙る音がする。抱えるスチールバーク銃が今は私を押し潰すように重い。奴らさえいなければ。武器さえなかったら。


 リナの琥珀色の瞳が恐怖と不安に塗り潰されていく。たとえこれが悪い夢だとしても、私は大切だと思える存在に出会ったのだ。そばにいるのに、彼女を笑わせられないなんて、あまりにも苦しい。今すぐに敵を一掃すれば、リナもきっと安心して──、


 戦いだけが全てじゃない──、唐突に私の中にアイリスの言葉が蘇った。


 不安や恐怖を忘れさせたい……リナを抱きしめようと身体を捻った。その時、私の腰に差していたフェアバークが地面をガリッと引っ掻いた。


 金属の足音が止まる──。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る