第十三話


 話しが尽きないのは、心が通い始めたからかもしれない。


海原うなはらくん、きょうはわざわざ来てくれてありがとう」

 やや赤い目をしながら、三藤みふじ先輩が戻ってくると。

「明日からは登校するから、この後は『学校』とは関係ないお話しをしても、いいかしら?」

 僕にそう提案する。

 制服姿の先輩と後輩という関係性の僕たちが、あえて学校と関係ない話しをする。なんだか奇妙なことだけれど、よくわからないうちに。どうやら藤峰ふじみね先生から与えられた僕のミッションは、無事完了したようだ。

 もちろん、このふたりの時間を自由に使える贅沢を放り出すほど、僕は野暮ではない。

 先輩ともう少し話しができるのは、僕だって大歓迎だ。


「じゃぁ、まずは海原くんからどうぞ」

 いきなり、僕ですか……。じゃぁ、えっと。

「あ、僕の家と、結構近所だったんですね」

「そうね、知っているわ」

 じゃぁ小学校は? そう聞きかけて。あぁこれも『学校』の話しかもしれないと、僕は慌てて口に出すのを止める。

 おそらく、先輩もそれに気付いたみたいで。以降はふたりとも小学校も中学校も幼稚園のことさえも、話題に出さない。


 高校生の身分において、学校の話題を塞ぐということは。割となんというか、過去の大部分が閉ざされてしまった気になる。

 だから正直、最初は先輩と話が続くのか心配になったのだけれど……。

 だがそれは、一瞬の杞憂でしかなかった。


 互いに好きだとわかったので、本の話しを始める。

 何年生のときに読んだとかではなく、互いが読んだことのない本のあらすじを紹介したり、本の中で好きだったフレーズを紹介したりし合う。

 話題としては、たったそれだけだったけれど。

 縁側に吹く風が冷たくなる時間まででは語りきれないほどに、いつまでも会話が尽きることはなかった。


「丁度よい機会ですし。お夕飯もいかがかしら?」

 そんな三藤母の申し出を断ったのは、僕ではなくて三藤先輩だ。

「また来てもらうから、それでいいいじゃない……」

 伏せ目がちにそういうと、先輩は挨拶もそこそこに。自分の母から僕を引き剥がすようにして、僕を家の外に連れ出す。



「……海原くん、きょうはありがとう。いまはそれだけ、伝えたい」

 やや物憂げで、ほんのり潤みがちで。

 それでいてどこまでも澄んだ紺色のふたつの瞳が。

 このときも、僕をしっかりと見つめていた。


「こちらこそ、突然お邪魔して申しわけありませんでした」

「海原くんからではなかったけれど、事前に電話は貰っていたわ」

「そういえばそうでしたね」

 藤峰先生が、どんなふうに伝えたのか少し気になったけれど。まぁ聞いても仕方のないことだろう。


「それでは、また明日」

「また明日。おうちまでは、歩いて帰るのよね?」

「はい。並木道に沿って歩けば、すぐに着きますから」

「そうね、いまならよくわかるわ」

「えっ?」

「な、なんでもないわ。……じゃぁまた明日」


 僕は、まっすぐ続く桜並木を歩き出す。

 先輩が丁寧にお辞儀をしてから、控え目に手を振っているのが見えて。

 それからなんとなく気になって、またしばらくして振り向くと。まだ先輩が、こちらを見てくれている。


 僕の視力では、そろそろ限界だけれど、道はまだまだまっすぐ続く。

 そういえば先輩の視力は、どれくらいまで見えるのだろう?

 そう考えると僕は、自分には見えていないけれど、もしかしたらという思いで。歩きながら幾度となく振り返り、先輩に手を振ってみた。


 これじゃぁ夏は暑いし、冬は寒いし……。

 いつまでも先輩に待っていて貰うのは申しわけないから。次に帰るときは、三藤先輩に玄関に入ってもらってから、僕が出発しよう。


「あれ?」

 いったいなぜ僕は、こんなことを考えたのだろう?




 ……海原くんの姿が、ついに見えなくなってしまった。

 そのことだけを考えながら家の中に戻ると、母が明らかに残念そうな顔で、わたしに話しかけてくる。

「本当によかったの? わたしももっとお話ししてみたかったのに」

「いまからだったら、大した料理も出せないでしょ。それなら、別の機会でいいじゃない」

「あら、ということは。『次』があるということかしら?」

「べ、別にそういう意味じゃなくて……」

「じゃぁ、どういう意味かしら?」

 母が、意味ありげな顔でわたしを見る。もう! 少しは余韻に浸らせてよね。


 一呼吸おいて。

 少しだけ遠慮がちに、母がわたしに聞いてきた。

「海原君、だったのよね?」

 わたしは小さく頷くと。

 ちょっと片付けてきますと伝え、母の前から隠れるように急いで消える。


「あんなに耳を赤くしてしまってまぁ。それにしても……長いような短いような。不思議なご縁もあるものねぇ……」

 だから母の独り言は、わたしには聞こえなかったし。


「わたしが、間違える訳ないじゃない」

 そんなわたしの独り言も、母には聞こえなかっただろう。




 ……時刻を日中に戻して。

 海原君が既に駅から電車に乗って、月子つきこちゃんの家へと急いでいたのと同じ頃。

 学校から駅へと向かうバスの中で。

 わたしの前の席に座る高嶺たかねさんは。

 とにかくイライラしているみたいだった。


「まったく! なんなの? いつのまにかアイツ消えちゃったし!」

「う、うん……」

「結局きょうも、二年生わけわかんないし!」

「そ、そうかぁ……」

「で、さぁ! なんで山川やまかわが、わたしの前に座ってるわけ?」

 比較的空いているスクールバスの車内に、少しだけ大きな声が響く。

「えっと……。た、高嶺さん。たまたまだよ、たまたま。駅まで長いんだし、俺だってバスで座りたいし……」

「……ったく、人の話聞いてる? なんで海原消えちゃってんの?」

「……お、俺にいわれても」

「じゃぁもういいから、うしろ向かないで! 前向いてなよ!」

「え、ええっ……」

 そんな理不尽な会話が、目の前で繰り広げられている。


「高嶺さんって、やっぱり面白いよね!」

 うずうずして、思わずわたしが声をかけると、驚いて高嶺さんが振り向いた。

「ウソっ、都木とき先輩! 気付いてなくてごめんなさい!」

「いいのいいの。で、ほらほらー。かわいい一年生がなにかいってるよ〜」

 わたしは、隣に座る長岡ながおかじんに話しを振る。

「あ、もしかして長岡先輩だったんですか? わたしを褒めて下さったのって!」

「お、おぅ……」


 ……と、ここまでは良かったのだけれど。

「そうだ、都木先輩!」

「ん? どうかした?」

「海原がどこかに行っちゃったんですけど、なにか知ってませんか?」

 ……あまりに直球できた質問に、一瞬わたしの表情が固まって。

 それを瞬時に見抜いた後輩の両目も、大きく開いて、固まってしまった。



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