5話 体温

「……少しだけ、実験?」


 なんとなく言葉を濁そうとして、そんな言葉が出てきた。

 本当のことをそのまま言うのはなんだか怖いし、かといって嘘を言うのも嫌だったから。

 だからすごく、曖昧な返事になってしまった。


「話せる範囲でいいんだけど、どんな実験してたの?」


 案の定、追加の質問。

 怖くて顔は見れないけど、きっと真面目な顔をしてるんだろうと勝手に想像する。

 この世界の人たちは、異世界について知ってるのかな。

 そもそも、そういう概念が存在しているのかもわからないけれど。


「……」


 少しの間、沈黙が場の空気を支配する。

 数十秒しか経ってないはずなのに何分も経った気がするのは、きっと居心地が悪いせいだろう。


「――異世界に行けるっていう、都市伝説を試してた」


 ずっと考えてたらなんだかどうでもよくなって、いっそ正直に話すことにした。

 信じてくれなくても記憶喪失だって言えばいいし、信じてくれても――なるようにしかならないと思うから。


「異世界……」


 目を瞑って手を顎に当て、考えるようなそぶりをするレイはとても真剣そうに見える。

 いいことなのかはわからないけど、とりあえず信じてもらえたっぽい……?

 それならいいけど――と考えていると、レイはきりっとした目つきでこちらを見据える。

 もう少し踏み込んだ「なんで」を聞かれると思ったけど――


「……ねえ、明日香。貴女は、元の世界に帰りたい?

それとも、帰りたくない?」


 なんというか、想像の斜め上の質問だった。


「……」


 少しだけ言いよどむ。

 ここで帰りたくないと言えば、今までのレイの行動からしてきっとまた私にいろいろしてくれる。

 でも、そんなことをしてもらう価値があるのかと言われると、ないというしかなかった。


 かといって帰りたいというとまた学校や義家族に迷惑をかけることになるし……そんなの、私がここに来た意味がない。

 本音を言うと帰りたくはなかった。


 嘘を吐くのか、厚意に甘えるのか。

 きっとみんなならすぐ決断できるんだろうけど、私にとってそれはどちらを選んでも迷惑をかける選択だった。

 どうを答えるのが正解なんだろう。


「――ああもう、焦れったいな」


 何か小さな言葉と一緒に、「ごとっ」みたいな音が聞こえた気がした。

 きっと私に愛想をつかしたんだろう。

 きっと私を怒りたいんだろう。

 そんな不安が頭の中でこだまする。


 そして、それを裏付けるかのように近づいてくる足音。

 さっきまでの静かな音じゃなくて、なんだか不安と怒りが混じった怖い音。

 でも大丈夫。

 叩かれたりするのには慣れてるから。

 それに、それで気持ちが収まるならそれが一番だと思う。

 何も出来やしない、周りに迷惑をかけるだけのヒトゴロシなんて、それくらいしか役に立てないもん。


 だから硬く目を瞑って、来るであろう痛みに対して構えていたら――それとは違う、慣れない感覚が身体を包んだ。


「!」


 目を開けると、後ろからレイが抱き着いていた。


 予想外。

 推理アニメを見ていたら、犯人が探偵だった気分。

 あまりに急な展開に、あたまが追いつかない。


「えっと――」


 何か声をかけようと思ったけど、なんだかうまく考える事が出来ない。

 ふわふわとイメージが浮かんでくるけれど、普段のように言葉にできなかった。

 きっとレイの体温で「考える」と言う機能がとけてしまったんだろう。


 でも、嫌な感じはしない。

 だからあったかい感覚に身を任せて、ただ小さくため息を吐いた。


「……今まで、辛いことがあったんだよね。

たくさん、頑張ってきたんだよね?」


 優しい声がする。

 正直この言葉だけだったら、「知ったような口をきいてほしくない」なんて思ってたと思う。

 でも、そうはならなかった。

 私の何かを、どこか別の場所で知っているような。

 そんな不思議な説得力(と言っていいのかわからないけど)があった。


「元の世界に帰れるかもしれない、だけどそれを言わなかった。

きっと、そこで良い思い出が無かったんだよね」


「……」


 いい思い出。

 どういうものなのかはわからない。

 そういう物語は、義両親が視ていたテレビや友達の自慢話でしか知らないから。

 この人は知ってるのかな。


「この世界に居残りたいと考えてるけど、それも言わなかった」


 残りたいのかどうかは、ちょっとわからない。

 どこにいても迷惑になるから、欲を言えばきっと誰もいない場所に行きたいんだろう。


「私に……ううん、この世界に住む人たちに、あまり迷惑を掛けたくないんだよね」


 そんな考えを、少しだけ見透かされた気がした。

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