第12話 松永弾正久秀

 総合駅まで彼女と帰ることになった。

 みひろはタヌキの絵を見せたあと黙りこくっていたが、雑踏の中次第に笑顔に戻っていった。

 彼女は駅近くの大きな書店に行きたいといい、僕はついていった。

 ちょっと資料に使いたくてといって夜と霧という本を買っていた。

 タヌキの絵を描いた時以外、彼女は僕に実に敬意あふれる態度で接してくれた。つまりちやほやしてくれた。今時キャバクラでもこんなにちやほやなんかしてくれない。

 僕は有頂天になった。

 みひろは僕をハーフアンドハーフが美味しいパブがあるからそこに食事に行こうと誘ってくれた。このような美しい娘に「何かを誘ってもらえた」というのは生まれて初めての経験だった。

 パブでは杯を仰ぎながら酔いにまかせ、僕はくだらない美術論をとうとうと語った。

 彼女の話は楽しかった。童話や物語の専門的な話だった。大学院ではフィクションとノンフィクションの境界を研究しているという。

 とても良い時間が過ぎていった。

 3杯目を飲むころ、不思議な恐怖感が僕を襲った。

 それはそうだろう、僕は詐欺師のように噓をついているのだから。

 彼女は落伍者の僕を美術の世界のトップエリートだと思い込んでいる。

 4杯目から、ただただその恐怖感に耐えるだけの座になってしまった。

 礼を失しないようににこにこして、彼女の話を聞き、相づちをうっていたが、不快な汗が止まらなかった。

 5杯目で、この恐怖が種類としては松永弾正の恐怖に似ていると思った。


「ねえ、松永弾正って知ってる?」


「知らない」


 みひろはそう答えた。松永弾正の話をした後、僕の正体を打ち明けることにした。そして僕はこんな話をした。

                   

                  *

 室町の世が終わり、戦国も半ばにさしかかったころ、松永弾正久秀という武力絶倫、智謀わくがごとしの猛将がいた。三好家の重臣だったとき足利将軍を弑し、大仏殿を焼き払った。

 これは彼が織田家の方面軍司令官になったころの話だ。

 善悪は別にして名のとどろいた豪傑であり名士だった彼は、浮世は一幕の芝居、幕を下ろすべき時に下ろせばそれでよいと考えており、この世に恐れるものは何もないと豪語していた。

 そんな彼に妖術を扱う著名な法力士と対面する機会が訪れた。

 この法師は果心居士という幻術使いとも、飛び加藤という忍びだったともいわれている。

 謁見の宵は広い屋敷に彼らしかおらず、人を呼ぶにはかなり歩いて大声をたてねばならぬ風情だった。灯がいらないほどの光を満月がこうこうと照らしていた。

 慢心からか興味からか戯れ言か、久秀は自分の前に座る法師にこう言った。


「わしは生まれてこのかた恐れというものをいだいたことがない。はてさて、肝が冷えるとはいかなるものか、そちは幻術を使うという、それでわしを恐れさせてみせよ」


 杯をふくみ久秀は笑っている、法師はこの頼みを聞くことにした。


「承知いたしました。ただ何が起こるかわかりませぬゆえ、お腰のものだけはお手元に置かれませぬように」


 久秀は素直に従い大刀脇差を別の間にうつした。

 法師は久秀を座敷の中央に座らせ姿を消した。

 らんらんと照りつけていた月の光は雲にさえぎられたのか、はたと姿を消している。小さな灯明がたよりなくゆらぎ、部屋は暗闇を抱え静まりかえっていた。

 久秀は杯を離さずにやついていた。

 鬼がでるか蛇がでるか、百鬼夜行がまとめてくるか、どのような化け物がでてこようと胆力剛力で組み伏す自信があった。

 何十倍の敵を相手にしんがりを務めた初陣。もはやこれまで、と修羅場の中で幾度覚悟したことだろう。様々な権謀術数、むごたらしい人間の本性。

 久秀にとって化外のものなど、じつにかわいげのあるものだった。

 ふと、灯明の火が消えた。無風である。部屋が漆黒に沈み込む。

 すわ、くるか、化け物め、久秀は闇の中白い歯を見せた。

 月の光がもどったのか障子のむこうがうっすらと青白くなっている、先ほどまでの虫の声がぴたりとやみ、音が全く消え失せていた。

 隣に女がいた。

 髪が長く、白い着物を着ている、顔はよくわからない。

 聞き取れるか聞き取れないかのか細い声で女は話した。


「あなたさま、おひさしゅう、おからだ、おたいせつに、なさっておられますか」


 その女は昨年病で亡くなった恋女房だった。

 若いころ焦がれつづけ略奪するようにしてもらい受けた女だ。そののち苦労ばかりかけて死なせてしまった。

 人を信ぜぬ久秀がこの世で唯一、心のすべてをあずけていた女だった。

 その亡霊を前に久秀は声にならぬ悲鳴をあげ続けた。































 

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