第17話
「上級侍女のお部屋はやはり広いですね」
「まあ……そうね」
ルナ・アーシアの言葉に肯定はしたが、そうだったのか、というのがセレナの素直な感想である。他の侍女の部屋に招かれたこともなければ、文官の居室がどのようなものかも知らない。広い後宮のなかで、セレナが知るのはほんの一部だけだ。
「身分付きの女官は個室が割り当てられていますが、身分のないものは合同部屋なのです」
へえ、と頷くと、またも部屋を見渡して、下女が淹れた茶で唇を濡らす。そんなに眺めても楽しいものではないだろうに、ルナ・アーシアはずいぶんと細部まで観察しているようだった。
それにしても、合同部屋か。セレナであれば耐えられない。否、セレナにかぎらず、多くの令嬢がそうだろうと思う。
「あと、下級侍女の個室はこの半分よりも狭かったと記憶しています」
「詳しいのね」
「元々は私も下級侍女ですから」
さも当然のように言われたが、ルナ・アーシアが侍女をつとめていたという話は初めて聞いた。セレナがぼんやりして聴き逃したのでなければそのはずである。
「皇后陛下の下級侍女として後宮入りしたのですが、字が気に入ったとかで……」
「陛下らしいわね」
彼女はとても綺麗なひとであるし、ルナ・アーシアをシェイルアード帝国の後宮に留学という名目で送り出した本国の思惑も邪推したくなってしまう。とくに、リービル九世が即位してからの後宮は拡大を続けており、皇帝のお手つきを狙って他国から送り出された令嬢も珍しくはない。運良くお手つきとなり子に恵まれたのならば、外交面で利益も出る。
夜毎、皇帝陛下は皇后陛下や皇妃殿下の元へお渡りになっているようだが、その一方でお手つきとなった侍女や文官も増え続けていた。後宮の増築も終わりを見せない。ふた月にひとりはお子が誕生しているのだから、いまだ子の降りてこない皇后陛下も心が休まらないであろう。
「ところで、すごい数ですね」
「……本当に。後宮に居れば袖をとおす機会もほとんどないというのに、ことあるごとに実家から送られてくるのよ」
「セレナ嬢を着飾らせたくなるお気持ちはよくわかります」
ルナ・アーシアが目を留めたのは本日の本題、ドレスの山である。どれもこれも、まだいちども着用できていないものだ。
すべて家族から贈られたもので、この先しばらくは衣服に困らないのでは、と思ってしまうくらいには量が嵩んでいる。ドレスは流行物で流行りが廃ってしまえば着られなくなってしまうのに、なんとも贅沢なこと。
「気に入ったものがあれば差し上げるわ。少し直せば着られるでしょう?」
「え、ありがたいですが、私こそ着る機会なんてほとんどありませんよ」
「それは……たしかにそうね」
日々、サロンでお茶会を開いているような侍女や文官たちならまだしも、セレナやルナ・アーシアはそういった場にもあまり顔を見せない。
仕方ない。置き場に困ったら、セレナのファンを自称するあの子たちにでもプレゼントしよう。
リュニと目をあわせると、指示がなくとも意を汲み取ってくれる。そそくさと試着の準備を始めた。
リュニは二歳年上のお姉さんで、たしかセレナが五つのときに専属となったはずだ。専属と言っても、いわゆる遊び相手や話し相手という程度であるが、乳姉妹でもある彼女は生まれたときから傍にいてくれている。雇用主の令嬢と下女という大きな身分の隔たりはあれど、もはや家族と言っても過言ではない。
そのリュニといられる日も、実はのこり僅かなのだ。彼女には婚約者がいて、セレナが後宮出たら籍を入れることが決まっている。
リュニが結婚する時にこれらのドレスを押し付けるのもアリか、なんて考えていたら、試着の準備が完了していた。ドレスは売れば金に替えられるし、アリだ、アリ。
「アーシア様、どれにいたします?」
「へ?」
「へ、ではなく。わたくしを着せ替えて遊ぶのでしょう? お人形になって差し上げますから、早く選んで」
そのために招待したことは手紙のやり取りでもわかっているだろうに、なにを呆けているのか。
しばらく逡巡したのち、立ち上がるとドレスを吟味しはじめた。武芸も嗜んでいるからなのか、動きだけでなく、立ち姿ひとつとっても美しいひとだ。
「セレナ嬢は色味が強いものがお似合いだと思うのですが、淡い色がお好きなのですか?」
「それは父と長兄の好み。わたくしのことをまだ十にも満たない幼子だと思っているの」
「あはは! なるほど……では、これとこれ、あとはこれなんていかがでしょう」
ドレスの山は水色やピンク、明るい黄色などが多い。セレナ自身もこういった淡いものより彩度が高いものを好むが、父や長兄に任せると色合いが幼女と化す。
ルナ・アーシアが選んだのは真紅、紺、白に碧の差し色が入った三着だった。どれもこれも母のセレクトであるのは、偶然か必然か。
パステルなドレスに比べれば、偶然でも必然でもなく当然ね。と胸中で呟いた。
「これらは少し背伸びしすぎかと思っていたのだけど」
母が贈ってくれるものはドレスにかぎらず、アクセサリー類ですら大人っぽいデザインのものがほとんどで、大人の自覚がこれっぽっちもないセレナが選ぶには少し勇気が足りないものばかりだった。
「初めてお会いしたときは、たしかにまだ少女の面影がありましたが」
セレナの身体に真紅のドレスを宛てがい、目を細めて微笑む。
「いまでは、薔薇のように素敵な女性ですよ」
「……口説かないでくださる?」
「美しいものが目の前にあれば褒めるのが当然では?」
はいはい、と適当に流して、受け取ったドレスをリュニに渡す。
その場でぱさりとショールを脱ぐと、ぎょっとした顔のルナ・アーシアがくるりと背を向けた。
「裸になるわけでもあるまいし、見てもいいわよ」
「…………いえ……はい」
長考の末、ふたたびこちらへと振り返る。結局、視線はうろうろと彷徨ったままだ。
どこか挙動のおかしいルナ・アーシアをおきざりに、リュニがてきぱきと簡易的にドレスを着せていく。試着が目的なのだから、簡単で良い。
ドレスが赤だからアクセサリーはあれにしようか、それとも、なんて考えを巡らせていると、視線を感じてそちらに目を向ける。視線が逃げていく。こちらの視線を外せば、また感じる。そんなこんなしているうちに、大した時間もかけずに一着目が完了した。
「どう?」
「薔薇園の妖精と言われたら信じます」
「口説かないでってば」
鏡に映る自分を眺める。たしかに、悪くないかもしれない。色の強さから派手かと思ったがそうでもなく、多少大きめのアクセサリーをあわせても良さそうだ。小さなものだと、真紅に負けてしまう。
「次はどれ?」
「早いです。もう少し余韻を楽しませてください」
「余韻ってなによ……」
余韻は余韻です、なんて笑いながら、リュニに紺のドレスを渡した。光沢のある生地が美しいけれど、背中が開いたデザインはなかなかに大胆だ。
薄手とはいえ下が寝巻きであるため、試着の段階では背中が見えないが、身体のラインが浮き出るような形もセクシーだった。少々挑発的なデザインだが、装飾を控えたシンプルさもあり、非常にバランスが良い。
「美しすぎて婚約者には着せたくないドレスですね。悪い虫が集ってくるかもと心配になります」
「お父様の前では着られなさそうだわ」
「こちらを着て夜会に赴くことは反対されないかと思いますが……おそらく一切の隙なくお嬢様にくっついて周られるかと思いますよ」
リュニの言葉に思わず笑いがもれた。セレナについて周る父の様子は、あまりにも簡単に想像できる。
色の派手さは先ほどの真紅に劣るが、生地の光沢やデザインのおかげか、こちらのほうが派手に見える。アクセサリーは控えめにして、足元で遊びたい。
「次はこちらを」
「あら、余韻は良いの?」
「これは、私には少し刺激が強すぎました」
照れたように言われると、なんだかこちらまで恥ずかしくなった。
三着目は、白地に碧の差し色が入ったドレスである。三着のなかで最も装飾が多く、肌の露出も控えめだった。
リュニに着せられているあいだ、ルナ・アーシアはこちらをじっと注視している。そのくせやはり、セレナが顔を向けると目を逸らす。見つめて、逸らして、視線の追いかけっこは終わらない。見たいなら見ればいいのに。
「お似合いですね」
「ありがとう」
装飾が多いと思ったが、実際に着てみると品が良くて楚々として見える。派手さはないが、碧の差し色が程よく全体をまとめていて上品なドレスだった。ドレスの色味とはまったく違う色の宝石をあわせても違和感がなさそうで、アクセサリーの幅が広がるところも良い。
けれど。
「わたくしより貴女の方が似合いそうだけど」
「えっ、私ですか?」
「ええ。着てみる?」
リュニに目配せをすると、心得たと言わんばかりにドレスの山から一着を引きずり出した。
「実はこれ、色違いがあるの」
「碧は奥様から、こちらの紫はシルヴァン坊っちゃまから贈られたものですね」
シルヴァンはセレナの次兄である。ところでリュニ、本人に向かって坊っちゃまと呼ぶと怒られるので気をつけた方が良い。
母が選んだこのドレスに、セレナには紫のほうが似合うと次兄がケチをつけて送りつけてきた、というのが事の顛末であるが、顛末と呼べるほどのものでもなかった。
「リュニ、着せて差し上げて」
「承知いたしました。アーシア様、お手を触れることをお許しください」
「え、え、あぁ、はい、許します?」
あれよあれよと言う間もなく文官らしい簡素な服が脱がされ、肌着の上からさっさと着付けられていく。
晒された肩も腕も、馬術と弓術を嗜んでいるだけあって健康的に鍛えられている。女性的で優美な線を残したまま鍛えられた身体を羨む令嬢も多いことだろう。
「うん。やっぱり貴女のほうが似合うわね」
「えぇと、ありがとうございます」
白をまとったルナ・アーシアは清廉な雰囲気で、思ったとおり良く似合う。照れたように毛先に触れた指先まで、嫋やかに見えた。
セレナにあわせたサイズだが、とくに直す必要もなさそうなので、このままあげてしまっても問題はなさそうである。いちども着ないまま手放すことになって次兄には申し訳なく思うが、ドレスだって似合う人に着られた方が嬉しいはず、と納得させた。
「夜会、おそろいで行く?」
「はい!」
「……いい返事ね」
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