第4話
ラッドが、ふたたびギョッとした顔で叫んだ。
「後宮に魔族が入り込んでいたってことか!?」
「ええ」
「……そんな当たり前みたいに……」
魔女も、知った当初は驚いた。否、あの人が魔族であったことに驚き、悩んだだけで、よくよく考えてみれば帝国の中心部に魔族が入り込んでいたことはそう大して憤ることもなかった。魔女は昔から、政治には興味がないのだ。
魔女も後になって知ったことであるが、魔族領も人間の領域と同じく、いくつもの国にわかれている。その情勢がどうなったかなど知る由もないが、魔女がこうして生きているということは、あの人もまた呼吸をして、心臓を動かしているということだ。たとえ魔女があと百年、破滅せずに生きていたとしても、あの人が死ねば、番の魔女もまた死ぬのだから。
魔族と一括りに言っても、そう単純な話ではなく、その内部はさまざな種族や派閥、宗教、文化があって、なかには人間に敵意のない国どころか、友好関係を築こうとする国だってある。そして、家を継ぐためには一定期間人間領に留学をしなければならない、なんて突拍子のない決まり事をもつ国もあった。
故に、人間たちが気づいていないだけで、この社会には数え切れないほどの魔族が混ざりこんでいるのである。
「知らなかった……」
「知っていたからと言ってどうにもならないわよ」
なぜ? と問うたレーミに、端的に返す。
「わからないもの」
「なに、が……?」
「先程、ラッドさんがおっしゃっていたけれど、幻影の魔術なんてものは存在しないのよ。人間たちのあいだでは、魔族は角や羽があり、肌が青い異形だ、と言われているけれど、どこからどうみても人間とかわりないわ」
そう。なにもかわりない。
見た目も、生きるために呼吸や食事が必要なことも、傷つければ赤い血が流れることも、怪我や病で死ぬことも、国同士でいがみあうことも、面倒な文化やしきたりを抱えていることも。そして、誰かを愛し、愛されることも。なんら、かわりはない。
魔族の血には魔力と呼ばれる物質が含まれ、それが魔族の膂力をヒト族より強いものとさせ、魔法という不可思議な力を与え、寿命を奪った。種を繁栄させ、種を繋いでいくための繁殖力を奪った。
「人間の国に溶け込んだ魔族は、けしてひとに危害を与えない」
「なぜ、そう言い切れる」
「死ぬから」
これもまた、端的に答えた。
そう、死ぬのだ。魔法とは不思議な力で、それらを扱う魔族たちですら、己のもつ力を解明しきれていない。そんな不可思議な魔法の中に、誓約の魔法というものがある。さまざまなところに応用され、そして魔女の身を縛る魔法でもある。誓約の魔法は二名のあいだで成立し、その誓いを守らせる。誓約には恩恵もあるが、不履行の際の制裁はそれを凌駕するほど重いものであり、その誓約が重ければ重いほど、制裁もまた重たくなるのだ。そのため、誓約の魔法が使われるのはよっぽどの時であり、魔族がヒト属に混じるというのはそのよっぽどの時にあたる、というわけだ。
「本人が死ぬだけならまだしもね、一族郎党皆殺しなのですって」
怖いわよね、と述べて茶のおかわりを淹れる。魔女はふと思う。このからだにも、いつか薔薇が咲くのだろう、と。
なるほど、と頷くと同時に、彼らは理解しきれないその文化に納得がいかぬような顔もしていた。納得がいく、いかないの話ではない。そういうものなのだと受け入れるしかないのが、他種族の文化というものだ。
あの人も、そんな誓約の魔法に縛られたひとだった。誓約なんて、ものは言いようで、魔女にしてみればそれは呪い以外の何物でもない。けれど、そこに怒りをみせれば魔女も一歩死に近づく。魔女もまた、その呪いに縛られた女なのだから。
「セレナさまが十代の頃と言うと、その代のシェイルアード皇帝は……えーと、九十年前だから……ラッド、誰だっけ」
「知らん。王国史ならまだしも、帝国史なんざまともに学んでいない」
「リービル九世。歴史に残る暗君として、リービルの名を帝国に捨てさせた愚かな男」
あ、その人! と手を叩くレーミに頷いて見みせる。後宮に三桁を超す皇妃をかき集め、そのせいで財政を圧迫し、当時の皇后であった他国の姫を死においやり、戦の原因をつくりあげた。忠臣を排し、奸臣を集め、ばら蒔いた種で膨れ上がった皇位継承者に泥沼の継承権争いをさせ、危うく大陸一の大帝国を傾けかけた暗君。後代の皇帝たちはリービルの名は縁起が悪いとし、その名を冠することをやめた。
冒険者たちの組合は裁量組合を名乗る、領土を持たない自治組織である。大陸中の国に跨って事務局を置き、冒険者や傭兵を取りまとめる。平民、貴族、王族、犯罪者を除くどのような者からも依頼の代行を引き受ける、いわば一種の派遣業であるのだが、組合に身を置く冒険者は孤児や定住を持たない者が多く、その性質上、治安はあまり良くはないと聞く。しかし、多くの国に跨る自治組織であるぶん、冒険者としてではなく事務局員となるものたちはある程度の厳しい試験と教育を受けるそうだ。組合の運営に携わるものが賢くなければ、簡単にどこかの国に取り込まれる。そうなれば、大陸の力関係は大きく様相をかえるだろう。魔女の若かりし頃には存在しなかった裁量組合は、たった三十年ほどでそれほどまでに強大な組織へと成り上がったのだ。
彼らもまた帝国史を学んだことがあると予想できた。リーダーをつとめているのであろう彼女も、言葉遣いをもう少し正せば低位の貴族と話が出来る。
「あの……実際の月の王は、どんな方だったんですか?」
リッカの言葉に、どう答えたものかと逡巡を巡らし、開けた口を閉じてはまた開けるという行為を何度か繰り返した。そうしているうちに喉の乾きを覚え、魔女はまたひとくち、自家製のハーブティーで唇を濡らす。
あの人は、どんな人だったろう。客観的な人物像など、もはや魔女は語る口をもたない。こうして主観のみで話している今でさえ、あの人を語るのは初めてのことだから。
「優しい……優しい人よ」
「へぇぇぇ」
魔族に優しいもなにもあるかよ、というラッドの言葉に「そうね」と苦笑を残して、また少し、過去へと潜る。
「でも、少し強引な人だったわ」
貴女の心を大事にしたいのだと言ったくせに、待ちきれなくて唇を奪うようなひと。そのくせ、手を握ることもなかなかしてくれなかった。けれど、嫌だと言ったことは、けしてしない。
「飄々として、お茶目で、口が上手くて、わたくしよりよっぽど高貴で、高潔な人でもあった」
だから魔女はその人を恨み、憎悪する。だから魔女は、その人を恨みきれず、忘れることもできずにいる。自分ですべてを捨てたくせに、森の中に引きこもって、己の人生を呪っている。
魔女はふと思う。このからだにも、いつか薔薇が咲くのだろう、と。
「憎くて、憎くて、憎くて憎くて憎くて、たまらないわ」
憎い。魔女はいまだ、その人を憎み続ける。
「ハージュンも憎い。あの人も憎い。あの人を、あの人をあぃ……」
なにもかもが憎い。
「あの人を……」
この世の全てが憎い。
「あの人を愛した、わたくしが憎い」
憎くて、憎くて、憎くて、たまらなく憎くて、そして。
「あいたい」
たまらなく。
あのひとにあいたかった。魔女はただ、己を魔女に堕とした憎きそのひとに会いたかった。
「どんなひと……そうね、酷い人よ。わたくしを捨てた、酷い人。愛を囁いて、愛を誓って、そのうえでわたくしを捨て、ひとりの愚かな女を魔女に変えた酷い人」
ねぇ、あの日、あの時、貴女の言葉を受け入れたりしなければ、セレナ・べルネッタは幸せになれたかしら。貴女に身を寄せたりしなければ、セレナ・べルネッタはまっとうに生きられたかしら。
そんなありえもしない過去が、未来が、選択が、本当に幸せと言えるのかは、魔女にもわからなかった。
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