アポクリファ、その種の傾向と対策【それは生きる為に不可欠な儀式】
七海ポルカ
第1話
ッ……ッ……、――――ピ――――。
『……お休みのところ失礼いたします。グレアム・ラインハートです。
本日ドレスデン国際コンクールでユラ・エンデがグランプリを受賞したこと、お知らせ致します。
授賞式や、コンクールの特別プレゼンターとしての依頼、コンクール主催者であるドレスデン国王による、王宮での晩餐会の招待などが入りましたので【グレーター・アルテミス】への帰国が予定より遅れます。
二週間程度を予想していますが詳しい日程決まり次第、そちらに予定表を送らせていただきます。
後日、コンクールの映像と写真はお送りいたします。
このたびは、おめでとうございました』
……ピ……、ピ――――……
電子音がして通話が切れる。
しばらく沈黙が落ちたが、やがて深く包まっていた毛布から手が伸び、ベッドサイドの棚上に置かれた携帯を手に取った。
「…………グレアムから、グランプリ受賞の報告受けました。
おめでとうございます。色々予定が入ったようですが、身体はちゃんと休めて下さい。こちらのことは気にしないで大丈夫です。
受賞のお祝いは【グレーター・アルテミス】でゆっくりとさせてください。
貴方が戻って来ることを待っています。
……愛しています、ユラ」
音声モードで吹き込んだ言葉を、携帯がメールに変換して文章に起こす。
目視で文章を確認して、メールを送信する。
携帯を棚に戻してシザは毛布に包まり直した。
またしばらく静かになったが、シザは側のライトに手を伸ばした。
明かりがつく。
身を起こして、サイドテーブルに置いてあったノートパソコンを手に取る。
起動させてすぐに検索を掛けると、すでに速報ニュースが上がっていた。
ドレスデン国際コンクールは二十三歳までの若手音楽家に出場資格を与えられたコンクールであり、大変伝統と格式のある大会であるため、ここでの受賞者には多くの契約が集まるという。
また、更にランクの高いコンクールへの優先的な出場権なども約束され、まさに若手音楽家の登龍門的位置づけであるらしい。
速報の記事には今回のユラ・エンデの受賞が、ピアニストとしてはこの十年間出ていなかったグランプリであったということも書いてあった。
演奏している最中の没頭した姿。
弾き終わった直後の少し安堵したような表情に、
トロフィーを受け取って、向けられる多くのカメラに対して、少しだけ不安げな表情を見せている写真も載っている。
今回投票にも参加したオーケストラの指揮者が、ユラに対して『十五歳のピアニストではなく、彼の音楽家として費やした十五年の時間に敬意を示したい』という賛辞を贈っていた。
――十五年への賞賛。
このドレスデン王国出身の、世界的に有名な指揮者の手放しの賛辞に、十年ぶりのこのコンクールにおいてのピアニストの戴冠、ということが真実味を帯びてかなり現地では話題になっているようだ。
シザはノートパソコンを閉じ、ベッドにもう一度仰向けに倒れ込む。
ノートパソコンを片腕に抱えたまま、彼は眼を閉じ、再び深く毛布に包まった。
◇ ◇ ◇
【グレーター・アルテミス】に来て、半年が経った。
季節はすっかり春めいて来ている。
煌びやかなこの街は花咲き始めて、昼間から華やぐようになった。
一際目立つ【アポクリファ・リーグ】本拠地のタワービル。
特別捜査官として、広々と専用フロアに駐車スペースも与えられ、快適な毎日だ。
唯一この街に越してきて早々、出動だの取材だの撮影だの、インタビューだのと多忙で、自分のマンションの家が全く片付かなかったのだけが忌々しかったが、先日それもすべて片付け終わった。
首都ギルガメシュにそびえ立つ広々とした高層マンション。
これで女の子呼び放題の爬虫類飼い放題の猛禽類飼い放題だ。
「ん~♪ ほんとサイコーの街だよなァ~」
ライルは乗って来た車を悠々と停め、助手席で大人しくしていたフクロウをひょい、と脇に抱えると、降りて駐車場からエレベーターに乗り込む。
アポクリファのみが居住権を与えられるその特別な街の、特別捜査官と言えば特殊能力を持つ彼らの中の選ばれし者だ。
この街で与えられる特別捜査官の特権をこれ以上無く謳歌しながら、ライルは日々を楽しんでいた。
口笛を吹きつつエレベーターを降りると、早速そこのラウンジに同僚であるアイザック・ネレスの姿があった。
「よう」
アイザックがやって来るライルに気づき、挨拶して来る。
「うーす」
「おいっす、っつうかお前脇に抱えてるの新種のバッグかなんかか?」
「うん、そお」
「あっそ。新種のバッグ口開けて威嚇してっけど、噛みついて来たら俺滅茶苦茶キレっからな」
ライルは自分の肩に、抱えて来た茶色いフクロウを乗っけた。
「こいつうちで一番大人しいし一番小さいから平気平気」
「十分でけーよ。なに会社に猛禽類連れて来てんだよお前は……」
「いや~今日は麗らかな陽気で、久方ぶりに外に出たい素振り見せたから連れて来た」
「収録無しの会議だけだからって油断すんじゃねーよ。春はおかしい人増えるから出動増えんだぞ馬鹿野郎。お前はまだまだそういうとこ新米だよなァ、まったく」
「いーよ別に。俺のオフィスにもケージ置いてあるし。いざ出動掛かかってもそこ入れときゃへーきだしさぁ。それよか今日何時から全体会議だっけ?」
「十時。つーかお前知らずに何時をめがけて来たんだよ」
「何時もめがけてねえな。目が覚めて普通に準備して出て来た」
「いい身分だなー。……俺が新人の頃なんか会社の扱い酷かったもんだぜ、何でもかんでも雑用もやらされて、街の便利屋さんみたいなことまでこき使われてんのに給料低いわ休みないわ個人のオフィスどころかデスクも与えられねーわでよ」
「おっさん愚痴なら向こうでやれよな」
ライルがそこにあったソファに腰掛けて、煙草に火をつける。
「んで? おっさん来てんのにシザ先生が来てねーって珍しいな。もうオフィス入ってんの?」
オフィスは禁煙なので、ライルは出社すると必ずラウンジでまず一服する癖がついている。
最初はオフィスで吸っていたのだが、もう一人の同僚であるシザ・ファルネジアが喫煙をひどく嫌がって怒るので外で吸うようになったのだ。
彼は最初は不機嫌そうな顔をしつつ黙っていたのだが、ある日恋人に煙草を吸うようになったのかと聞かれたらしく、貴様のせいだといきなりキレられたのである。
シザは、普段は冷静で勤勉で何事も率先してやり、頼れる出来のいい同僚なのだが、時々何きっかけなのか分からないが情緒不安定なところを見せるのが玉に瑕だ。
特に例の恋人が関わると、周囲のことが何も見えなくなるらしい。
「いや、まだ来てねーわ。まぁあいつだから遅刻はしねーと思うけど……お。ほら、言ってる間に来た来た」
ライルが乗って来た同じエレベーターから、シザが姿を現わした。
「よぉ、シザ。珍しいな。寝坊か? 天パはこれだから大変だねえ」
いつもの隙の無い出で立ちだが、いかにも不調そうな表情で彼はやって来る。
「……いえ別に」
シザは何事にも完璧主義者なので、自分が寝坊したとかは許せないのだろう。
「可愛いカノジョにモーニングコールで起こしてもらえやいいのに」
ライルがPDAの映像投射で今日の新聞を読みつつ、からかうように笑って言った。
「気にすんなシザ、いつもより遅かろうがなんだろうが俺はとにかく遅刻しなきゃそれでいいんだからよ」
「知ってますよ」
「まだスタッフ揃ってねーけど。珈琲でも飲むか?」
「……ええ」
シザは足の長いチェアに腰掛け、頬杖を突いた。
「なによ。元気ないじゃんなんか」
「……別に。いつもと同じですよ」
「あんたって顔にホント感情出るんだね」
ライルが笑っている。
「俺こう見えても元警官だからさ~色んな人間の事情聴取とかもして来て、結構相手が何考えてるとか分かるんだよねぇ。今のあんたはねぇ、俺に言わせりゃ恋愛絡みの顔してる」
シザが瞳を開いて、ライルを睨んだ。
だがこれは【グレーター・アルテミス】にやって来てからずっとだが、多くの人間を凍り付かせるシザの直視も、元警官で対人関係において場数を踏んでいるライル・ガードナーには効かないらしい。
「例の恋人となんか面白くないことがあった?」
「人のプライベートに首を突っ込まないでくれって、いつも言ってません?
あんまり僕の機嫌を損ねるつもりなら、その肩に乗ってる猛禽類、そこの窓から放り投げますよ」
「うっわ~。弱いものイジメー。すっげぇカッコ悪い。あと捨ててもいいよこいつ飛べるしな」
「おいおい……なんだよ。なに喧嘩してんだよおまえら……」
アイザックが珈琲を淹れて戻って来て、すでに険悪なムードになっている二人に声を掛けた。
「やめろよなぁ、朝っぱらから殴り合いはよ」
「まだ殴り合ってません」
「俺も朝っぱらから殴り合いは嫌いだから心配しなくていい」
「お前はそうでもコイツは拳を振るうのに時と場合を考えない奴だから、取り扱い気を付けてくれよ……」
「取り扱いも何も、俺の目の前に来た時から苛々してんだもん。どーしようもないでしょ」
「五月蝿いな。静かにしてくださいよ。頭が痛むんです」
シザが蟀谷を押さえている。
「なんだ二日酔いか?」
「お酒なんか一滴も飲んでませんよ」
「風邪か?」
「引いてないです」
「じゃあ何よ」
「……寝不足気味なだけですよ。いいから放っておいて」
「おまえホントに今日顔色ちょっと悪いな。平気か? ――うおっと!」
突然PDAが鳴った。
出動要請のアラームである。
「会議はキャンセル……っと」
「うぃ~っす。今日もビシバシ悪い奴捕まえようかァ」
ライルが立ち上がってフクロウを肩に乗せたまま、のんびりとオフィスの方に歩いていく。
シザも立ち上がった。
「お前平気か? 別にいいんだぜ詳細見てあんま大きな事件じゃないっぽかったら。俺とライルで出動するし」
「……大丈夫です。それにこれは動いていた方が気が紛れる」
暗い声でシザは呟くと、蟀谷をぐりぐりと解すように手の平で押しながら歩いていく。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます