第4話 疑似デート

 まだ早い時間だったので、目的のお店が開店するまでは少しマーケットを見て回ろうということになって。私たちは街の中心部にある広場に向かっていた。


「見たいのは服飾関係ですか?」

「いや、特には決めてない。この時期ならではの物を見に行こうかとは思ってるけどな」

「この時期ならでは?」


 何を見に行くつもりなのだろうと首をかしげる私に、オーナーはこちらを横目で見て笑顔を浮かべただけで、そのまま結局答えは教えてもらえないまま。朝のマーケットでにぎわう広場に足を踏み入れたかと思えば、迷うことなくある場所に向かって真っ直ぐ歩いていってしまって。人が多いので見失わないように、私は必死にその後ろをついていく。


「そっか。今はオレンジが旬だったな」


 と、フルーツを売っているお店の前で立ち止まって、濃い色をしたそれを一つ手に取り。そのまま小さく呟いたオーナーは、手に持つオレンジをしげしげと眺めていた。

 そんなオーナーの様子に気付いたお店の女性が、こちらに声をかけてくる。


「おや、いらっしゃい! そこにあるオレンジは全部、ちょうど食べ頃になってるよ!」

「そうなのか。じゃあ、これ一つ貰っていいか?」

「あいよ!」


 こういったお店は一つからでも売ってくれるのがいいところではあるけれど、まさかこの場で本当に購入するとは思っていなかったから、少し驚いてしまう。けれど、この直後。


「お兄さん、デートかい?」

「まぁ、そんなとこだな」

「……ぅえ!?」


 おつりのやり取りをしている間の二人の会話に、私はオレンジの購入なんて比にならないくらいに驚いてしまって。しかもオーナーがなぜか否定しなかったので、お店の女性もそれはそれは微笑ましそうな表情を見せている。


「そうかそうか。まだ朝も早いし、一日は長いからね。若い二人でしっかり楽しんでおいで!」

「あぁ、そうする」


 しかも驚いて声も出なくなっている私を置き去りにして、二人は会話を終わらせてしまって。オーナーにいたっては、買い物は済んだとばかりにまた歩き出してしまっていた。

 あまりの出来事にさすがに黙っていられなくなった私は、急いでその背に追いつき横に並んでその顔を見上げてから、大声にはならない程度の声量で問い詰める。


「ちょ、オーナー……! 何考えてるんですか……!?」

「何って……俺の店に直接服を買いに来る女性は、デートの勝負服としてがほとんどだろ?」

「そうですけど……! それと今のやり取りに、何の関係があるんですかっ……!」

「気分的に? そういう気持ちでいたほうが、女性のデート服っていうイメージとかアイデアが得られそうな気がするんだよな」


 そう言いながら、今買ったばかりのオレンジを軽く空中に投げてはキャッチするということを繰り返すオーナー。気が付けば、マーケットの波からも抜け出していた。


「仕事の時とデートの時を比べたら、ライラだって服装や気の持ちようが違ったりしないか?」

「まぁ、それは、そうでしょうけど……」

「今の俺に必要なのは、そういうアイデアを出せるような気持ちなんだよ」


 若干納得はいかない気もするけれど、売れっ子デザイナーでもあるオーナーにそう言われてしまえば、私は「そうですか」としか答えられなくなってしまう。


(というか、だったら最初から疑似ぎじデートの予定だったって言ってくれたらよかったのに……!)


 私の手持ちの服装では、これ以上のオシャレはできないけれど。オーナーの言うように気の持ちよう、つまりは心構えが違う状態で今日を迎えられていたはずだったのだから。

 正直なことを言ってしまえば今の私は仕事中のつもりでいたので、だからこそ普段と同じようにオーナーの後ろをついて歩いていたのだけれど。


「じゃあ、ちゃんとデートっぽくしましょう」

「ん?」

「オーナーがお仕事ではなくデートを想定しているのであれば、私は横を歩くべきじゃないですか?」

「……確かに、言われてみればそうだな」


 ということでマーケットを出てからはデートっぽく、ちゃんと隣を歩くことにして。もう少しだけ時間があるからと、ベンチで一度休憩することになった。


「ところで、そのオレンジどうするんですか?」

「そりゃ食べるだろ。果物だし」


 そう言いながら、オレンジの皮に爪を突き刺すオーナー。途端に、オレンジの爽やかな香りがあたりに広がる。


「……って、えぇ!? 素手で!? ナイフとか使わないんですか!?」

「いや、別になくてもオレンジくらいいけるだろ」

「私は無理ですっ」


 種類によっては皮が薄いものもあるらしいけれど、基本的にオレンジは皮が厚いので食べる時にはナイフを使うものだと、今までずっと認識してきていたのに。どうやらオーナーにとってオレンジは、手だけで食べられる果物のようだった。

 目の前で実際にどんどん実が姿を現してきている様子を、私は少しだけ感心しながら見ていたけれど。これは男性は基本的にできることなのか、それともオーナーが特殊とくしゅなのか。比較対象がいないこの場では、判断がつけられないのが残念だ。


「はい、あーん」

「ふぇっ!?」


 そしてなぜか、オーナーはいい笑顔でオレンジの実を私の口元に差し出してくるし。

 今日は朝から本当に振り回されてばかりな気がするのは、きっと気のせいではないはずだ。


「デートっぽく、だろ? だったら俺も、ちゃんと彼氏っぽいことしておかないとダメだろ」

「そんなっ、ぁむ!?」


 そんなことまで必要ないですと言い切るよりも先に、強制的に口の中に放り込まれるオレンジ。入れられてしまったからには食べるしかなくて、仕方なく歯を立てると瑞々しい果汁が溢れ出す。同時に口の中いっぱいにオレンジの爽やかな香りと、独特な甘酸っぱさが広がった。

 そして私がオレンジを食べていることを確認してから、自分も口の中にオレンジの実を一つ放り込むオーナー。


「ん、甘いな」

「……旬、ですからね」


 やはり色々と納得はいかないけれど、これも市場調査という名の仕事のための疑似デートなのだからと自分に言い聞かせ、どうにかして落ち着こうとした私は。このあとも明らかなデートコースを回り、行く先々で恋人っぽいことをしたがるオーナーに、これでもかと振り回されたのだった。



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