【完結】焔焔の果て【13,000PV突破】

相川倫里

第1章 ヘパイトス国立魔導学院

第1話 火生

 空が暗い。深淵しんえんのように、暗い。


 遠くでは、蒸気機械マキナが吹き出すスチームの煤が、空を覆っている。そんな日はどんよりとした、汚れた雨が降ることもある。空気は冷たくて、吐息も白い。ここのところ、夜になるとひときわ寒い。

 蒸気機械マキナが国立魔導学院全体を暖めているはずなのに、寒いのだ。


 アルヒは巻いていたごわごわの、赤いニットマフラーに顔を埋める。

 夜の学院内は不気味だ。人も少ない。

 さっさと自室に戻ろうとしたとき、角から出てきた誰かと思い切りぶつかった。


「きゃっ!」というカテギーダの、目が覚めるような甲高い声が暗い廊下に反響する。

 アルヒは落としてしまった教科書をかき集めながら、この学院の教師でもあり校長でもあるカテギーダに、「すみません! 急いでて」と声をかけたが、カテギーダは黙ったまま、夜に溶けるような真っ黒なローブの乱れを直す。そのまま彼女は、アルヒににっこりと微笑み、廊下の奥に消えていった。

 アルヒは何か言おうと口を開きはしたが、そこから音が発せられることなく、また閉じられた。


 カテギーダ学院長──。


 唯一の国立魔導学院の長である彼女に、アルヒは恩義を感じていた。

 生まれた時から孤児で、ひとり田舎の農村の家屋でなんとか生活を営んでいた、アルヒの魔力を見出し、国立魔導学院への入学を許してくれたカテギーダ。

 醜く恐ろしいと言われる燃えるように真っ赤な髪を、真紅の瞳を見ても、カテギーダは眉ひとつ動かさず、アルヒを生徒として迎え入れてくれた。




 丁度5年前の今日のように寒い日、アルヒはカテギーダに保護された。


 暮らしていた村民たちに、不吉な赤髪だからと酷い扱いを受け、日夜過酷な労働を強いられる中、野蛮な男たちは泣き言ひとつ漏らさないアルヒを、面白がっていた。

 しかし、村に血液を抜かれた変死体が次々と発見され、村民たちの視線は変わった。


「厄災だ」

「あの赤髪の仕業じゃないのか」

「きっとそうだ」


 村民たちは囁く。

 手に斧を、鎌を持ち、アルヒに迫りよる。


「お前、忌まわしい魔女なんだろう」

「穢らわしい」

「お前が殺した!」

「違う! 違う、私は、何も……!」


 声を張り上げても、誰も聞いていない。

 斧を握る男の手は震えている。それでも、振り上げた刃は迷いなくアルヒを狙っていた。


(怖い。誰か。誰か、助けて)


 でも、助けを呼ぶ相手なんて、どこにもいなかった。


(だって私は、ずっとひとりなのに……?)


 恐怖と自虐に唇が引き攣ったアルヒの首に、村人の手が迫る。伸び切った襟首を掴まれる。押し倒され、背中が泥でひえる。ぎらぎらとした男の目に、肌があわ立つ。


(どうして、ずっとひとりだったの?

 私は……私は、なんでこの村に来る前の記憶がないの?)


 そう思った瞬間、ハッと息を呑んだ。

 首筋にあてがわれた刃が、アルヒの白い肌を切りつけ、玉虫色に輝く紅い血が滴り落ちる。

 刹那、切創せっそうが熱を持ち、身体が、灼熱に燃える。


(熱い。痛い? 違う、これは……!)


 熱が、皮膚の内側を這いずるようだった。何かに焼かれるように。

 しかしその熱は、焼けるどころか、肌に馴染む。

 背中の泥が一瞬で蒸発し、ジュウ、と煙が上がる。


「化け物!」


 男たちの悲鳴があがり、蜘蛛の子のようにちりぢりになった。腰を抜かした者もいる。その男の顔は、本物の化け物を見たように歪んでいる。


 熱い。

 轟々ごうごうと音が聞こえ、アルヒの目の前は、真っ赤に燃えていた。不思議とその炎は、彼女の思うがままに動く。雪に濡れていた地面は、真夏のように干上がっている。


「やっぱり魔女だったんだ!」


 鎌を落とした男が叫ぶが、聞こえたか否かの頃には、手に持つ鎌は炎熱えんねつでぐんにゃりと歪んでいた。

 炎が、うねった。

 アルヒが腕を振れば、それに合わせて炎も唸りを上げる。けれど、炎はアルヒを導くように動いた。意志を持ったように。


(違う! そんなつもりじゃ——!)


 燃え広がる。

 雪は消え、土は焼け、村人たちは恐怖におののく。


 アルヒの指先が腰を抜かした男に向けられた瞬間、炎は鋭くうねり、音を立ててぜた。

 光の矢のように、火花を散らしながらまっすぐに伸びる。一歩も動けなくなった、目の前の男を、貫こうと——


「珍しい。炎の魔法ですね」


 耳に障るような、甲高く甘い、女の声が聞こえた。と思えば、燃えるように火照った肌の熱が、引いた。


 アルヒの目の前には曇天どんてんを思わせるグレイッシュヘアと、闇のようなローブが揺れている。

 アルヒの指から放たれた炎は、女の華奢な腕にまとわりつく猛烈な水流にき止められていた。

 炎は蒸気を上げながら女の肌に迫ろうとするが、それを上回るスピードで猛然と渦巻く水流が防ぐ。水流は、パチパチと音を立てて電気の火花を散らしていた。またその水流……いや、雷光に、意思を感じる。振り向いた女は、涼しげな顔だ。


 不健康な青白い肌に、一際目立つ紅がさされた薄い唇の口角が、にっこり不気味に釣り上がった。


「けれどまだ、制御出来ていませんねぇ」


 バチリ、と弾けるような音がなったと思えば、辺りに聞いたことない程の雷鳴が轟いた。

 空は曇天に染まり、水流は一回り大きくなり、アルヒの炎を飲み込みながら、彼女の両腕を絡めとるように巻きついた。水流の中に雷光が走り、アルヒの腕に鋭い痺れを焼き付ける。

 アルヒの灼熱の肌は水の拘束を解こうとするが、ただ水滴が落ちるだけだ。

 アルヒは声も出せない。


 皮膚の内は燃えるようなのに、水流は電流を伴ってアルヒの手首を締め上げ、その熱を急激に冷ましていく。

 息もできないような痺れがアルヒを襲う。腕は不随意ふずいいに跳ね上がる。どくどくと身体が心臓になったように脈打つ。


 アルヒの首筋の傷は、すっかり炎熱で乾き、ひきつれた痛みに代わっていた。

 霞む視界に唇を噛みながら、アルヒは自分を見下ろす女を見上げる。

 蒼白なアルヒに構わず、女は言った。


「あなたをヘパイトス国立魔導学院に連行します。まあ本来であれば……ここで処刑ですが。未成年でしょうから、少し、情けを」


 貼り付けたような笑みのまま、彼女は首を傾けた。


 雷鳴は鳴り止まない。しかし女の声は不思議とよく通る。

 雨が降り出した。

 村人たちは、巨大なふたつの力を前にしてなす術もなく、項垂れている。


 アルヒの炎は今やくすぶる程度に弱まり、宿主の不安に呼応するように、指先からちろちろと舌を出す程度だ。


 そこでアルヒの意識は途切れた。



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