人喰いへの嫁入り

1-1 餓鬼大将

 ひとりの少女が草を蹴って駆けていく。

 年は十六、長く伸びた自慢の俊足が体を風に乗せて跳ねる。


「やぁいやぁい、兎智とちののろまー!」

「カナ! とまれ!」


 カナからほど遠く、兎智とちは真っ赤な顔で叫びながら太陽の丘を走る。すっかり息を切らしており、走る足は今にも縺れそうだ。

 カナは兎智とちから奪った腕飾りを掲げ、乱暴に振り回している。


 形の良い木の実を集め、中をくり抜き、丁寧に磨き上げたそれは美しい装飾品だった。繊細な模様が刻まれており、子供の工作レベルではない。

 兎智とちは手先が器用だった。そこらの少女より、ずっと。

 誇るべき長所であると大人は手放しに誉めてくれるが、男であるがゆえに、それは劣等感をまとう。


「女々しいもの作っちゃって。

 こんなの作る暇があったら、もっと速く走れるように秘密の特訓はいかが?」


 くすくすと笑われ、兎智とちは唇を噛みしめる。


「おまえなんて大っ嫌いだ!」


 カナはけらけらと笑う。

 気の強い鋭い瞳。カナに睨まれて萎縮しない子供はいない。

 カナはふざけたステップを踏みながら、その強い瞳で兎智とちを嘲笑した。


「女に侮辱されて恥ずかしくはなくて?

 私はあんたより速く走るし、この程度の装飾、簡単に作れるわ。

 あんた、私に勝っている点がなにかあって?」


 十分すぎるほど赤かった兎智とちの頬は、燃えるように赤くなった。まるで秋の北山だ。

 怒りに燃える瞳でしばしカナを睨みつけてから、兎智とちはふっと力を抜いて踵を返した。カナはつまらなそうに、腕飾りを人差し指にかけてぶんぶん回す。


「いらないの?」

「いらねえよ、そんなの」


 力なく吐き捨てる兎智とちの背中に、カナは興味を失ったように短く息を吐く。

 周りで息を潜めて傍観していた子供たちはわっとはやしたてた。


「やーい、カナのいじめっこやーい」

兎智とちのぐずやーい」

「おだまりっ」


 カナの鋭い叱責に、蜘蛛の子を蹴散らすように逃げる。

 頭のいいカナと口喧嘩をしたところで勝てやしないし、とっくみあいに持ち込めば相手が泣くまで暴力をやめない。

 カナの喧嘩を買う子供などいないのだ。

 それでも、カナの手の届かないところでお尻を叩く無邪気な子供たちは、カナと遊びたくてたまらない。


「カナやーい、やーい」

「意気地無しども! すぐ逃げるくせに!」


 カナは怒鳴ったが、その唇は上機嫌に端を上げている。カナは怖いもの知らずの小さな子供たちと遊ぶのが好きだ。無邪気で、天真爛漫で、終わりのない鬼ごっこ。これに勝る楽しみがこの世にあるだろうか。


「片っ端から泥団子にしてやるわ!」


 すぐに子供たちを追いかけようとしたが、突然視界に入った母の顔にぎょっとした。

 いつの間に来たのだろう、太陽の丘に大人は普段来ないのに。


「なんて汚い言葉遣い......」


 母の顔は侮蔑で歪んでいる。


「カナ、お友達に暴言を吐き散らすなんて、お姉さまたちは絶対にしなかったわ」

「お母様の見ていないところでしていたかもね」

「いいえ、私の娘たちは内外共に美しく成長しましたよ。あなたも私の娘のはずですけれどね」


 ぴしゃりと放たれ、カナはだらしなく舌を出す。


「さあ、帰りましょう。今夜はきっと雨が降るわ。

 それに、着物の丈直しを済ませなさいと、母は朝方しっかり伝えましたよ」

「そんなのとっくに終わったわ」

「もしや床の間に放り投げられていたあれかしら。あんなひどい縫い方、認めませんよ」


 カナは心底嫌そうに眼を細める。遠くで子供たちが、ざまあみろと舌を出してはやしている。

 子供たちをキッと睨みつけ、カナは大人しく母について家へと歩き出した。


「あ」


 さきほどの戦利品を握りしめたままだったことに気付く。


 兎智とちが作った腕飾りは、本当に素敵な出来栄えだった。正直なところ兎智の手先の器用さには敵わない。町で良い値で売れると聞いている。


 まあ、次に会ったとき、気が向いたら返してやらないこともないわ。

 カナは腕飾りに腕を通した。


 まるでカナのために作られたかのように、それはぴたりと細腕に収まった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る