いらっしゃいませ、異界のコンビニへ

ウニぼうず

第一章 転職したら深夜コンビニバイトを始めた件

昼休憩?そんなものは幻だ。少なくとも、俺が最後に昼飯を食べたのはいつだったか覚えていない。デスクの端に置かれた弁当は、賞味期限を迎え、ついにパッケージが膨らみ始めていた。もうそろそろ自己主張して爆発するんじゃないか。


そんなことをぼんやり考えていたら、鬼のような形相の上司に呼び出された。


「おい藤村!今月の納期、また遅れるんだって!?お前のせいでクライアントから鬼のように怒鳴り込まれてるんだぞ!!」


外は真冬、オフィスの中も負けず劣らず極寒だ。

電気代節約とかいう名目で暖房は最低限しかついていない。ちょっと動けば寒さで指が悴むし、パソコンのキーボードは冷え冷えとしている。むしろ、PCが発する微弱な熱で手を温めるのが、この会社における正しい防寒対策だった。


周囲の同僚たちは、完全に「見ざる聞かざる言わざる」モード。全員、PC画面を睨みつつも、耳だけはこちらの様子を伺っているのが分かる。


「いえ、納期が遅れているのは、クライアントの追加仕様変更が――」

「言い訳すんな!!お前、社会人何年目だ!?“なんとかする”のが仕事だろ!」


(“なんとかする”のが仕事?いや、お前のスケジュール管理が終わってるせいだろ)

そう言い返したかったが、そんなことを言ったら「じゃあお前が俺の代わりに管理しろ!」と仕事が増える未来しか見えないので、飲み込んだ。


この会社に入って三年。

残業時間は常に月200時間越え。休日出勤はデフォルト。労基? そんなものは存在しない。終電? 乗れるわけがない。そもそも家より会社にいる時間のほうが長い。もはや会社が実家。

そして、こんな寒いオフィスで毎晩仮眠を取るのはさすがに風邪をひく、という理由で、会社が親切にも「段ボール」を支給してくれるようになった。


「快適な睡眠をサポート!」とか書かれたチープな段ボールハウス。実際はただの粗末な箱だ。


昨日も仮眠を取ろうとして椅子を並べていたら、隣のチームも同じことをしていて、夜のオフィスは完全に「避難所」の様相を呈していた。


――もう、無理だ。限界だ。


「……あの、部長」

「あ!?まだ言い訳があんのか!?」

「いえ、これ、辞表です」


俺はスッとポケットから紙を取り出し、部長の目の前に差し出した。


「……は?」

「辞めます」

「……はぁ!?」


目をひん剥く部長。完全にフリーズしている。その横で、聞こえないふりをしていた同僚たちが、一瞬だけ「えっ!?」と目を向けた。


「お、おい待て待て、冗談だろ!?お前が辞めたら、誰がこの案件やるんだ!」

「それは部長の仕事ですよね?」

「ち、違う!!お前が抜けたら困るんだよ!!」


その瞬間、俺の中で何かがブチッと切れた。


「うっせー!!このハゲ!!!!」


俺は全力で辞表を丸め、部長の禿げ上がった頭頂部にフルスイングで叩きつけた。


「いってぇ!?な、何すんだお前!!」

「こっちのセリフだ!!こっちはずっと困ってたんだよ!!!」


バシン!!とデスクに鞄を叩きつけ、私物を回収する。愛用のマグカップを手に取ったが、よく見ると「頑張れ! 俺!」と自分で書いたメモが貼られていた。何もかもが悲しすぎるので、そのままゴミ箱に捨てた。


部長は何かを喚いていたが、もうどうでもいい。俺は会社のドアを思い切り開け、外に出た。


――真冬の冷たい風が、俺の顔を殴りつけるように吹いた。


「もうまともに働くのは嫌だ……楽で適当な仕事がしたい……」


俺は深く息を吐き、スマホを取り出す。求人サイトを開いた。

そこには、「未経験OK! 深夜は楽! 高時給!」と輝くような言葉が並んでいた。


コンビニバイト(深夜シフト募集)


これしかない。


――――――――――――――


「深夜は楽」

この言葉の響きが、ブラック企業での地獄を抜けたばかりの俺には甘美すぎた。すぐに応募フォームを埋め、送信ボタンを押した。


すると、ものの数分で電話がかかってきた。


『藤村さんですね~。今夜から働けますか?』


面接も何もなく、即採用だった。こんなに簡単に決まってしまっていいのか? いや、もうどうでもいい。“楽”なら、それでいい。


その夜、指定されたコンビニに向かった。


自動ドアが開くと、ふわっと暖かい空気が迎えてくれる。

ブラック企業のオフィスとは違い、暖房が適度に効いている。

寒さでガチガチだった指が、じんわりと溶けていく感覚に安堵した。


「お、いらっしゃい。藤村くんだね?」


カウンターの奥から、ぽってりした体型の中年男性が顔を出した。

店長の三田村だ。のんびりした口調で、笑顔を浮かべている。


「あ~助かるよ~。深夜は人が少なくてねぇ。まぁ、ゆるくやってくれれば大丈夫だよ」


こんなに穏やかな上司、俺の社会人生活で初めて見た。

「深夜は楽」という求人情報もあながち嘘じゃないかもしれない。


俺はようやく、まともな職場を見つけた気がした。


……このときは、本気でそう思っていた。


――――――――――――――


「じゃあ、まずはレジをやってみようか」


三田村店長に言われ、俺はさっそくレジに立つことになった。制服を着てみたものの、スーツとは勝手が違い、妙に落ち着かない。けれど、ブラック企業時代のようなプレッシャーは一切ない。


適度に暖房が効いた店内、穏やかな店長、そして「深夜は楽」――最高じゃないか。


「最初はそんなにお客さんも来ないから、焦らなくていいよ~」

「は、はい。頑張ります」


深夜のコンビニなんて、基本的に静かなものだろう。たまにタクシー運転手とか、夜勤帰りのサラリーマンとかが寄るくらいだろうし。


そんなふうに思っていた。

――最初の客が入ってくるまでは。


自動ドアが開くと、外の冷気とともに、一人の客が入ってきた。


その瞬間、俺はゾワッと嫌な寒気を感じた。


(……ん?今のなんだ?)


寒いのは外気のせいかと思ったが、それにしては妙な違和感がある。


ちらっと客を見やると、異様な光景が目に飛び込んできた。


Tシャツ一枚の男が、のっそりと店内を歩いている。


……え?


今、外は真冬。

寒波の影響で気温は氷点下に近い。

なのに、この男は、まるで夏のような軽装で、ゆったりと棚を見ている。


(すげぇな……寒くないのか……?)


だが、それだけなら「寒さに強い人なんだな」で済んだかもしれない。

次の瞬間、俺はさらに奇妙な現象を目の当たりにした。


その男がカップ麺を手に取り、レジに向かって歩いてくる。

俺は慌ててレジを構え、ピッとバーコードを通した。


──画面に映ったのは、謎の文字化けした文字列だった。


(……え?)


もう一度バーコードをスキャンする。


「ピッ」


──やはり、画面には「%?@#¥$」のような意味不明な文字列が表示されている。


……バグか?


いや、でもおかしい。

スキャン音は正常だし、金額はちゃんと表示されている。

まるで商品名だけが意図的に隠されているような……。


「345円になります」


男は無言で支払いを済ませ、そのままフラッと店を出て行った。


俺は、違和感を飲み込めないまま、店長の方を振り返った。


「店長、今の……」


「うん?あぁ、お客さんね。普通だったでしょ?」


いやいやいやいや。

どこが普通なんですか?


……でもまあ、店長が気にしていないなら、気にするほどのことでもないのかもしれない。

俺は自分にそう言い聞かせた。


それから数十分後、次の客が入ってきた。


「いらっしゃいませー」


今度は、若い男が一人。今度こそ普通の客だろう。

と思ったのも束の間、俺は再び違和感を覚えた。


男の「足」が透けている。


「……は?」


錯覚か?いや、今、確かに向こう側の棚が見えたぞ!?


しかし、男は何事もないように、ビールとつまみを手に取ると、レジに並んだ。

俺は心臓をバクバクさせながら、なんとか会計を済ませた。


「594円になります」


男は無言で金を払い、袋も受け取らずに去っていく。

店を出る瞬間、一瞬ふっと輪郭がぼやけ、次の瞬間にはもう姿が見えなくなっていた。


(……今の、なんだ……?)


背筋にじわじわと冷たい汗が浮かぶ。

これは、気のせい……ではない。

何かがおかしい。


そんな中、三人目の客がやってきた。


「……7番、ください……」


ふらりとレジに近づいた男が、低い声でつぶやく。

顔はやや伏せ気味で、表情がよく見えない。


俺は機械的に対応する。


「7番ですね、えーとメビウ……」


──ドンッ!!!!


突然、俺の肩が強く叩かれた。


「商品名を言っちゃダメ」


店長が、笑顔のまま俺の口を塞いだ。


「え?」


「7番ですね。かしこまりました」


店長は何事もなかったかのようにタバコを取り、客に渡した。

客は無言で受け取り、フラリと去っていく。

俺は口をパクパクさせながら、店長を見た。


「……店長?」


「あ~、最初だから仕方ないねぇ。でも、タバコは番号で注文するものなんだ。絶対にね。」


「いや、でも……」


俺の頭の中で、警鐘が鳴り響いていた。

この店、何かがおかしい。

そう確信した瞬間だった。


自動ドアが閉まると、俺はようやく喉の奥から声を絞り出した。


「……店長、今のって……」

「最初はびっくりするよね~」


店長は、のほほんとした顔のまま、俺の肩を軽く叩く。


「まぁ、細かいことは気にしないでいいよ。ほら、品出しの手伝いしてきて~」


……細かいことじゃない。

いや、むしろデカすぎる問題なのでは!?


だが、それ以上ツッコむ余裕もなく、俺は店の奥へと向かうことになった。


バックルームの前で、一瞬立ち止まる。

この店の異様な雰囲気を考えると、ここを開けた瞬間に何かヤバいものが飛び出してくるのでは……?


(……いや、そんなことあるわけないか)


心の中で自分を落ち着かせ、ドアを開ける。


――目の前に、人がいた。


「うおっ!?」


思わず飛び退く。

そこには、いつの間にか品出しを終えていた男がいた。


細身の体、青白い顔、静かな佇まい。

俺の視界の隅にいたはずなのに、まったく気配を感じなかった。


「……大丈夫?」


落ち着いた声で、男がぽつりと問いかける。


「え、あ、はい……」


思わずしどろもどろになる俺。

男は静かに品出しを終え、レジ横に設置された棚を整えていた。


「えっと……すみません、驚かせちゃいました?」

「……別に」


会話が、続かない。

というか、この人、喋るのがめちゃくちゃ遅い。


このタイミングで、ようやく俺は彼の名札を確認した。


杉本 蓮(すぎもと れん)


(あれ、この名前……店長が言ってた、深夜のバイトリーダーの人か)


俺は少しホッとして、改めて話しかけてみる。


「初めまして、今日から入りました藤村です!よろしくお願いします!」

「……杉本」

「(返事、短ッ!?)」


俺の元気な挨拶に対し、杉本は最低限の言葉だけを返してきた。


(いや、まぁ……俺の前職の上司みたいに怒鳴る人よりはマシか)


無口だけど仕事はできそうなタイプなのかもしれない。

俺は気を取り直して、何か会話の糸口を探す。


「杉本さんって、このバイト長いんですか?」

「……うん」

「どのくらい?」

「……気づいたら、ずっといた」


(ずっといた……?)


妙な言い回しに、俺の思考が一瞬止まる。


(あれ……杉本さん、まさかこの店で“幽霊”みたいに働いてる……とか?)


そう考えた瞬間、背筋がゾッとする。


だが、そんな俺の疑念をよそに、杉本は淡々と商品を棚に並べていく。

そして、驚くべきことに、俺が一言二言話している間に、もう品出しが終わっていた。


「えっ、早ッ!? さっきまでここ空いてませんでした?」

「……終わった」


なんの感情もなく、ただ「終わった」とだけ呟く杉本。

気づいたら手にはモップを持ち、いつの間にか床掃除を始めている。


(いやいや、早すぎるだろ!?)


まるで、テレポートでもしたかのように仕事が完了している。

というか、ほんの数分前まで、この人の存在に気づいてすらいなかったんだが……?


気配が薄い、動きが速い、仕事が異常に早い。


俺は不意に、ふと思ってしまう。


(……杉本さん、もしかして、人間じゃない……?)


だが、考えすぎかもしれない。

この店は妙なルールがあるとはいえ、働いているのは普通の人間のはずだ。


(考えすぎ考えすぎ……)


俺は慌てて気持ちを切り替え、「よし、俺もやります!」と品出しの仕事に取り掛かる。


杉本は黙って棚を整理し、俺はその横で雑誌を並べる。

特に会話はない。だが、意外と居心地は悪くない……のか?


そう思ったのも束の間、杉本がボソッと呟いた。


「……もうすぐ2時」


「え?」


時計を見ると、確かに午前2時を回ろうとしている。


(だから何……?)


俺が疑問に思っていると、杉本がぽつりと続けた。


「……藤村、レジに戻って」

「え、なんで?」

「……今、言った方がいい」


「言う……?」


その瞬間、背筋にゾワリと寒気が走る。


杉本の無表情な顔が、妙に不気味に思えた。


「……いつもありがとうございます、って。」


「……え?」


何だそれ。

意味が分からない。


だが、杉本の顔は本気だった。


(……なんだこの店……やっぱりおかしいだろ!!)


俺の深夜バイト初日は、すでに“普通”から大きく逸脱していた。

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