ドラゴンタスク

きーち

第1話 空に浮かぶ木の根について①

件名:空に浮かぶ木の根について

報告者:安瀬島 龍一

内容資料:別紙のとおり



「測定の結果、君には確かにそれが見える事が確認された。物理学者なんぞは数値として出てこないそれは無いものとすると言い、医者は君が何らかの幻覚を見ているなどと言うが、我々は違う。確かに、君が見ているものは有るんだ。科学的な話では無いかもしれないがな」


 女のその声は、字面だけなら感情的なものに思えたが、耳に入れば途端に淡々としたものに聞こえる。事実としてそうなのだろう。

 そんな事を考えながら、女が続ける言葉を待った。


「適正試験は合格だ。この後、さらに上役との面接もあるが、人格的には問題ない。もっと問題のある輩も、うちは雇っているのでね」


 その言葉は自分がまともである事を保証するものであろうか? それとも、お前も大概だぞという言葉を迂遠に言ったものなのか。

 上手い返答が思い浮かばず、黙ったままで居るが、それが正解であった事が分かる。

 女の話はまだ続いていたからだ。


「どうせ雇う事が決まった以上、今のうちに、君には言って置こうか。ようこそ神祇庁観測室へ。歓迎するよ。安瀬島《あぜじま》・龍一りゅういち君」


 女のその声を聞いて、龍一は少し後悔を始めていた。

 ただ、断るという選択が無かったのは、それは自分が選んだものであったからだろう。




 昨今、地方においては過疎化がさらに進んでいるという。

 所謂地方都市においては、まさに人口減少が問題視されているわけだが、その地方のさらに田舎に分類される地域ではもっと酷い現状がある。

 インフラの利便性が無くなり、代わりに緑の自然が町を侵食していくという現状だ。植物から侵略行為を受けているとも表現出来るだろうか。


「都会じゃ自然を有難がるなんて風潮、一昔前じゃあったらしいけど、多分、自分達がいざとなれば勝てるって、当時は信じられてたからだと思うんだよね」


 夏の日差しが差し込む中、ヒビが入り、その隙間から雑草が生えるアスファルトの道を、自分の足で踏みしめつつ、呟く。

 そうして、未練がましく後ろを振り向いた。その景色には、さっきまで歩いてきたヒビと雑草だらけのアスファルトの道が続いており、自分が乗ってきたバス停の終点駅は大分遠い。

 引き返すにはもう遅いだろう。そうして再び進行方向へと視線と身体を戻す。

 そちらはもっと酷い。あと数歩歩けば、アスファルトからヒビが無くなり、代わりに地肌が見え始めていたからだ。もちろん、舗装されている部分も少なくなっている。


『技術は発展しているし、今だって、いざとなれば森なんて焼いたりコンクリートで固めたり出来ると思うよ、リュウイチ』


 自分、安瀬島・龍一が抱える鞄から声が聞こえてくる。

 感情は籠っているが、どこか機械的な印象も混ざる声。そんな声が、龍一が抱えられる程度の大きさの鞄から聞こえてきたのだ。

 当たり前だが、人間大の大きさの鞄を持って歩けるほど、龍一は力持ちではない。せいぜいが大きめのオフィス鞄程度のそれが、龍一に話しかけてきている。

 その事に龍一は驚かない。


「それをする予算や人員が居ないなら、白旗を上げてるも同然だろ? だいたい、こういうところに来るなら作業服が欲しいって言ってるのに、それすら用意してくれないんだから、毎日数センチ伸び続ける植物に勝てる僕らじゃないのさ」


 驚かないどころか、その声と会話を始める。

 まだ道のりは長く、足元は悪くなっているのだから、誰かと話を続けていないと嫌になってくる。


『支給品を期待するんじゃなくて、備品に不満があるなら自分で購入しろって、何時も言われてるでしょー? 出張中は服装の規定なんて無いんだしさ』

「安月給の中から、そういうための費用を捻出するっていうのは、負けた気分になるって分かんないかなぁ、お前はさぁ」

『人間みたいにお金で動く立場じゃなくて悪かったね』


 鞄の中の声と会話を続けつつ、歩みも進める龍一。端から見れば奇特な人間に見られるだろうが、実際に鞄からは確かに声は聞こえるので、独り言を虚空に向かって呟き続けるタイプの奇特さは無いはずである。

 そんな言い訳を内心でしながら、暑い日差しと足の疲れを誤魔化していると、ぼろぼろの道の先が漸く開けてきた。

 さらにはそこを歩く人影も見掛ける。


「第一接触ってやつだ」


 小声で呟き、龍一は人影へ自ら近づいていく。相手の方は、最初、こちらに気がつくと余所者が来たと言った目を向けてきたが、その余所者がさらに近寄って来ているのを確認すると、警戒と訝しみを混ぜた表情を浮かべてきた。


「すみませーん。こんにちは、ちょっと良いですか?」


 相手の警戒心が何かしらの行動に出るより前に、龍一は話し掛けた。出来るだけ愛想は良く。挨拶はちゃんとする。

 相手の警戒は解けなくても、やるだけ無駄にならない行為だ。何よりタダで行える。


「あんた……誰だい? この村のもんじゃないよな?」


 腰が曲がり始めた年代の男性。それこそ、龍一がこの村に来て、初めて出会った人間であった。

 S県T群A村。地図上で確認出来る現在地の名前。

 最寄りのバス停からさらに三十分程歩く事で辿り着ける、過疎化が進みに進んだ自治体の一つ。

 人口は確か三百人台だったはずだが、その三百人中の一人に出会えたらしい。


「すみません、いきなり。僕、国の観測室に勤めてる安瀬島という者で、数日、この村に仕事で滞在予定なんですが、土地勘が無いので、宿泊予定の宿の場所を教えていただければなと。この地図、見てどこか分かりますか?」


 先程、話し相手をしていた鞄から、紙を一枚取り出す。

 ネットで検索した地図をコピーしたものであり、主な道と場所が記されてはいるが、実際に村に来て見ると、本当に主だったものしか描かれていない事に気が付く。

 有体に言えば地図で見た印象とぜんぜん違うため、迂闊に歩けば迷いそうだったのだ。


「ああん? うちの村に、宿なんて無いぞ? ここは……ってなんだ役場じゃねぇか?」

「役場……?」

「ああ。村役場。昔はこっちにも窓口があってなぁ。けど、今は庁舎だけ残ってる。あんたそこで寝泊まりするつもりか?」

「一応、そうする様にと指示を受けてるんですが……」

「ははぁ、随分若く見えるから、フカしじゃないかと思ったが、本当に国から来た役人さんか、あんた」

「そう……ですね。嘘吐いてるつもりは無いですね。けど、役場かぁ……。僕の立場に相応しいっちゃ相応しいんですけどね」


 神祇庁観測室。そう言ってどれだけの人がその業務内容を理解出来るか知れたものでは無いが、一応はれっきとした公的な部署であり、そこで働く龍一も勿論、公務員である。

 給料は安いが身分は確かであった。

 ただし、そんな身分でも仕事に不安を覚える事はある。現地での宿泊施設だと紹介されていた場所が、使われていない役場庁舎である事を知らされ時などは特に。


「なんか大変そうだな、あんた。あそこ、鍵が掛かってたはずだが、そこは問題ないのかい?」

「そういえば、こっちに来る前に必要だからって鍵束を渡されてましたけど……そういう事かぁ」


 余計な荷物だと置いて来なかった事は幸運だったが、全体的には不運だろう。今の仕事に就いているという不運である。


「役場なら、この道をまっすぐ進んでれば他よりちょっと違う建物があるから、そこだよ。数日だったか? 仕事がんばんなー」


 村民の男はそこまでが最初の挨拶であると言う様に、この場を立ち去ろうとし始めた。

 龍一は慌てて男の背中に対して言葉を発する。


「あのっ! この村で近々、祭りみたいなものをする予定ってありますか? それに関わる仕事で来たっていうか!」

「祭り? あんたそういうのが目当てかい? ただ、あんたみたいなのが見るもんは無いけどな?」


 男は嘘を吐いた様子も無く、それだけ返答して立ち去って行った。

 一人残された龍一は、やや斜め前の空を見上げて呟く。


「うーん。結構、厄介な仕事な気がしてきたぞ」

『今さらじゃない? それさ?』

「お前に言ったわけじゃない」

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