第15話 ハイト視点

 今か今かと、大通りで小さな肩掛けバッグを手に待っていると、時間通りに馬車が来た。

 流石シーンのやることは抜かりない。

 御者の初老の男は既に行き先を告げられていたため、ハイトが乗ってきたことに驚いたようだった。


「お前さんはまだ子どもだろう? あのお屋敷で働くのかい?」


 尋ねながら手綱で合図を送ると、馬車が走り出す。朝の街は人通りもまばらで、静けさに包まれていた。


「こう見えて、もう十七歳だよ。子どもじゃない。今日から働くことになったんだ。まだ試用期間だけどね」


 嬉しくなって声を弾ませれば、御者の男は笑って。


「そりゃあ、いい。せいぜい、頑張るんだぞ? しかし、あのレヴォルト家の…なぁ。今の領主はとてもいいお方だ。良かったな?」


「うん。おじさんはお屋敷の事、詳しいの?」


「まあ、噂話程度だが。いい話ばかりだが、気になるのもある…」


 御者の表情が曇った。


「それって?」


「領主の息子だ。夜な夜ないかがわしい街で遊び歩いていると評判でな。それは美しい方らしいが…。あれでは先がなぁ…」


「そうなんだ…」


 シーン。大丈夫なのかな?


 それはシーンもクレールも口にしていた。その息子はシーンを好いているらしい。

 そう考えると胸がチクリと痛む。自分など入り込めない世界にシーンはいて、領主の息子との関係に懊悩おうのうしている。

 シーンと関わったことで、見えていなかったことが見えてくる。遠い世界だったお屋敷に住む人々の生活が、近い所まで降りてきたよう。

 けれど、実際は遠い。シーンとの差はだいぶある。今回の件も下働きのハイトにはまったく関係のない話なのだ。

 本当なら、上級使用人に属するシーンは、ハイトのようにスラムに住む人間に早々声などかけない。

 こんな気安い仲になるはずもなく。一生、交わることのない存在のはずだ。シーンの悩みも、本来ならハイトが関わるべきものではない。

 ハイトはため息をつく。

 シーンはとてもいい人だ。妹もすっかり気に入ったようで、次はいつ来るのかとせっつく程。人見知りする妹が懐いたのだ。その人となりが知れる。ハイト自身も、次にシーンにはいつ会えるのだろうと時を待っていたくらい。


 シーンが家族なら良かったのに…。


 そうすれば、身分など関係なく、ずっと一緒にいられたのに。

 叶わぬ願いだ。

 いくらシーンが良くしてくれても、それはシーンが特別な人間だからで。きちんと身をわきまえていなければ、いつか辛い思いをするだろう。シーンと自分とは住む世界が違う。


 それを忘れちゃいけないんだろうな…。ただでさえ俺は──。


 ぎゅっと手の平を握り拳を作った。辛い過去を思い出し、身体が震える。

 自分はすっかり汚れているのだ。シーンのような優しく気高く、品ある人間がかかわってはいけない。


 それでも、少しだけ。──今だけ。


 シーンの側にいたかった。


+++


 そうこうしているうちに、馬車はレヴォルト家の屋敷に到着した。

 使用人用の出入口なのだが、門扉から玄関までが遠い。裏口なのだがそれでも遠かった。敷地の広さが知れる。

 途中で綺麗に刈られた芝や手入れの行き届いた庭を見かけた。その美しい庭の中にたたずむ石造りのお屋敷。城と言った方が正しいだろう。重厚な石造りに時代を感じさせる。


 こんな所で働けるのか…。


 我知らずぽかんと口が開いてしまう。想像した以上だった。

 馬車を降りた所で息をのむ思いで見つめていれば、向かうはずの勝手口にシーンの姿を認めた。

 どうやら外で待っていてくれたらしい。すぐに大きく手を振って、存在を示す。


「シーン!」


 が、既に気付いていたシーンは自らが駆け寄ってきてくれた。そこにシーンの労りの気持ちが表れている様で嬉しくなる。

 馬鹿みたいだと言われるかもしれないけど、シーンが輝いて見えた。まるでそこにだけ光がさしているような。


「良く来たね。馬車はちゃんと時間通りに迎えに行ったかな?」


 柔らかい笑顔。肩に置かれた手から温もりが伝わる。

 気付いていないのかもしれないけれど、シーンはとても魅力的な人だ。派手に笑うわけではないのに、笑むとその場の空気が柔らかいものになる。

 こんな風に笑う人を、自分の母親以外にハイトは見たことがなかった。

 出迎えたシーンは、ハイトを引き連れそのまま皆へ順番に挨拶に回る。

 キッチンメイドに下僕たち、家政婦長に侍女、その他大勢の人たちがいて、一度では覚えきれない。

 流石にこれほどの大きなお屋敷となると、相当の人数が雇われている。通いのものもいると言うから、全員集めればどれほどなのか。


「徐々に覚えていけばいい。そのうち、顔と名前が一致する」


「シーンは全部覚えているの?」


「ああ。でないと仕事にならないからな」


 と、それを立ち聞きした明るい栗色の髪を持つ下僕の青年が、同じくヘーゼルの瞳を悪戯っぽく光らせながら。


「シーンは異常さ。覚えなくていい些細なことまで覚えてる。人の誕生日から子どもの生まれた日、誰と誰が付き合って、誰と誰が別れたか。いつ結婚式があって葬式があるのか…。な? 異常だろ?」


 クスリと笑ってしまう。


「アンリ。異常じゃない。常識だ。ほら、ここでぐずぐずしている暇はないだろ?」 


 シーンは邪魔だとばかりに彼を追い出しにかかる。


「はいはい。せっかくの時間を邪魔して済まなかったな? じゃあ、ハイトまたあとで。──君、結構いけてるね?」


「は? いけて──?」


 今まで人にそんなことを言われたことはない。──いや、一人似たようなことを口にした男がいたが。

 嫌な記憶が蘇る。我知らず、ハイトは自身の手首を握った。体温がすっと下がり、冷や汗が額に滲む。

 それに気付いたのかどうか、シーンは庇う様に自分の方へハイトを引き寄せると。


「アンリ…。これ以上余計な事は言うな」


「分かってるって。お邪魔様!」


 アンリは去り際、ハイトの尻を軽く叩いて去っていった。ビクリと肩を揺らすと、


「アンリ!」


 シーンが怒って怒鳴る。そのあとも暫く怒ったままで。そんなシーンは初めて見た気がした。


「まったく。済まないな。嫌な思いをしただろう?…顔色がよくない」


 肩に手を置き、心配そうに覗き込んでくる。ハイトは笑顔を作ると。


「大丈夫。ちょっとびっくりしただけで…」


「アンリにはそういうちょっかいは出さないように言っておく。奴は可愛いものに目がないんだ。見るとどうしても手をだしたくなるらしい。勿論、彼のは冗談の域をでないが。本当に嫌だったら言ってくれ。なんとかしよう」


「大丈夫だよ。シーン。…俺、そんなに弱くない。こう見えて、結構前向きなんだ。気にしてない」


「そうか…」


 気遣う視線は変わらなかったが、それ以上は何も言わず、ただ背中を軽くさするようにして笑んで見せた。


+++


 お屋敷の見える庭先まできて、足を止めた。そこでシーンと話しをする。

 シーンは領主の息子、ヴァイスの事でかなり落ち込んでいるようだった。

 なんとかシーンに元気を出して欲しくて必死になる。他に目をむけても──そんなアドバイスまでして。シーンなら、どんな仕事だろうとこなせるに違いない。

 差し出がましいことこの上ない。

 けれど、それくらい必死だった。でないと、シーンはどこか遠くへ行ってしまいそうで。

 最後にはシーンは笑ってハイトの提案を受け入れてくれたが、それは形だけかもしれない。シーンはやはり、執事になりたいと言う夢を諦めきれないのだろう。

 ただ、少しでもシーンに安らぎを与えたかった。


 その後、シーンはこれから寝起きする部屋まで案内してくれた。半地下の為、小さな明かり取りの窓が、裏庭に面してあるくらい。

 けれど、一人で使うには大きな部屋で。

 部屋の中央にベッドが二つ置かれ、小さな窓の下にも並び合う様に二つの机が置かれていた。壁際には小さな本棚も置かれている。別室にはトイレの備え付けられた浴室もあった。

 黒光りする柱には所々彫刻が施され、壁紙にはモスグリーンの植物模様が描かれている。ハイトにはまるで上流階級の人々が住まう客間の様に見えた。

 元は二人部屋だったのを、従者だからと一人用に充てられたのだと言う。

 シーンは同室を気にしていたが、ハイトは心底、安堵した。知らない場所で知らない人間と過ごすのは、流石に緊張するし休まらない。


 シーンで良かった。


 シーンは外出から戻るヴァイスを迎える為、一旦仕事に戻って行った。

 昼までは時間がある。使用人の昼食時間は少し遅いのだ。それならと、気になっていた本棚に目を向ける。

 部屋に置かれた小さな本棚には、ぎっり本が詰まっていた。どれもよく読み込まれたもので、背表紙がかなり、擦り切れている。

 シーンの真面目さや熱心さが伺えた。その中の一冊を手に取って読みだした。

 自分でも読みやすそうなもの。とある冒険家の旅行記だ。様々な国を巡る様子が楽しくてつい読みふけっていれば、部屋のドアが唐突に開かれた。

 そして、部屋での出来事に繋がる。

 シーンはとても疲れている様だった。先程、話した時よりも消沈している。何かあったのだ。

 部屋に戻って来て、一言二言交わした後、突然、シーンに抱きしめられる。

 これには正直驚いた。

 でも、妹のエルミナもそうだった。不安になると抱きついてくる。優しく抱き返すと随分と落ち着いて。

 シーンにも同じことをした。

 抱きしめて背中を撫でる。大人のシーンの背はとてもしっかりしていて、エルミナのそれとは随分違う。身体から伝わる熱も息遣いも。

 それでも、やることは一緒だ。シーンから不安が取り除かれるようにと願いながら、抱きしめ撫でた。

 それはシーンにも有効だったらしい。暫くすると落ち着き、ハイトから身体を離す。

 シーンからはとてもいい匂いがした。薫りの元は普段使っているクリームらしい。

 手に取っていいというので、少しだけ指先につけると、シーンの香りがそこへ移った。

 まるでシーンがすぐそばにいるように感じる。笑ってみせるとシーンも笑った。それは、心からの素の笑みだった。

 

 午後からはキエトの仕事を手伝う。


「そっちの小屋の掃除も頼む! 草を新しく入れ換えるんだ」


「はい!」


 言われた通り、それぞれの個室に敷かれた古い草をフォークでかきだしていく。このあと、新しいものと入れ換えるのだ。出した草は暫く置いておいて、畑の肥やしにする。

 仕事内容は昔してきたことと一緒。苦もなくこなすことができた。ただ、久しぶりによく動いたため、終わるころにはくたくたで。

 小屋の前に座り込み、一息ついていると、同じく手を止めたキエトが笑う。


「よく働いてくれた。だが、もっと体力をつけないとな? それじゃあ、持たんぞ?」


「はい…。久しぶりに動いたら、結構、息が切れて…」


「だろう? ここで沢山食べて、力をつけるんだ。そうすれば、もっと動ける」


「はい!」


 キエトはここにいれば食べる事には困らないからと笑う。

 確かに。ここにずっと務めることができれば、妹や祖父にもっといいものを食べさせることもできる。


 なんとか雇ってもらえるように頑張らないと。


 ハイトは意気込む。一週間は試用期間だと言われていた。その後、正式に雇用されるかどうかが決まる。

 推薦してくれたシーンの為にも、ミスはできないと思った。


+++


 その日の手伝いが終わり、食堂で夕飯を皆と取る。その頃にはシーンも戻ってきていて、皆から少し遅れて夕食をとっていた。

 ハイトは先に食べ終わっていたが、話したくてその傍らに座る。なるべく食べるのに邪魔にならないよう、気を使いながら話しかけた。


「シーンは、苦手なものはないの?」


 シーンはカゴから、少し冷めたパンの一切れを手に取りながら、


「そうだな…。あまりないと思っているが──味の濃すぎるものは少し苦手だな。辛すぎたり甘すぎたり。皆、そうだとは思うが…」


「そっか。じゃあ、適度に甘いなら大丈夫?」


「ああ、大丈夫だ」


「良かった! 今度、ルバーブを使ったパイを焼いて持って来るね。母さんが得意で俺も習ったんだ。妹が大好きで。今週末、帰ったら作る約束なんだ」


「そうか…」


 シーンはどこか思案気に視線を揺らした後。


「…どうせなら、私も一緒に行っても?」


「え? でも、仕事があるんじゃ…」


「その日は休養日なんだ。ヴァイス様がご学友と湖水地方へ保養に行かれるため、三日ほど留守にされる。旅行中は相手のお屋敷の従者や下僕に任せるんだ」


「へぇ…。でもいいの? 貴重なお休みなのに…」


「貴重な休みだからこそ、有意義に過ごしたい。だからハイトと過ごすんだ。家族との時間にお邪魔かな?」


「邪魔なんて! ──じゃあ、一緒に。イルミナも喜ぶな」


「イルミナはとてもかわいい子だね? ハイトとよく似てる。きっと美しい女性になるよ」


 それは世間話の一つなのかもしれない。言葉通りで深い意味はない。

 けれど、イルミナを褒めて笑んだシーンに、何故かきゅっと胸が締め付けられるような切ない気持ちになった。

 まだ子どものイルミナだが、すっかりシーンを気に入っている。シーンとはひと回り以上、歳が離れているが、それ位気にはならない。

 いつかイルミナが美しく成長して、このままシーンと関係が続いていたなら、いい相手になる。

 そんなことになれば、とても素敵な事なのに、なぜか想像すると悲しくなった。 


 なんでだろう?


 美しく成長したイルミナと微笑み合うシーン。幸せな景色のはずなのに。


「どうした? ハイト」


「な、なんでもない…。週末、楽しみにしてるよ」


「私も楽しみだ。ハイトの手料理を食べられるんだからな?」


「口に合えばいいけど…。砂糖の量、気をつけなくちゃ」


「大丈夫だ。甘すぎでも美味しいと言うよ」


「酷いよ。失敗する前提なんて…」


「冗談だ」


 肩を軽く拳で小突くと、シーンが笑う。アンリが横から、仲がいいことでと茶化して食堂を出ていった。

 シーンはともすると、暗い目をする。まだ目にはしていないが、ここの領主の息子が原因なのは分かっていた。

 彼の世話が終わる度、シーンは重苦しい表情を見せる。けれど、その詳しい理由は口にしなかった。ハイトが知っているのは、ヴァイスに好かれている──それだけだ。

 気にはなるが無理に聞き出すつもりはない。話したくなった時、いつでも聞けるように準備しておけばいいのだから。

 それまで、つとめてシーンに明るく話しかけることに専念した。


 その夜、シャワーを浴び終えベッドに横になって本を読んでいると、同じくシャワーを浴び終えたシーンが、髪を拭きながら浴室からでてきた。部屋備え付けのイスに座ると、長いため息をつく。かなり疲れた様子だ。


「…シーン、大丈夫?」


 その様子に思わず言葉がついて出た。

 シーンも自分がそんな状態だとは気付いていなかったのだろう。我に返ったシーンは苦笑して見せると。


「すまない…。これでは心配にもなるな。まったく…。らしくない」


 額に手を当てつつ首を振る。


「シーン、俺の前では隠さなくていいよ…」


 本を閉じて身体を起こすと、シーンの傍らまで歩み寄り、すぐ横にあるベッドに腰かけた。それからシーンを見つめると。


「シーン。今シーンを何が原因で困らせているのか、予想はつく…。シーンが前に少し話してくれたからさ」


「……」


 シーンは灰色の混じったグリーンの瞳でジッと見つめて来きた。


「心配なのは、シーンが自分を追い詰めることで…。シーンの人生はこれから先もずっと長いんだ。視界を狭めずにいれば、きっと未来も拓ける」


 ハイトは膝に置かれたままのシーンの手を取る。大きな大人の手だ。綺麗に整えられた爪、指先にはささくれの一つもない。ハイトの汚れと赤ぎれのある指先とは大違いだ。


 俺にできることは少ない。


 けれどその少ない中でもシーンを救う手助けをしたいのだ。


「シーンは幸せになる…。きっと、今までも沢山の人を幸せにしてきたはず。だから、不幸になんてならない」


 呪文の様にそう口にする。


「ハイト…」


「シーン。お願いだから、自分の幸せを考えて。俺には、それしか言えないけど…」


 自分よりはるか上で過ごすはずのシーンが、惨めな気持ちでいるのは辛かった。


「ありがとう…。ハイト」


 シーンが握ったハイトの手の上に、一方の手を重ねてくる。大きくて暖かい手。


「考えてみるよ…」


 そうは答えたものの、相変わらずシーンの笑みは悲しげだった。



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