ヤンデレ執事ー幻影の館ー
×ルチル×
第一章「執事の狂気と牢獄」
第1話ようこそ、ヤンデレ執事たちの館へ
——沈黙の薔薇庭園にて
空は灰色の雲に覆われ、冷たい風が吹き抜ける。白薔薇が敷き詰められた棺の前で、私はただ黙っていた。
父と母の葬儀。
まるで悪い冗談のように、あっけなく訪れた別れの瞬間。喪服に身を包んだ参列者たちは、何かを囁き合いながらも、どこか他人事のように沈黙を守っている。そんな彼らの視線の先には、幼き当主として立つ私がいた。
——こんな寒い日に、執事が傍にいないわけがない。
「アリス様」
静かに私の名を呼ぶ声があった。振り向かなくてもわかる。その声の主はギルバート。私の幼少期から仕える執事長だ。
絹のように美しい銀髪を後ろで結んでいる彼は、深い色の礼服に身を包み、
蒼い瞳に憂いを宿していた。彼の顔はまるで無機質な彫像のように整っているが、その目だけは、どこか感情を秘めていた。
長年、私の傍に仕えてきた彼は、今も変わらず私を気にかけているのだろう。
「寒いでしょう。お身体に障ります」
そう言うやいなや、彼は私の肩にそっと黒いコートをかけた。その手つきは優しく、まるで私が壊れ物であるかのように慎重だった。
「……余計なことをしないで」
私はギルバートの手を払い、彼の与えた温もりを拒絶した。
「あなたがそんなことをしなくても、私は平気よ」
自分でもわかっていた。これはただの八つ当たりだ。両親を失った悲しみをどこにもぶつけられず、無関係な彼に向けているだけだった。
けれど、ギルバートは何も言わずに、私の言葉を静かに受け止める。いつもそうだった。彼は決して逆らわない。ただ、私を見つめるだけ。まるで、私がどんなに感情をぶつけようとも、それすらも愛おしいと言わんばかりに。
その態度が、無性に癪に障った。
「……お望み通りに」
彼はそっと一歩引き、コートを手にしたまま微かに微笑む。その仕草にはどこか奇妙な美しさがあった。
私は、もう一度棺を見つめた。冷たい空気が頬を撫でる。涙は出ない。ただ、胸の奥で何かが鈍く痛むだけだった。
◇
葬儀が終わり、館の広間へと戻ると、使用人たちが一斉に跪いた。
「アリス様、これより新たな当主として、お仕えいたします」
一糸乱れぬ動きで、深く頭を下げる彼ら。両親の死と共に、私は正式に館の主となった。
しかし——その場にいる誰一人として気づかなかった。
使用人たちが跪く影の奥、暗闇に紛れて蠢く何かがいたことを。
冷たい空気とは違う、ぞわりと肌を撫でる気配。
——黒い影。
それは、まるで館そのものが生み出した亡霊のように、静かにこちらを見つめていた。
私がこの館の主となる、その瞬間を待ち望んでいたかのように。
◇
自室に戻った私は、ベッドに腰を下ろし、ぼんやりと天井を見上げていた。
両親の葬儀が済んだかと思えば、今度はこの広大な館の当主として振る舞わなければならない。何十人もの使用人を従え、一流の貴族としての威厳を保つ。
「明日から休む暇もないな……」
独り言のように呟いたが、誰が聞いているわけでもない。ただ、広すぎるこの部屋が余計に孤独を感じさせる。
いつかはこうなるとわかっていた。
幼い頃から父と母に言われてきたことだ。いずれ私が館の主となる日が来る、と。けれど、実際にその立場に立つと、あまりにも重すぎる責務に押し潰されそうだった。
小さい頃から「お嬢様」として甘やかされ、何不自由なく育った私には、突然の現実が厳しすぎる。かといって、明日のことを思えば、泣きじゃくる暇すらない。
私はため息をつくと、枕元に置いてあった友人から借りた漫画本を手に取り、ベッドに寝転んだ。
「……気分転換しないと」
本の表紙には、どこか不穏な雰囲気を漂わせる男の姿が描かれている。彼の鋭い眼差しには狂気のようなものが宿り、傍にいるヒロインは追い詰められた表情をしていた。
最近、友人が「こういうのが流行ってるんだよ」と言って貸してくれた本だ。普段ならあまり読まないジャンルだったが、現実逃避にはちょうどいい。
ページをめくり、物語に没頭しようとしたその時——
コン、コン。
部屋の扉が軽くノックされた。
「……誰?」
返事をするより先に、扉が静かに開かれ、そこに立っていたのは——執事長、ギルバートだった。
「アリス様……」
彼は、どこか心配そうな眼差しでこちらを見つめていた。
思わず、胸がちくりと痛む。
辛いのは私だけじゃない。
ギルバートもまた、長年仕えてきた主人を失ったのだ。いつも冷静沈着な彼だが、今日はさすがに動揺しているのだろう。
私はベッドから起き上がると、ゆっくりと彼の方を見つめた。
「……さっきは、ごめんね。葬儀の時、八つ当たりしちゃって」
そう言うと、ギルバートの表情が僅かに和らぎ、ほんの少しだけ微笑んだ。
「……お気になさらず、アリス様。お気持ちは、理解しております」
彼の言葉は、まるで柔らかな羽のように私の心に触れた。
「……ありがとう」
私はそう返しながら、ふとギルバートの視線がベッドに向いていることに気づいた。
彼の目線の先には、先ほど読んでいた漫画本がある。
「ん? ああ、この本?」
私は表紙を軽く叩きながら、肩をすくめた。
「何かねー、『ヤンデレ』っていう恋に狂った男が主人公を追い詰める話だよ。……まあ、堅物のギルバートにはわかんないでしょ?」
冗談めかして言ったつもりだった。
けれど——
ギルバートの蒼い瞳が、ふっと影を落としたように見えた。
「ヤンデレ、ですか……」
彼は静かに呟くと、ゆっくりと私に視線を戻した。その表情は、先ほどまでの穏やかさとは違う、どこか含みを持ったものだった。
「……面白いお話なのですか?」
まるで何かを探るように。
まるで、何かを確かめるように——。
◇
翌朝、むせかえるほどの濃厚な花の香りに、私は目を覚ました。
「……なに、これ……?」
寝ぼけ眼をこすりながら、ぼんやりと周囲を見回した瞬間、私は思わず息を飲んだ。
薔薇。
薔薇、薔薇、薔薇!
部屋の隅々まで埋め尽くされるほどの薔薇の花束。ベッドの周りも、窓辺も、床の上でさえ、薔薇の花が敷き詰められていた。まるで貴族の婚礼式でも行われるかのような、異常なほど華やかな光景。
「……嘘でしょ……?」
私は呆然としながら、ふわりと舞い落ちる一枚の花弁を指でつまんだ。その瑞々しい手触りから、これがすべて今朝摘みたての薔薇であることがわかる。
——そんな馬鹿な。
こんな量、一晩でどうやって……?
答えはすぐにわかった。
「おはようございます、お嬢様。」
甘い声と共に、さらに追加の薔薇の花束を抱えた男が部屋へ入ってきた。
彼は満足そうに微笑みながら、私の驚愕した顔を嬉しそうに見つめている。
庭師のネクロ。
彼はいつもの執事服姿で、茶色のショートヘアを揺らしながら、まるで絵画から飛び出したように優雅に歩み寄る。
彼の紫色の瞳は、光を受けて艶めかしく輝いていた。その瞳に映る私は、まるで薔薇の中に閉じ込められた囚われの姫のように見えただろう。
「本日摘みたての薔薇です。美しいでしょう?」
彼は満面の笑みを浮かべながら、まるでご主人様に褒めてもらいたい犬のように、紫色の薔薇の花束を差し出してきた。
「……いくらなんでも、これはやりすぎなんじゃ……てか、何?私が当主になったからって薔薇の量増やすルールでもあるの?」
私は戸惑いながら、床に敷き詰められた花々を指さした。
「いつもは花瓶に飾れる程度だったじゃない。」
幼い頃から、ネクロは毎日欠かさず私に薔薇を贈ってくる変人だった。しかし、ここまでの量は異常だ。
なのに、ネクロは悪びれる様子もなく、むしろ得意げにこう答えた。
「今までは旦那様や奥様の眼があったので控えていただけです。」
私は息を呑んだ。
ネクロの紫の瞳が、昨日読んだヤンデレ漫画の登場人物と重なって見えた。
狂気を秘めた、異様な執着心を持つ男。
「……ネクロ、ちょっと話があるんだけど。」
戦慄しながら、私は彼に向き合った。
すると、ネクロはさらに花束を抱え直し、恍惚とした笑みを浮かべながら、囁いた。
「はい、お嬢様。どんなお話でも、僕はお聞きしますよ?」
彼の指先には、まだ朝露が滴る薔薇の花弁。
まるで、私という存在を飾るためだけに摘まれた生贄の花のようだった。
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