Depth38 崩れる音
「八代隊長!矢切さん!」
敏捷な動きで駆けつけた優音は、銃弾を放って的確に鬼崎の足を撃ちぬいた。背後から両膝に弾丸を受けた鬼崎はその動きを一瞬止める。
「でかした!メディック!」
矢切のバディがその注射針を鬼崎へと打ち込んだ。どんな薬も過ぎれば毒となる。それは攻撃用に濃度を調整した毒の注射針だ。どれだけ外傷に対する再生能力が高くとも、あるいは……。鬼崎は激しくその体を痙攣しその場に倒れる。
キングジョーはその間も激しい攻撃を繰り出していたが、迅雷のごとく現れた角の生えた骨のバディに突撃され大きく身を逸らした。「シーさん!」八代が呼び出したバディが鬼崎へと迫った。『不変』を付与すれば奴を止められる。そして、解除直後に
しかしそんな一瞬浮かんだ希望は儚くも目の前で消えた。文字通り、鬼崎は瞬間移動を使って姿を消していたのだ。シーラカンスの頭突きはわずかに届かなかった。
「助かったよ、櫟原ちゃん。でも逃がしたね。ひとまず3人で固まって動こう。奴はきっとすぐに現れる」
「いえ……ごめんなさい、私……。それより猪俣くんが……!」
「ああ、いくぞ」
3人は猪俣のもとへ駆けつけた。彼は笑みを浮かべて目を閉じている。
「おい猪俣!」
矢切が駆け寄りざま声をかけるが反応はない。
「でも、
八代は冷静にソラの姿を確認して告げた。優音と矢切は一瞬パニックになっていたが、すぐに気を取り直して治療を急いだ。八代の言う通りどうやら脈はまだあるらしい。猪俣の身体を転がして背中を見ると、かなりの血が流れ出ているようだった。「メディック!」矢切は即座に治療に取り掛かる。その間、優音と八代は2人を守るように周囲を警戒した。
「これは一度地上へ連れ帰らなきゃまずいな……」
矢切のつぶやきとほぼ同時、3人の頭上からそれは現れた。鬼崎はどこからか拾ってきたらしいナイフを逆手に持ち振り下ろしていた。予期していない空からの奇襲。
「シーさん!」
だが、すんでのところで『不変』になった八代のバディがその攻撃を受け止めた。鬼崎はその背に着地して舌を打つ。そこに迫ったソラの突撃を躱して、彼はまた姿をくらませた。
「矢切くん、君は猪俣くんを連れて地上へ!」
「了解……すぐに戻る。死ぬなよ、2人とも……
矢切と猪俣は戦線を離脱した。優音の能力は解け、ソラはもとの姿に戻る。
「あのナイフは……草場くんのだね」
八代は少し寂しそうに告げた。
「はい。草場さん……彼は、もう……」
冷たい静寂が凪のように2人を覆った。八代は煙草に火を点ける。「線香代わり……とは言えないけど」彼はつぶやいて深く煙を吸った。吐き出された煙は宙を上り、消えていく。
その静けさを破ったのは、響き渡る数多のノイズだった。周囲から鳴り響くそれは、10体以上の心海魚が発するものだった。それを先頭に立って率いているのはキングジョーの背に乗った鬼崎。彼は高笑いを浮かべながらその軍勢を引き連れてきた。
「いよいよ王にでもなったつもりらしい」
八代は吸いかけの煙草をそっと置いてから告げた。理屈の通らないことばかりが起こっている。最低でも推定
「喰らい尽くせぇ!あのゴミどもをなぁ!」
「はっ。どんなもんかと気になって来てみれば……随分と楽しいことになってるじゃないかい」
その刹那、軍勢の背後から轟音が鳴り響き、空間に巨大な亀裂が走った。それは蜘蛛の巣のように広がって、心海魚たちを埋め尽くす。違和感を察知した鬼崎は瞬間移動によってそれを躱したものの、そこにいた10匹以上の心海魚たちは、まるで瓦礫が崩れるように一撃のもとに粉砕された。
その後ろでキセルをふかしている女は、ワインレッドの着物を優雅に着こなしていた。この一瞬の殺戮劇を繰り広げたのは銀髪に隻眼のその女……女王蜘蛛と呼ばれる心海の情報屋だった。
「八代さん、あれ、は?」
「彼女は……噂には耳にしたことが有ったけど、まさか実在するとはね」
彼は呆れたように苦笑いを浮かべていた。圧倒的な力だった。仮にも中級は並のダイバーでは苦戦する相手である。それにあの数だ。だが、彼女はそれをさも砂でできた子供の城を壊すように、一撃で葬り去った。
「邪魔すんじゃねえよクソアマがぁ!」
鬼崎は女王蜘蛛の真後ろからナイフによる攻撃を、正面からはキングジョーによる突撃を行った。だがまたも割れるような音が鳴り響き、彼女の周囲の空間にひびが入った。直後、鬼崎もキングジョーも、その割れ目に沿ってボロボロとその体が崩れ落ち、無残な姿に変わった。彼女はそれを興味深そうに眺めている。
「……こんなになっても再生するのかい。まあ、そうでなくちゃ困るんだけどさ。アンタを殺すのはアタシの役割じゃないしねぇ」
ミンチになったはずの鬼崎の肉体は、まるで増殖する粘菌のように繋がって、再生しているようだった。彼女はそれを見ながら憐れみを込めて呟く。
「クラーケン……アイツに目を付けられるとは、アンタも可哀そうにねぇ……」
そうしてキセルからゆっくりと煙を吸った後にぼやいた。
「ま、自業自得ってやつかい」
八代と優音は警戒しながらもそこへ駆け寄った。まだ敵か味方かはわからない。でも助けられたことは事実だった。
「助かりました。ありがとう、お嬢さん。あなたは……女王蜘蛛、ですね?」
女王蜘蛛は何が可笑しいのか豪快に笑った。
「お嬢さんとは傑作だねぇ……!C-SOT隊長の八代と……
そう言った彼女の傍にはホッキョクグマのようなバディが現れた。その背からは骨が蜘蛛の手のように突き出している。八代と優音は警戒感を
2人は大きく息を吐いた。女王蜘蛛……あまりにも格の違う相手だった。強さの底が知れない。
(あれは人間なの?)
優音にそう思わせるほどの貫禄が彼女にはあった。
「ともかく、鬼崎を連れ帰ろうか。肉片のままでも……」
そう言った矢先、本体よりも早く形を取り戻したらしいキングジョーがその縫われた口を開けて2人に突っ込んできた。
「危ない!」
優音は咄嗟に八代を抱えて横へ跳ぶ。間一髪で避けたが、キングジョーは鬼崎の肉塊を飲み込んでいた。「また逃がした!」彼女は拳を握り込む。それは猪俣の心の残滓なのか、自分の心なのかはわからない。でも、悔しかった。
バラバラになった鬼崎は、意識だけはかろうじて存在していたものの、上手く能力を使うことができなかった。彼自身も苛立っていた。全能の王になったはずなのに、なぜ誰も殺せていないのか。なぜことごとく全てが自分の邪魔をするのか。自らのバディの口の中で肉体を取り戻しつつあった彼は、また憤りの感情に再生しかけの胸を締め付けられた。そこに全能感はもうなかった。憎悪と怒りの炎が彼の身体に灯っていた。
「逃がさないっ!」
優音と八代はソラの背中に乗ってキングジョーを追った。だが、サメの速度は速く、徐々に距離を離されていく。
「このままじゃ追い付けない……隊長、
「ダメだ!奴に使うのは危険すぎる」
「私は、大丈夫です」
拒んだ八代の眼をじっと見据えて優音は告げた。その眼差しには決意が籠っているように見えた。八代は一度大きく目をつぶり、再度見つめ返す。
「わかった……信じるよ」
優音は大きく頷いて叫ぶ。
「
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます