Depth29 白い煙
優音たち3人は警視庁に帰還していた。そこには戻っていたらしい猪俣と草場の姿もある。だが、小日向の姿だけが無いのは少し気がかりだった。
「みんなに報告がある。
「それがその……あと1人の救出が終わり次第戻るはずで、待機するよう言われていたんですが……」
猪俣はいつになく歯切れの悪い返事をした。小日向のことが心配なのだろう。軽めの心圧症でもあるかもしれない。それは優音も同じだった。
「どれくらい経ってる?」
「10分くらいでしょうか……でも僕は心配でっ……!」
「……わかった、僕と矢切くんですぐに向かおう。櫟原ちゃんと猪俣くんはそのまま待機。2人とも本当によく頑張ったね。情報の共有だけよろしく頼むよ」
そういって新人2人の目を見つめ、肩をポンと叩いた。
「草場くんはその情報を聞き終わり次第、別の地点に向かえるかな?連続で申し訳ないけど……」
「わかってますよ、ボス。終わったら経費でたらふく美味いもん食わせてもらいますから」
草場は髪の毛を掻きあげると、息を深く吐いた。「なかなかタフですね、入って早々。ブラックな職場をひいちまったようだ」そう冗談めかして笑う。
「それじゃ僕たちはすぐに向かうから。すぐに小日向ちゃんと戻るよ」
「ああ、任せとけ。しっかり休めよ」
「「
彼らはマスクに座標をセットするとすぐに潜っていった。
それを見届けた後、優音は2人にジョーとの遭遇と、奴の能力発動条件について詳しく説明した。
「つまり、奴に傷を付けられたらマーキングされちまうと。厄介なのは、傷ついた誰かの近くにいたらやべえってことだな。報告にあった通りだと心海魚や一般人にも効果は発動させられるわけだ」
「そうですね。彼らの仲間はみなおそらく既にマーキングがされていると思います。手の平に傷はありませんでしたか?」
「オカマ野郎の手はちゃんと見えなかったな……」
「そういえば神宮寺の野郎には傷があった……ま、そこまで分かれば上出来だろう。俺ももう一仕事行ってきますわ」
草場は重い腰を上げてマスクを装着した。残る事件の発生地点は小日向たちの場所を除けば4か所だ。先ほど話の途中に訪れた串呂の報告によれば、ヒダカというルーカ―が1箇所制圧し、敵の1人を確保したらしい。串呂にはその時ハンカチを渡すことができた。
そういえば、そのときの草場はなぜかゲラゲラと笑っていた。「皮肉なもんだな。俺たちは誰も確保できてねえってのに……」それはまさにその通りで、そこまで笑える状況とは優音には思えなかったが、彼にとっては何か特別に面白いことだったらしい。
「じゃ、またな。同期諸君。
そう言って草場も別の地点へと潜っていった。優音はすぐにいくつか新しくきている報告書を読み、その中から1つ興味深いものを見つけた。
「これ……疲労回復用カプセルを発明したと花咲さんから報告が来ています。行ってみましょう、猪俣くん!私たちは回復に努めるべきです」
「俺は麗さんを待つよ。優音は行きたければ行ってくれ」
猪俣はいつになく思い詰めていた。神妙な顔をし、膝に肘をついて項垂れたようになっている。
「そうですか……じゃあ私は行きますね」
だが、疲労回復が優先であることは優音にとっては自明だった。彼女はその場を後にして、花咲の元へ向かう。それは彼女個人の研究室ではなく、技術開発部の一室にあるとのことだった。
「お、ヒラハラ氏。生きてたんだ。被験者第一号は君ってわけだね」
そこには、まさにそのカプセルを弄っているらしい花咲の姿があった。”被験者第一号”というのは非常に恐ろしいような気がしたが、ここは彼女の天才ぶりを信頼するしかないのかもしれない。
「えーと、これに入るんですか?」
「そうそう、よくあるだろ?アスリートとかが入る酸素カプセル。それを心海用に
「わ、わかりました!とにかく使わせていただいていいですか?被検体になります!」
優音は覚悟を決めた。市販されている酸素カプセルを基にして作られているならば、酷いことにはならないだろう。彼女は意を決して中に入ると、点滴用の針を刺される。そして蓋が閉じられた。
「じゃあ、コールドスリープいってらっしゃい」
「え?今なんて言いました?」
だが、既に彼女の姿はなかった。そして、こちらからは開きそうもない。徐々にカプセル内の気圧が上がり耳が詰まる。彼女は耳抜きをしつつさらに不安がよぎった。固定された頭部が冷やされていく感覚がある。「最後まで話を聞いておくべきだった……」また、音波によるマッサージなども勝手に開始されていた。さらには軽く電気が流れているような感覚もある。もう、どうにでもなれ。彼女はそのまま目を閉じてひたすらに呼吸に意識を向ける。そして、そのまま意識は消えていた。
――
「小日向ちゃん!」
「小日向!」
八代と矢切は到着してすぐ、スタジアムの中を覗き込んで叫んだ。そこにはオトヒメと戦っているらしい小日向の姿があった。
「来てくれるって、信じてましたよ!隊長……!」
「俺も忘れんなよ」
3人は長年一緒に戦ってきたからか、お互いの信頼が見えるようなやり取りだった。そこに水を差すのは涼やかな声色と一発の銃声だった。
「あら、まんまと来てしまったんですね。養分集めが捗りますわ……ウフフ」
それは、2人が現れたときに生まれた一瞬の綻び。いや、何かがおかしかった。本来の彼女であれば、敵がいる場面で気を抜くようなへまはしない。それなのに、小日向は銃声にも反応せず、ただ突っ立っていた。まるで1人だけ時間でも止まったかのように。
オトヒメがずっと隠し持っていたらしい拳銃の弾丸は、扇子越しに小日向へと命中していた。その銃弾は彼女の胸を容赦なく貫いていた。
「う……そ……?」
そう漏らした小日向はその場に倒れた。呼吸が異常に荒い。矢切は2階から飛び出し、バディの浮力を使って彼女の側へと着地した。まだ、息はある。そこに八代も続く。
「しっかりしろ、すぐに治療する」
「あら、生きてらっしゃるのね。ワタクシあまりこういうのは使いませんから」
その割には銃弾は的確に心臓を狙っていた。ぎりぎり心臓を撃ちぬかれてはいないが、扇子ごしにそんな芸当ができるならば、相当訓練している可能性がある。オトヒメはその歩みを進め3人に近づいてきた。
「矢切くんは治療を終え次第すぐに小日向ちゃんを連れて地上へ。奴は僕が倒す」
「了解、今度は俺にも格好つけさせてくださいよ」
矢切はすぐにメディックの注射針を傷口に刺した。八代は2人を庇うようにオトヒメに対峙する。
「もう少し動揺していただけると思っておりましたのに……残念ね」
そのまま彼女は拳銃を3人に向けて発砲した。八代は2人の前に立ち、シーラカンスのようなバディがその銃弾を受け止める。その弾丸はまるで強固な壁に阻まれたようにひしゃげて付近に散らばった。
「逃がしませんわよ」
そう言い放ったオトヒメは、その立ち居振る舞いからは想像できないほどの俊足で駆けよってきた。だが、バディの動きは鈍いらしく、付いてこれていない。しかし彼女の周りに纏う煙は消えていなかった。
「2人はすぐに地上へ。庇いきれないみたいだ」
「
矢切が頷いて放ったのその声と共に、小日向の振り絞った声も届いた。
「たい……ちょう!やつの煙は、時を、うばいます!」
オトヒメが走るのを止めると、優雅に八代へと歩み寄った。アイオーンもゆっくりとした動作で近づいてくる。しかし、八代はポケットから煙草を取り出し、慣れた手つきで火を点けた。
「最後の一服というやつかしら。ウフフ、嫌いではないわよ、そういうの」
「最近は昔と比べて吸えるところが無くってね。君も昭和生まれなんだから知ってるだろ?清華雅さん」
「ふん、煙ならこの後たっぷり吸わせてあげましてよ?寿命が尽きるまで、ね」
「残念だけど僕はこの香りが好きでね。娘には嫌われちゃうんだけどさ」
「ウフフ、その余裕、いつまで保つかしら?」
交差する2人の瞳……。それは全く笑っていなかった。八代は肺に入れた煙をすぼめた口から吐き出す。白い煙が2人を覆っていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます