Depth24 ラブカ

「すごい!聞こえますよ!麗さん!」


「しっ。静かに。OK」


 猪俣と小日向は心海Depth13に到着していた。猪俣にとっては少し深い場所だが、彼はやる気十分らしくあまり気にしていないらしい。最近は小日向とのタッグも多く、それが嬉しいのかもしれなかった。小日向は八代に返事をしてデバイスの動作確認を終えると、周囲を見渡す。


 彼女たちがいるのは、朽ちてぼろぼろになった体育館かスタジアムのような場所で、2階の観客席に着いたらしい。中央に広がるホールから何やら人の声が聞こえる。小日向は猪俣に屈むよう指示を出し、中央をそっとのぞき込んだ。人が多い。全部で7人ほどだ。


「さあ!ここが心海よーん!アナタたちは洗礼を受けるの。苦しいでしょ?んでもっ!」


 そこでは1人の人物が真ん中に立って演説のように話していた。その声は意図して作ったような高い声である。一呼吸おいてその人物は告げる。

 

「すぐに分かるわぁん。ここが、と、て、も、美しい場所だって!ああん、ぞくぞくしちゃう!たまらないわあん!」


 真ん中で大きな声でしゃべっているのは見覚えのない男……いや、喋り方からしてオカマだろう。髪の毛は緑に染めてあり、おかっぱのようになっている。身長は高く、真っ赤な口紅に違和感を覚えた。彼?はくねくねとしたジェスチャーで周囲の人間に向けて話している。しかし周りはみな混乱しているらしく、口々に「ここはどこなんだ!」「心海って本当に……?」などとざわめいていた。


「麗さん、どういうことっすかね?」


「おそらくだけど、あのオカマが人を巻き込んでダイブしたのね……洗礼とはつまり、深海に適性があるかどうか試すってことじゃないかしら。もう少しだけ様子を見ましょう」


「お黙りなさい!」


 緑頭のおかっぱはドスの利いた低い声で怒鳴ると、周囲の人たちは静かになった。2人も何が起こるのか固唾を飲んで見守る。「クーちゃん来て」小日向は念のためいつでも撃てるようバディを呼びだした。一方の猪俣は拳銃を持って待機している。


「んよろしいっ!私はベルベット!ベルちゃんって呼んでね~ん!そしてこれが、ワタシのバディよ~ん!おいで?キューティーマイスウィートハート!」


 現れた真っ赤なソレは、顔の辺りから突起を何本もうねらせて、身体は芋虫のようになっている。ナマコの一種と呼べそうな巨大なバディだった。その見た目はキュートとはとても言い難く、グロテスクで恐怖を覚える恐ろしい見た目をしている。巻き込まれた人たちは「何だこの化け物!」「ひぃ!」などと呻いていた。中には逃げ出そうとした人もいたが、「死にたいの?」とまたも低く響く声で言われて、ガタガタと身を震わせた。


「この美しさがわからないなんて……貧困な感性ね。可哀そうなコたち……」


 やれやれと首を振ったベルベットは、「さて」と言って少し真剣な顔をした。


「アナタたちには、新たな人類に成れるのかどうか、テストを受けてもらうわ。ルールは簡単よ。そ、れ、は、ここから自力で脱出すること!ワタシに殺されないようにねっ!大丈夫!バディさえ呼びだせたなら助かるわよん!ンッフフ!」


 ベルベットはそう言って高笑いをした。奴はテストも兼ねて殺しを楽しみたいだけなのかもしれない。小日向はしっかりと狙いを定める。


「んじゃ!始めましょうか?」


 その直後だった。まるで大きな地震のように辺りが揺れる。いや、それは地震ではない。腹に響くような低い音。「な、なんすかこれ!」それは猪俣が今までに聞いたことがないほどの巨大なノイズだった。2人の居る向かい側からその主はゆっくりと顔を覗かせる。


「あっはははあははあはは!」


 その心海魚は歪な声で嗤っていた。それは複数の人間が狂気にまみれて笑っているようで、怖気の走る声をまき散らしている。まるで壁から新たな命が生えてくるかのように、その魚はノイズを響かせて全貌をあらわにした。ゆらゆらと揺れるように近づいてくるそれは、深海魚のラブカを彷彿とさせる。胴体に比して顔の横幅は広い。その顔についている口は不自然に裂けており、たれ目と合わせて笑っているようにも見えた。


「何よコイツ!キモイわねぇ……邪魔しないでっ!いきなさい!スウィートラブボンバー!!」


 ベルベットがそう言い放つと、ナマコはゆったりと胴体をくねらせてその心海魚の方を向いた。そして、うねうねとした突起が花弁のように広がると、口のあたりから巨大な内臓に似た何かを発射する。周囲に集まっていた人たちは次々と逃げだすが、ベルベットは「まあ、いいわ」と言って横目に見ていた。


「さあ!花火になりなさあ~い!」


 放たれたそれはラブカに向かって一直線に飛んでいく。だが、その砲弾は段々とその速度を落とし、標的には届くことはなかった。まるでこれ以上は進めないとでも言うように、空中で動きを止め、その場に落ちる。


「猪俣くん、あれはヤバい。こんな所に居て良いレベルのやつじゃない」


「マジすか……と、とりあえず市民たちを保護していきましょう!アレは放っておけばいいんじゃないすか?」 


「私は奴の能力をもう少し見定める。猪俣くんは無理せずに助けられる人を助けてあげて」


「了解っす!全員助けて、あのオカマ野郎も確保しましょうね!」


 そして彼は1階へと降りて行った。小日向はベルベットとあの心海魚双方の能力を見極めるために残った。もちろんいざというときに射撃することもできる位置である。


「何よもうっ!どういうことっ!?ならこれならどうかしら?ん食べっちゃって!マイスウィート!」


 真っ赤なスウィートハートはずぶずぶと音を立てると、その身が伸びた。そして、その口が広がって心海魚に噛みつこうと迫る。だがやはり、その体も徐々に接近速度を落としていき、結局3メートルほどの圏内には入ることができず押し戻されていった。


「んもおおお!アイツは無視ねっ!無視無視!」


 ベルベットはバディを呼び戻すと、魚に背を向けて歩き出した。だが、その瞬間である。遠くにいたはずのその心海魚の首に当たる部分が一挙に伸びて、逆にそのバディをバクリと食したのだ。さっきまで向いていた方向も違ったのに……。それはほんの一瞬の出来事で、小日向も全く反応ができなかった。予備動作の1つもない。おそらくは能力によるものだろう。


「んなによっ……これ……ぐ、ぐるじい」


 奴のバディは半分ほど齧られて、身体から内臓と血が飛び出している。苦しいのは当たり前だ。バディは自らの精神の塊である。バディが深刻な傷を負えば、心息は大きく削られてしまう。本体も溺死するのは時間の問題だ。


「いや……ごんな、ぎもいやつに……」


 ベルベットは胸を押さえ、その場でばたりと倒れた。おそらくはもう息をしていないだろう。


「あはあはっはははあっはははあ!」


 心海魚は不気味に嗤った。その不協和音はスタジアムに鳴り響く。そして奴は恐怖で動けなくなっている1人の男性にゆっくりと近づいていった。


「こっち見なさい!化け物!」


 小日向はバディの角をラブカに向けて発射する。しかし、その弾丸も段々と速度を落としその体には届かない。だが、先ほどの砲弾よりは近くまで届いているようだ。バリアというよりは空気抵抗のようなもので、発射物の速度や表面積が関係しているのかもしれない。


 心海魚はその弾丸を見て嗤うと、標的を小日向へと変更する。奴の動き自体は鈍い。逃げ続けて猪俣が被害者を救出するのを待つことができればそれでもいいが、気がかりなのは先ほどの攻撃だ。あれは回避が不可能な類の、能力による攻撃だろう。しっかりと見据えていたのに、動きすら追えなかった。気づいたときには奴の首が伸び、ベルベットのバディは噛みつかれていた。だが、無造作にその能力を行使してこないことを踏まえると、何らかの条件があるのかもしれない。心海魚は基本的には駆け引きなどはしないものだ。


「落ち着いてください!僕たちはあなたたちを救助しに来たんです!」

 

 猪俣はバショウを引き連れて、人々を救出している。しかし、笑い声と時々入るノイズがうるさく、声は効率よく届いてはいない。少し時間がかかりそうだった。その間、小日向は拳銃とバディ能力によって絶え間なく心海魚の注意を惹きつつ、能力を探ろうと仮説検証を繰り返す。「能力でないなら効くか」「攻撃の届く穴があるのではないか」「奴の周囲を覆っているものは常に発動しているのか」だが、芳しい成果は得られない。


「麗さん!僕も加勢しましょうか!?」


 何度か往復して4人を救助し終えた猪俣は小日向に向けて大声で話しかける。あと残りは2人。このままいけるなら無理に奴は倒さなくていい。小日向は残りの2人を探しつつ、返事をする。

 

「猪俣くんは救助を優先して!」

 

「NO,NO,NO」


 そこに八代から通信が届いた。このサインは、誰かがジョーに接触したことを示すものだ。


「TO:八代。NO,OK」


 すぐには駆けつけられない。今は目の前の人命が優先だ。合理性だけで見れば向かうべきかもしれないが、彼らを見捨てて逃げることは2人にはできなかった。


「猪俣くん、ラブカのすぐ後ろに子供がいる!」


 いつからそこにいたのだろうか、その子供は蹲って泣いている。途中から奴やベルベットのバディなどの陰にいたらしく、小日向の位置からは認識できていなかったのだ。その子はラブカの能力の影響を受けていないのか、かなり近いところにいた。


「ぜってえ助ける!」


 猪俣はラブカの後ろを回ってその男の子に向かっていくが、やはり奴の結界のような力によってたどり着けない。なぜあの子はあそこまで近づけた?小日向は思考する。いや、だ。つまり、ラブカに向かっていくものに対してその能力は働くということ。逆に奴の方から近づいてくる分には能力は発動しないのかもしれない。


 その時だった。

 

 奴はまたあの噛みつきを行った。それも連続で。やはり何の予備動作もなく……。


 あまりに一瞬の出来事で、小日向は反応することができなかった。彼女はヒヤリと背中に汗がにじむのを感じる。誰かが……死んだ?


 

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