Depth13 デスレス

 指定された場所に到着すると白衣姿の小柄な女性が電子タバコを吸っていた。ここは工場跡地のような見た目をしている。おそらくは実験用に普段から使用しているのだろう。ある程度の実験器具のようなものは揃えてあった。ほとんど明かりのない薄暗い中で、タバコデバイスの青白い光はまるで蛍のようで美しい。


「ああ、きたんだ。ヒラタ氏?だっけ?は少し離れてて。ガスの範囲はおおよそ5~20メートルだから結構離れておいた方がいいよ」


 優音は「です!」と言いたい気持ちをぐっと抑える。花咲には何回言っても無駄なのだ。もし興味を持ってもらえたなら話は別なのかもしれないが……。


 優音は黙ってかなりの距離を空けた。念のため心海魚がいないかの警戒は解かない。ここはDepth5なので大した敵は出現しないだろうが、イレギュラーもあるし潜む者ルーカーが出る可能性もゼロではない。


 それにしても、本当に大丈夫なのだろうか。明らかに殺傷用の兵器であるし、それをまともに受けるというのは、例えガスマスクをしていたにしても、決してやりたくはないことだ。常人なら試作品を自分で試そうなどとは思わないだろう。


「じゃあいくよ」


 しかし、花咲薫はなさきかおるは何の躊躇もなくガスグレネードの安全ピンを引き抜くと地面に落とした。転がった手榴弾からはシューッという空気の流れる音が鳴っている。ただ、そのガスは無色透明なのか、特に煙のようなものは出ていないように見えた。果たして……優音は固唾を飲んで見守った。


「……おっと。ああ、失敗か。おそらく心海と肉体のリンクが上手くいっていないのかな。フィルターカートリッジの素材を別のにして、触媒分解を上手く心海でも機能するように……」


 何かぶつぶつとつぶやきが聞こえるが、それより彼女は”失敗”と言わなかっただろうか?少しの間見守っていたものの案の定、咳やくしゃみを連発し、身体が痙攣を起こし始めた。そして、その場にバタンと倒れ激しく呼吸をしている。バディ能力を使って回復などをするのだろうと、もう少し見守ったが、一向にその気配もなかった。優音は近づこうにも近づけない。行ったところで自分も死ぬだけである。私の責任ではない……彼女は言い訳を浮かべつつ、やれることを試そうと決めた。


「ソラ来てっ!適応アダプト

 

 彼女の感情を見れば何かわかるかもしれない。優音は花咲をターゲットにして能力を発動した。ドクン。心臓が脈を打ち、感情が流れ込んでくる。『苦しい』『楽しい』。驚くべきことに彼女は苦しみながらも楽しんでいた。好奇心だとでも言うのだろうか?ワクワクとした感情、それはあまりにこの状況に不似合いで、理解の範疇を軽く超えていた。死の間際にもかかわらず恐怖の1つもない。あまりに異常だった。

 

 しかし、すぐに更なる異常な事態に彼女は気づいた。苦しみが……いや、感情が消えていく。これが死?そう思った時には、彼女はすでに事切れたようだった。優音の能力もすでに効果を発揮していない。認知しているにもかかわらず適応が終了した……。それはつまり、花咲の死を意味している。優音は頭を一瞬抱えたが、すぐに切り替える。死んでしまったものは致し方ない。帰って事故だと報告しよう……そう思った矢先。


「……そこそこ興味深い結果が得られたよ」


 優音は声のした方向を見る。そこには呑気に欠伸をする花咲薫の姿があった。彼女は確かに死んだはず……?

 

「いいい、生き返った!?」


「あー。そういえば言ってなかったっけ?……アイのバディはデスレス。能力は名前の通り”不死”。まあ疲れるから回数制限はあるけどねー」


 そう何事もなかったかのように言ってのけると、独特の電子音を鳴らして電子タバコをふかした。横には小さな紅クラゲのようなバディがぷかぷかと浮かんでいる。それはクラゲの幼体らしいが急速に成長しているようだ。青白い光に照らされて泡と煙に浮かぶ赤いクラゲは幻想的にも思える。だが、あまりにも突飛なその能力の前では、そんな光景も最早ただの背景情報にすぎなかった。


「もうっ!ほんとに驚きましたよ!?死んじゃったと思ったんですから!」


「あ、そう。まあ1回死んでるけどね。Ver4.2は失敗だ。帰って改良するよ。でも、折角だしその前にヒラヒラ氏?のバディを研究していいかな?」


 彼女は一応そう尋ねたものの、許可を得る気は全くないらしい。優音の苦々し気な視線を無視して、「骨の姿か……繋ぎ目は……?ふむふむ……」などと独り言を呟きながらべたべたとソラの身体を触っている。ちなみに優音はもう名前を訂正することは諦めていた。


「能力は?」


 優音はあまり気乗りがしなかったが、仕方なく答えることにした。どうせ答えるまで帰らせてくれないのである。ならば早く白状してしまうに越したことはない。


「能力は『適応』です。相手の感情を自分と同化させつつ、行動の分析及び敵能力の免疫のようなものを獲得します。敵の能力について理解度が高ければ、簡易的に相手の能力を使うことも可能です。なかなか実戦でそんな機会はありませんが、佐久間さんが試させてくれました」

 

「ほほー?それは面白いね。アイの能力にも適応してみてよ」


 それから優音はしばらく花咲の質問攻めや実験に付き合わされることとなった。そして、ほとほと疲れ果てたころ(心息を激しく消費したせいだけではないだろう)、ようやく地上へ戻ることができた。優音はあまり感じたことのない妙な身体疲労を感じていたが、自分の能力について理解は深まったし得るものもあったと割り切る。それに彼女の話していた心海に対する仮説も興味深いものだった。


「アイはね、心海というのは虚数次元に存在する人間の集合無意識のようなものだと考えているんだ。その次元では無意識が人類全体で繋がっているわけ。個人の心は常に虚数と実数を行き来している量子のようなもので、0と1の重ね合わせなわけだよ。そして虚数次元では……マスクがいい例だけれど、心海に持ち込んだりそれを消すことはできても、実数次元に存在していないものを想像して持ち込むことはできない。服装なんかは変えられるのにね。単純に情報量の問題かあるいは……」


 彼女は普段の態度とは違って非常に饒舌で楽しそうな様子だった。全ては理解しきれなかったのだが優音自身も気が付くとそこそこ楽しんでいたのも事実である。適応を使っていたせいも大いにあるだろうが。


「今日は、貴重な体験をありがとうございました!」

 

「じゃ、またね氏」


 優音は精一杯の愛想笑いを張り付けて礼をした。だが、ついに花咲は優音の名前を覚えたらしい。それは光栄なようでもあるし、少し面倒とも思えた。彼女はダルそうな素振りで軽く手を上げた後、ポケットに両手を突っ込むと、フラフラとした足取りで研究室の方へと歩いていった。

 

 一方の優音もくたくたの様子で病室のベッドへと倒れこんだ。なんとも長い1日だったように思える。だが、少し天井を見上げてぼーっとしていた彼女の耳に甘い声が轟いた。今日はどうにも忙しない。


「優音ちゃん、おっつかれぇ~!」


「こ、小日向さん!お疲れ様ですっ!」


 スライドドアが開くと同時に華やかな香りが纏った小日向麗こひなたうららが現れた。少し反応が遅れたが、優音はすぐに身を起こし、しゃっきりした顔をつくる。


「めっずらしいねぇ~お疲れだったかな?ごめんごめん!にたっぷりしごかれたとか?」


「いえ、その……」


 優音は佐久間と別れの挨拶をしてから、花咲と過ごした時間についてざっくりと説明した。それを聞いた小日向は、明らかに同情を寄せた顔で激しく何度も頷いていた。小日向も花咲をどうも扱いにくいと感じているらしい。


「あっちゃぁ。薫ちゃんか~。基本ボソボソ声だし、早口の時は小難しい言葉ばっかりだしで、ホントに何言ってるか全然わっかんないんだよねぇ~。よくぞ試練を耐えました!よしよし!」


 ひとしきり話を聞いた小日向はそう言って優音の頭を撫でた。優音もえへへと照れ臭そうにしている。


「そ、それで、今日はどうしたんですか?」


「あ、忘れてた!」小日向はパンと手を合わせて笑った。「一応この週あった近況をシェアするのと、優音ちゃんの様子を見てくるというのがミッションだったのよねぇ~」そう言って頭を掻きながら苦笑いを浮かべる。この1週間はメンバーも気を使ったのか、見舞いなどの際も仕事については触れていなかったのである。優音は純粋に質問を投げかけた。


「ぜひ聞かせてください!奴……ジョーの足取りなどは掴めましたか?」


 優音が真剣なトーンになると、小日向もふぅーと一度大きく息を吐き真剣な表情になった。


「奴の直接の足取りはまだ掴めていない。でも、最近起きている新しい事件と何かつながりがあるんじゃないかって串呂さんたちは睨んでるみたい」


「新しい事件……ですか?」


「そう。私たちは”オトヒメ”って呼んでるんだけど、そいつはバディ能力を使って人を老衰死させているみたいなの。もう何人も犠牲者が出ているしそれに……」


 彼女は少し溜めを作った。優音もただ黙って続きに耳を傾ける。

 

「どうやらオトヒメは”人喰い事件”の真似事をしたみたい。SNSを使って老衰死した若者たちの写真を拡散したの。ネットだけじゃなくて地上波も大きく取り上げている。早急に対処しなくちゃいけない」


 事態はかなり深刻だった。だが、これだけでジョーと繋がっていると断定するのは論理の飛躍に思える。もしかしたら串呂たちは他にも何かしらの情報を得ているのかもしれなかった。


「『申し訳ないけど復帰からかなり忙しくなると思うから、覚悟はしといてね』って隊長から。ホント首が回らないのよぉ。猪俣くんがまた死にかけたりもしたし……」


 小日向は不穏な発言をしたが、笑顔を作って続けた。

 

「というわけで、明日からまたよろしくね!佐久間っちの弟子だし、こんな事件ちゃちゃっと片づけちゃっていいのよ?先輩に忖度なんかいらないから!」


「は、はいっ!最善は尽くしますっ!」


 そう言った優音を見て、小日向は目をウルウルとさせて抱きついた。優音は思わず「ひゃっ?」と声を漏らす。

 

「……うううう。というより……助けてぇ!優音ちゃんがいないと私がつらいからぁ!」


 どうやらこの1週間しんどい思いをしたらしい小日向は優音に泣きついた。「あ、いや、その……」今度は逆に優音が小日向の頭を遠慮がちに撫でた。2人はそのまましばらくハグをし、他にも1週間の間に起きた出来事を共有して解散した。優音は殆どインターネットすら開かないので全く知らなかったのだが、世間的にも本当に色々と起きたらしい。


 どうやら怒涛の日々が始まるみたい……。優音は覚悟を新たに眠りにつくのだった。

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