Depth6 オトヒメ
指定された深度と座標はこの辺りのはずだが……
ターゲットの名前は
太陽は現場に到着すると辺りを見回した。ここはどうやらショッピングモールのような形状をしているらしい。心海の地形がどのように形成されるのかは誰にもわかっていないのだが、人間の心理が深く反映されているのは確かだ。心海のどこに行っても感じる奇妙なほどの薄気味悪さは、人の心に眠る恐怖を表しているのかもしれない。それは不安を煽る通奏低音のように常にざわざわとした感覚を呼び起こし、五感のすべてでそれを感じるのだ。
廃墟のショッピングモールを思わせるこの場所は、天井まで高く吹き抜けており、中央が大きく開けている。おそらくは何かしらの裏取引とでも言ってあるのだろう。それが罠とも知らず、のこのこやってくるわけだ。ターゲットとはこの開けた場所で待ち合わせることになっているが……。
――ピチャリ。彼は踏み出した足を止める。その床はなぜか水たまりになっていた。しかし、それは心海ではままあることだ。スプリンクラーが誤作動を起こしていたり、何かの警報が鳴っていたり、電気がチカチカと一定のリズムを刻んだり……。
だが、立ち止まった彼の視界の隅に、些細な違和感が映る。それは言葉に結晶化するより先に彼の本能を刺激し、咄嗟に身を退けた。やはり……攻撃。
元いた場所には穿たれたような跡がくっきりと残っている。しかし銃声もしなければ銃弾のようなものも見つからなかった。太陽は周りを見回しつつ遮蔽物目指して動き続けるが、敵は
嵌められたのは俺の方だったというわけか……?あのババアはどこまで知っていやがったんだ?そんなことを考えて、少しの怒りと皮肉な笑いが込み上げる。だが、この場にいるのはどうやら例の”魔弾”らしい。お互いを殺し合わせようって腹積もりか?それとも、奴の方が、自分が罠に嵌められていることを素早く察知したのか?いずれにせよ……どうやら殺り合うしかないらしい。
「いくぞ、ロイ」
呼び出されたロイは、太陽以外の誰にも聞こえない周波数で鳴き声を発する。それはどこか悲しい響きを含んでいた。その後、眼から黒い煙のようなものを噴き出して辺りに広がる。そして、包まれた2人は、煙と共に忽然と姿を消していた。
――
男は心の中で舌打ちをする。勘のいいガキだ。若い癖になかなかやりやがるな。おそらくだが、水に反射して映った俺の弾丸に気付きやがったか、空気の些細な流れの変化を無意識で察知したんだろう。上を陣取った背後からの攻撃。さらに俺の弾丸は特別性でほとんど透明だ。一番楽な想定ではこれで仕事終わりの予定だったが……まあいい、対策と準備は入念にしてきた。すこしばかり面倒だが、仕事は仕事だ。請け負った仕事はきっちりとこなさなくっちゃあな。
男は一発目の弾丸を外した後、その場をすぐに移動した。傍にいた黒い鉄砲魚のようなバディも心息の節約のために引っ込める。先ほどの攻撃でおおよその位置はバレたかもしれないが、奴は長距離戦闘向きではないと聞いている。上階に
ただし、奴――
彼の名は
彼は依頼を引き受けた時の事をチラと思い出す。現れたのはオトヒメの代理を名乗る、丸眼鏡をかけた長身のサラリーマンらしき男だった。
「ぜっったいに息の根を止めてくださいまし!と仰せつかっております」
その男は、本人の口調まで真似して告げた。最初はふざけているのかとも思ったが、どうやら奴はクソ真面目なだけらしい。お役所勤めか銀行マンか?パリッとしたスーツにネクタイをつけ、ツヤツヤの髪を七三に分けていた。言われた通りのことをこなす融通の利かない堅物という感じだ。俺もあんな感じに見えてたわけか……草場は自分の過去を彼に重ねていた。
結局、少しの交渉を経て、(ルーカーの端くれなら自分のケツくらい自分で拭いてもらいたいもんだ、そう本音では思いつつも)、その高い報酬につられた形で引き受けることにしたのである。
草場は、ヒダカが黒いもやに包まれていくのを上階の柱越しに見ていた。遮蔽物に隠れてはいたが、その黒々とした煙と巨大なクジラの姿は捉えられる。しかし、その煙が霧散した後には彼らの姿はきれいさっぱり消えていた。どうやら情報は正しかったらしい、彼はそう結論付ける。
「さて、と……」
上階から見守って少し耳を澄ます。事前に確認したが、この上階に来るには中央のエスカレーター(むろん動いていない)を上ってくる以外に道はない。ばらまいておいた水を踏んだなら音と水の波紋で居場所がわかるはずだ。まあこれに引っかかるようなマヌケならさっき殺せていただろうが……自分と比べて新参とはいえ、数年は心海の戦いを生き残っている相手だ。自分の能力の欠点くらいは把握して対策はとっているだろう。
案の定、静寂だけがその場を包み込んでいる。やはり……。もし仮に奴のバディが共に透明化している場合、その背中などに乗ってエスカレーターをショートカットしてくる可能性は大いにありえた。それならば床面の水などは問題にならない。「しゃーねぇ、いっちょやりますかねぇ……コルト」彼は小声でバディを呼び出す。
コルトと呼ばれた魚は彼の手にフィットするくらいのサイズで、下の
「モード:ミスト」
草場がつぶやくと、コルトの目は細かく分かれ、複数の小さな赤い点の束へと切り替わる。そしてすぐさま彼がトリガーを引くと、銃口からは細かな黒い粒が噴射された。それは霧のようにショッピングモールの5階から降り注ぎ、辺りを真っ黒に染め上げていく。これで透明化して泳いできていたとしても、位置がはっきりと割り出せるというわけだ。
「モード:ストレート」
再びコルトの目が赤一点に収束し、彼は降り注ぐ霧の中を注視する。もし最短ルートで泳いできていたならあの辺りにいるだろう……ゆっくりと降る黒い霧雨の中である程度の狙いを定めつつ、広い視野で見渡す。だが、その中を動く固体はどこにも見つからなかった。寸分たりとも動いていないとでも言うのか?いや、どこか別のルート、つまり抜け穴を作るなどで上がってきている可能性もある。妙な物音なんかはしなかったが……彼は色々と可能性を考えつつ、すぐさま、より安全な別のプランへと移行することにした。
まだまだ予備プランはある……。彼はいくつかの液体ボトルが入ったカバンを担ぎ、移動を開始した。もし俺がミストを噴射したところを見ていたならば追ってくるだろう。いやだが……もしすでに
わずかな可能性だがそれもありえなくはない。だがそれは考えても仕方のないことだった。草場は太陽が逃げださないためにいくつかの仕込みもしていた。
今回の奴の暗殺対象は俺になっているし、報酬は金だけじゃない。奴が追っているらしいジョーとかいう男の情報だ。対象の俺を脅せば聞き出せると依頼書には書いておいた。加えて少しばかり俺自身の情報も与えておいた(もちろんほとんどがミスリードだが)し、奴はきっと初撃で俺がターゲットであることを見抜いているだろう。それに自分の命を常に狙われるというのはかなりのストレスになる。ここで仕留めようとしてくるはずだ。
そんなことを考えつつ、草場は予め考えておいた場所へと到着する。黒い液体もヘンゼルとグレーテルよろしく、何度かこぼしてきた。不自然にはならない程度だが、不信感は抱くだろう。その心理的揺さぶりも戦略の1つ。少しでも迷ってくれたならば、心息は消費される。
奴はきっと来ざるを得ない。罠だと分かっていても……。俺はここで獲物が来るのを待てばいい。例え見えなくても殺せれば問題はない。戦いは始まった時点で勝敗が決まっている。地形と敵の情報、それに自分の能力。それらを踏まえて入念に準備した者が勝つのだ。草場は淡々と迎え撃つ準備を進めた。
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