第二十三話 可愛いはドジを越える!

 翌朝の宿。僕は、部屋の前でドアに耳を当てながら、ティアのうめき声に怯えていた。

「う、ううっ……な、なにこれ……ぐす……やだ、やだあっ……」

「ティア、どうしたの? 開けるよ?」

 声をかけても返事はなく、低い唸り声だけが漏れてくる。まさか昨日の礼装に呪いがあったのか……という不安が脳裏をよぎる。エリーナも背後で心配そうに口を結んでいる。


 意を決して扉を開けると、そこには床にうずくまるティアの姿。礼装はきっちり洗われて干されているものの、彼女自身は寝巻のままで髪がボサボサになっている。

「きゃあああっ!? いきなりドアを開けてこないでよ!」

 ティアが驚いて振り返る。僕は慌てるが、気になるのは彼女が痛みを感じているような様子だ。


「だ、大丈夫? 只事じゃなさそうな声出してたけど……礼装に呪いでも?」

 僕が駆け寄ると、ティアは顔を真っ赤にして首をぶんぶん振る。

「ち、違うわよ! なんか、変な夢を見ちゃって……目覚めたら腰が痛くて……うう、もう恥ずかしい!」


「変な夢って?」

 エリーナがそっと尋ねると、ティアは頬を膨らませて視線を泳がせる。

「……私があの礼装を着たら、逆にブサイクになっちゃう悪夢だったの。周りの人たちが『がっかり……思ったほど可愛くないね』、『君じゃ世界を狙えない。地区大会予選落ちだ』とか言って……うわああん! もう、想像しただけで恐ろしい!」

「………………」

 僕とエリーナは一瞬言葉を失う。どうやら呪いでも何でもなく、ただの悪夢らしい。しかもその内容がティアらしすぎて、逆に安心したやら呆れたやら。


「もう……そんなことで腰を押さえてうずくまってたの……?」

 エリーナがため息をつくと、ティアは「だって、夢の中で私、変な姿勢で転んだんだもん」と必死の言い訳をしている。

「なるほど……悪夢とドジが合わさって目が覚めたら腰が痛かったのか……」

「笑わないでよ! 私は真剣に怖かったんだから! 失礼しちゃう!」


 とりあえず、ティアに呪いの兆候はなさそうで安心だ。礼装も変な魔力は感じず、普通に洗濯できたという。寝ぼけて腰をひねってしまっただけらしく、僕らは胸を撫で下ろす。


 だがティア本人は、やや納得いかないのか、礼装を掲げてフリフリ揺らしながら再確認している。

「本当に大丈夫だよね? 着たら可愛いバリアが発動するんだよね? 私、変な夢なんかに惑わされないんだから!」

「そ、それは知らないけど……とにかく変な刻印とかはなさそうだけど、ひとまず専門家に見てもらおうよ」

「えー、でも可愛い服はすぐにでも着たいのに……私のポリシーに反するわ!」


 結局、僕とエリーナが必死に説得し、ティアが折れる形で、礼装はギルドの受付を通して専門部署に一度預けることになった。呪いの検査や歴史的価値の査定をしてもらい、問題なければ返却されるはずだ。


「ちぇっ……可愛い服を着て一気にバリアを完成させたかったのにな……」

 ティアは納得いかない様子で頬を膨らませるが、エリーナは呆れた口調で「危険物かもしれないんだから仕方ないでしょ」と突き放す。僕も「腰痛もあるだろうし、少し落ち着いてよ」と苦笑する。




 そんな騒ぎがあった朝を過ごしたあと、僕たちは迷宮の哨戒任務へ。ライラとは別行動で、また別の中層エリアの安全を確認しに行く。闇ギルドの活動は依然活発で、どこから敵が現れるか分からない。


「でも、礼装の一件はちゃんとギルドに預けたし、呪いがあったら即取り除いてくれるわよね。もし何もなければ、後で私が可愛くアレンジしてみようっと!」

 ティアはすっかり前向きだ。今朝の悪夢が嘘のように機嫌が良さそうだが、まだ腰に違和感があるのか、ときどき「うっ……」と顔をしかめている。


「本当に大丈夫? 無理しなくてもいいんだよ?」

「大丈夫ったら大丈夫! 私が可愛い姿でウロウロすれば、闇ギルドなんか怖がって逃げちゃうかもだし!」


 その強気発言が裏目に出るのはいつものことで……僕とエリーナは何度か苦笑し合いながら、慎重に通路を進んでいく。ここ最近、中層の魔物はやたらと落ち着かない様子で、コウモリ型やスライム型が一気に増えたり減ったりを繰り返しているらしい。深部の動きが表層にも影響を及ぼしている証拠かもしれない。


 やがて分岐を越えた先で、複数の悲鳴に似た声が響いた。急いで駆けつけると、そこには若い冒険者たちが倒れており、頭上を巨大な飛行型の魔物が旋回している。コウモリ型を凶暴に進化させたようなモンスターで、鋭い牙と毒針を兼ね備えている厄介な存在らしい。


「みんな怪我してる……! 僕たちが助けるしかないね!」

 僕は盾を構え、エリーナが魔法を詠唱開始。ティアは短剣を握りしめ、一歩前に出る。

「大丈夫! 痛い腰なんて気にしないわ! あんなコウモリもどき、一瞬で倒してあげるんだから!」

「頼もしいけど……くれぐれも無茶しすぎないでよ!」


 飛行魔物は血の匂いに興奮しているのか、負傷者を狙って鋭い声を上げる。ティアがそれを引きつける形で走り出し、僕とエリーナが後ろから援護。狙いは魔物の羽や急所となる腹部だ。


 しかし、すでに魔物の血走った眼は、あえて派手なピンク鎧を纏うティアに注目しているらしく、彼女めがけて突進してくる。


「ぐっ……!」

 ティアは短剣で相手を迎え撃つが、上空からの突進は予想以上に速い。咄嗟に腰をひねって回避しようとした瞬間、「ぎゃんっ!?」と変な声を上げて尻もちをついてしまった。


「きゃああっ! 腰があああ……!」

「ティア、大丈夫か!?」

 焦る僕。魔物は容赦なく牙を剥き、ティアを噛み砕こうとする。このままでは危ない。


「《フリーズ・ブラスト》!」

 エリーナが発した冷気の魔法が魔物に直撃し、動きが鈍った一瞬を狙って僕が衝撃波で距離を取らせる。続いてティアが必死に短剣を振りかざすが、座り込んだままでは思うように当たらない。


「ううっ、腰が痛くて立ち上がれない……でも、やるしかない!」

 それでもティアは諦めず、がむしゃらに短剣を突き出す。魔物の羽根を切り裂くまでには至らないが、脚部をかすめたようで、ぎゃああという苦痛の叫びが響き渡った。


「よし、あともう一息……!」

 僕がとどめを刺そうと間合いを詰めるが、魔物は激痛に暴れ回りながら、最後の力を振り絞って羽ばたく。巻き起こる突風に押され、僕は体勢を崩しかける。


「あぶなっ……!」

 ぐらりと視界が揺れる。エリーナも詠唱が間に合わない。魔物は再びティアに目をつけ、牙をむいて急降下してきた。


「や、やばい……!」

 ティアは立ち上がれず、盾も持っていない。短剣だけでは完全に防ぎきれないだろう。このままでは本当に喰われかねない。


 ――その瞬間、ティアの体から淡い光が揺らめいた。本人が意識しているのかどうか分からないが、その光の奔流がかすかにドーム状に広がり、魔物の突進を弾き返したかのように見えた。


「な、なに……今の……!?」

 僕が目を疑うほど、魔物はティアに触れる直前で跳ね飛ばされ、壁に激突して息絶えた。まるで本当にバリアが発生したかのように……。


「え? ええ? い、今の……私の可愛さが……バリアに!?」

 ティアが混乱する声を上げながら、腰を押さえて苦しそうに立ち上がる。エリーナも絶句した表情で近づき、僕は慌てて魔物の死骸を確認する。確かに動かなくなっているが、どういう原理であんな吹き飛び方をしたのか謎だ。


「ま、まさか本当に可愛い魔法が具現化し始めてる……?」

 エリーナはまだ半信半疑ながらも、さっきの不可解な光景を否定できない様子だ。ティアはひきつった笑みを浮かべていたが、やがて確信めいた輝きを帯びた目を向けてくる。


「私、やっぱり可愛いバリアを発動したんだわ……あれがそうなんだわ……! ほら、痛みで立ち上がれない分、気持ちが守らなきゃってすごく強くなって……そしたら勝手にバリアが……きゃーっ、すごいじゃない私!」

 腰を痛めて涙目のままで、嬉しそうにはしゃぐティア。その姿に、周りで倒れていた冒険者たちも「なんだこれ……」と呆気に取られている。僕は「魔物倒せたし、結果オーライ」くらいの気持ちで笑うしかない。


「と、とにかく怪我はない……? あとでキミらも治療を受けに行ってね」

 倒れていた若い冒険者たちへ声をかけ、ギルドへの報告も手配する。どうやら命に別状はなさそうだ。僕とエリーナが手分けして彼らを安全地帯まで誘導し、ティアは一応ゆっくり歩けるようになったが、腰に手を当ててシクシク泣きじゃくっている。


「痛みはあるのに、心は超ハイテンション……こんな感覚、初めてだわ! 可愛いバリアがついに本格発動するなんて、私、すっごく嬉しい……!」

「はいはい、でも治療はちゃんと受けるんだよ」

「わかってるってば! ああもう、可愛いと痛いが同時にきて混乱するわ!」


 周囲の冒険者たちにも怪我人が出ているし、僕たちもこのまま深入りはできないと判断し、いったん仮拠点へ引き返すことにした。魔物を倒して仲間を救えたのは良いが、ティアの腰痛と謎のバリアは気になるところだ。




 仮拠点に戻ると、治療スタッフがすぐにティアの腰を診てくれた。軽い捻挫や打撲程度だが、日頃の無理が祟っているらしく、しばらく安静にしたほうがいいとのこと。本人は「えー、まだクエストしたいのに!」とわめくが、医師が「可愛さも健康あってのものです」と言ってティアの頬を軽くつついた。


「うぐっ……そりゃそうかもしれないけど……」

「シヴァルさんやエリーナさんに迷惑をかけないためにも、数日は大人しくね」


 今までただの冗談っぽかった可愛いバリアが、実際に発動した気配がある。それがどれほどの負担を伴うのかは未知数だが、ティアのポンコツな身体には大きな影響が出るかもしれない。彼女は複雑な顔をしながらベッドに横たわる。


 そこへギルドの職員が来て、「礼装の簡易調査結果」が出たという報告を告げてきた。僕とエリーナが代理で話を聞きに行くと、どうやらあの衣服には強い呪いは確認されなかったが、特殊な魔力が織り込まれている可能性があるらしい。詳しい分析にはもう少し時間がかかるとのこと。


「呪いはないけど特殊な魔力がある……? それって、もしかして可愛いバリアに関係が……?」

 エリーナは疑いの声を上げるが、職員も「何とも言えない」と首をかしげるだけだ。


 ティアが腰痛で安静にしている間、その礼装の正式な鑑定が進められることになった。もし呪いがないと確定すれば、いずれティアが可愛くアレンジすることも可能になるだろう。彼女にとっては朗報だが、一歩間違えれば危ない実験になる気がしてならない。




 その夜、ティアは治療室のベッドでベソをかきながらも、「でも私、やっぱり可愛いはバリアになるんだって分かったもの!」と泣き笑いをしている。僕はそっと枕を直しながら、「無事でよかった」と心底思った。


「……あんな風に実際に魔物が弾かれるなんて、予想外だったよ。正直、驚いた」

「私もびっくりしたわ。腰が痛くて逃げられなかったのに、何かが私を守ってくれたんだもの……!」

「うん。でも今はしっかり休んでね。また怪我したら笑いごとじゃ済まないし」


 ティアはうんうんと頷きながら、布団にくるまって痛みと可愛さのダブルパンチに悶えている。エリーナは苦笑しつつ、「まあ、変な呪いがなかっただけでも大収穫でしょ」と慰める。

 いつもは騒がしいティアがこうして大人しくしている姿は少し珍しい光景だ。


「ねえ、シヴァル……。私、腰が痛くてちょっと情けないけど、可愛い魔法をもっと極めたいな。痛みがなくてもバリアを発動できるようになれば、きっともっと強くなれるでしょ?」

「そうだね……本当にそんな魔法が完成すれば、戦闘の幅も広がると思うよ」

「でしょ? だから私、闇ギルドがどんなに企みを巡らそうと、絶対負けないから! この腰痛が治ったら、また迷宮に突撃よ!」


 そうしてティアは再び強気な言葉で締めくくる。僕とエリーナは呆れながらも笑顔でうなずいた。彼女のこの底なしの前向きこそが、僕たちのチームに欠かせない原動力になっているのだと、改めて思い知る。


 こうして、礼装の呪い疑惑はひとまず否定され、ティアの腰痛を代償に可愛いバリアらしきものが存在する可能性が高まった。深部の扉をめぐる闇ギルドの計画はまだ健在だが、僕らは確かに一歩ずつ力をつけているはずだ。

 明日はティアが休養し、僕とエリーナは軽めのクエストを片付ける予定だが、またどんな事件が起こるかわからない。


「ふふ、早く腰治したい……。そしたらもっと華麗に戦って、皆に可愛さを見せつけてあげるんだから……!」

 ティアの瞳がきらきらと輝き、柔らかい笑みを浮かべる。その姿を見ていると、僕は自然と頬が緩んだ。

 たとえドジでも泣き虫でも、彼女は間違いなく僕たちの可愛いヒロインなのだろう――そんなことを考えながら、今宵も迷宮の夜は更けていった。

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