推しが初日スタオベを達成すると結婚してしまう件
ウニぼうず
第一章 推しが結婚ってどこ情報よそれ
桜井美咲は、スマホの画面を見つめたまま、息を呑んだ。
信じられない。いや、信じたいけれど、情報量が多すぎて脳が追いつかない。
『神谷蓮、舞台初挑戦!話題の新作で天宮玲奈とダブル主演!』
ニュースサイトの見出しが目に飛び込んでくる。神谷蓮。彼女の推し、舞台オタクとして数年にわたって追い続けてきた俳優。ドラマや映画での演技は見慣れていたが、ついに舞台に立つ。しかも、主演。さらには天宮玲奈とのダブル主演!?
「はぁ……!?どういうこと!!?」
勢いよく立ち上がり、部屋の中をぐるぐると歩き回る。心臓がバクバクしている。スマホを握る手も震えている。推しが舞台に立つ――そんな日が来るとは思っていた。でも、こんなに突然!?もっと、こう、段階を踏んで……例えば小劇場の小さな役から始めるとか、ストレートプレイの端役から経験を積むとか、そういう流れがあるものだと思っていた。
「でも主演って……えっ、すごすぎるでしょ……」
ようやく冷静になり、改めてニュースの本文を読む。どうやら公演は三ヶ月後。オリジナルの新作舞台で、恋愛をテーマにした作品らしい。脚本・演出は藤堂誠。実力派の舞台演出家で、映画やドラマ畑の俳優を積極的に起用することで知られている。確かに、神谷蓮が舞台に立つとしたら、こういう形になるのは納得できる。でも……。
「天宮玲奈とダブル主演……?」
天宮玲奈。子役時代から舞台に立ち、実力派として名を馳せる女優。演技の深みや舞台上での存在感は群を抜いている。彼女の演技を何度も生で観てきた美咲は、そのすごさを誰よりも知っていた。だからこそ、神谷蓮との並びを想像して、思わず膝を抱える。
「うわぁ……蓮くん、大丈夫かな……」
もちろん、彼の演技力には信頼を置いている。ドラマでも映画でも、役柄の解釈力や繊細な表現には定評がある。しかし、舞台は違う。映画やドラマならNGを出して撮り直せるが、舞台は一発勝負。舞台上での声の出し方、体の使い方、観客の前での表現力……経験がないまま主演として立つのは、相当なプレッシャーだろう。
「いや、でも……やるしかないよね、蓮くん……!」
応援しなきゃ。美咲は決意し、スマホのブラウザを開いた。まずは公演の公式サイトをチェック。日程、会場、チケットの発売日――すべて頭に叩き込む。そしてSNSを開くと、すでにトレンドには 「神谷蓮 舞台」「天宮玲奈 ダブル主演」 のワードが踊っていた。
ファンの反応をスクロールしながら、美咲は少し不安になる。
「神谷くん、舞台で大丈夫? 映画はいいけど、舞台は難しいよ」
「天宮玲奈と共演とか、演技力の差が目立ちそう」
「初舞台で主演はさすがに無理があるのでは?」
「……そんなことない!蓮くんは絶対にできる!」
美咲はスマホをぎゅっと握りしめた。確かに不安はある。でも、推しを信じるのがオタクの務めだ。何より、彼の挑戦を全力で応援するのが、美咲にとっての「推し活」なのだから。
深呼吸して、SNSで情報を集めながら、すぐに決めたことがある。
「とにかく、チケットを取らなきゃ!」
舞台のチケットは戦争だ。人気俳優が出演するとなれば、即完売の可能性もある。美咲は公演日程を確認し、すべてのプレイガイドに登録する準備を始めた。何としてでも、初日を観る。推しの晴れ舞台を、この目でしっかり見届けるんだ。
「よし……やるぞ!」
戦いの幕が上がる――推しの舞台と、美咲のチケット争奪戦の、両方の意味で。
――――――――――――――
「奈々、やったよ!!!」
美咲はスマホを片手に、勢いよくカフェの席に座るなり叫んだ。
目の前の佐藤奈々は、美咲の様子を見て、コーヒーカップをゆっくりとテーブルに置く。彼女の反応は落ち着いているが、長年の付き合いで美咲の「推し関連」の興奮状態には慣れっこだ。
「チケット、取れたの?」
「取れた!! 初日!! S席!! もうダメかと思ったけど、なんとか滑り込めたの!!」
美咲はスマホを奈々に見せつける。そこには確定した予約画面が表示されていた。倍率の高さに怯えていたが、最後の最後で奇跡的に確保できたのだ。
「おお、よかったじゃん」
奈々はそう言いながらも、特に驚いた様子はない。もともと二次元オタクの奈々は、舞台にそこまで関心があるわけではないが、美咲の推し活には一定の理解を示してくれる。
「もうね、心臓バクバクだったよ……あのプレイガイドのエラー画面、一生トラウマになる……」
「まあ、毎回そんな感じでしょ。推しのために戦うのが美咲の人生だし」
「そう!! 推しの人生は推しのものだけど、私は全力で応援するの!!」
美咲は拳を握る。奈々は「はいはい」と笑いながらストローをくわえた。
「で、蓮くんの舞台、どんな感じなの?」
「それがね……もう、期待しかない!!」
美咲はカフェのテーブルに身を乗り出し、手元のスマホをスライドさせる。既に集めていた舞台の情報を、奈々に見せながら話し始める。
「演出は藤堂誠、脚本は完全オリジナル。恋愛ものだけど、ただのロマンスじゃなくて、心の機微をじっくり描くらしいの。で、ヒロインが天宮玲奈! もう絶対面白いでしょ!!」
「ふーん。で、蓮くんはどんな役?」
「んー、まだ詳細は発表されてないんだけど……とにかく、舞台の主演よ! ドラマとは違う、生の芝居よ! 私たちが観てるその瞬間に、推しが命を吹き込むの! もうそれだけで価値がある!!」
熱弁を振るう美咲を前に、奈々は「相変わらずだねぇ」と肩をすくめる。
「でもさ、美咲」
「ん?」
「SNS、見た?」
美咲は一瞬きょとんとしたが、すぐにスマホを開いてSNSをチェックする。すると、「神谷蓮」「天宮玲奈」「熱愛」「匂わせ」 といったワードが、すでにトレンド入りしているのに気づいた。
「え……?」
指を滑らせてツイートを読んでいく。
「神谷蓮と天宮玲奈、共演決定!? え、これ付き合ってるってことでいい?」
「今まで接点なかったのに、いきなりダブル主演? これはもう確定じゃん」
「この2人、めっちゃお似合いだし、結婚まであるな……」
「ちょ、ちょっと待ってよ!! そんなのどこ情報!?」
美咲は慌てて詳細を探す。しかし、どの記事を見ても「関係者の証言」などはなく、ただの憶測ばかりだ。それでも、噂というのは一度火がつくと止まらない。
「はぁ!? 何これ!! ただの共演でしょ!? なんで付き合ってる前提なの!? まだ稽古も始まってないのに!?」
「まあまあ、落ち着いて」
奈々がなだめるようにコーヒーを差し出すが、美咲は動揺を隠せない。
「いや、だってこれ、どう考えてもおかしいよ! これから舞台をやるってだけで、なんで交際の話になるの!? しかも結婚!? ふざけんな!!」
「まあ、人気俳優と人気女優が共演したら、そういう話が出るのは仕方ないでしょ」
奈々は飄々とした様子で、スマホを覗き込む。
「にしても、すごい勢いで広まってるね……あ、ほら、早速まとめサイトに載ってる」
奈々がスマホを見せると、そこには「【速報】神谷蓮&天宮玲奈、熱愛説浮上か!? ファン騒然!」と煽るようなタイトルが躍っていた。
「いやいや、ちょっと待て! これ、どこにそんな証拠があるの!? ただ共演するだけじゃん!! もう!!」
美咲は頭を抱えた。推しの舞台の成功を願う気持ちと、余計な噂が飛び交う不安が、胸の中でせめぎ合う。
「大丈夫だって。美咲が応援するべきは、噂じゃなくて舞台でしょ?」
奈々の言葉に、美咲はハッとする。
「……うん、そうだね」
彼女は深呼吸し、気持ちを落ち着かせる。大事なのは、舞台の成功。そして、推しの演技をしっかり見届けること。
「変な噂なんかに惑わされてる場合じゃないよね……うん、蓮くんの演技を信じる!」
美咲は力強く頷いた。だが、心の片隅に何か引っかかるものを彼女はまだ自覚できないでいた。
――――――――――――――
「……まあ、緊張はしてますね」
配信の画面越しに、神谷蓮が少しぎこちなく笑う。
舞台のプロモーションのためのライブ配信。美咲は自室のベッドに座り込み、スマホを握りしめながら、その映像を見つめていた。神谷蓮と天宮玲奈が並んで座り、司会の高橋茉莉とともに、舞台の見どころや稽古の様子について語っている。
「舞台は初めてですもんね?」
高橋が問いかけると、蓮は深く頷く。
「はい。映像の現場とは違って、誤魔化しが効かないですし……玲奈さんをはじめ、キャストのみなさんに助けてもらいながら、なんとかやってます」
その隣で、天宮玲奈が腕を組み、どこか得意げな表情を浮かべた。
「そりゃあ、助けますよ。私は小さい頃から舞台に立ってますけど、神谷さんはまだ新人さんですから」
「新人さん」。
その一言に、コメント欄がざわめいた。
「玲奈ちゃん、強気ww」「神谷くん、新人扱いされてるの草」
美咲も思わず吹き出しそうになるが、蓮の表情を見ると、彼はまるで反論する気がないらしい。困ったような笑みを浮かべながら、素直に頷いた。
「はい、完全に新人です。右も左も分からなくて……何から何まで玲奈さんに教わってます」
玲奈はその答えに満足したのか、得意げに微笑む。
「よしよし、素直でよろしい。もっと褒めていいよ?」
蓮は苦笑しながら、しぶしぶといった様子で続ける。
「……天宮さんは、ほんとにすごいですよ。舞台での身体の使い方、呼吸の仕方、観客との間の取り方……全部、僕にはないものを持っていて、毎日学ぶことばかりです」
「あら、いい後輩じゃない。えらいえらい」
玲奈が楽しそうに蓮の肩をぽんぽんと叩く。
「いや、後輩って……年齢は僕のほうが上ですよ?」
「えー? だって、舞台キャリアは圧倒的に私のほうが上でしょ?」
「それは……否定できないです」
蓮が降参するように苦笑すると、玲奈は勝ち誇ったように腕を組んだ。
「というわけで、神谷さんは私の可愛い新人さんです」
コメント欄は大盛り上がりだった。
「玲奈ちゃん、蓮くんを完全に手玉に取ってるww」「姉御肌な玲奈ちゃん、最高」「なんかこの二人の関係性好きかも」
美咲は、心の中でちょっと待ってよ! と叫ぶ。確かに、二人のやり取りは微笑ましい。でも、こうやって絡みが増えるたびに、変な噂を信じる人が増えてしまうのでは……?
案の定、高橋が含みのある笑顔を浮かべながら口を開いた。
「いやあ、本当に仲が良さそうですね?」
「その方向に持っていかないで!」と美咲は心の中でツッコミを入れるが、当の二人は特に動じる様子もない。
「まあ、舞台って一緒に作るものですからね」
蓮がさらりと返すと、玲奈も軽く頷く。
「稽古場では毎日顔を合わせてますし、良い関係が築けてるんじゃないでしょうか?」
――アウト。
美咲の脳内で警報が鳴り響いた。
「良い関係」なんて言葉を、今この場で使うのはまずい!!
そして、コメント欄は案の定、大盛り上がりだ。
「は??? これはもう確定では??」「良い関係って、そういうこと!?」「蓮玲、結婚間近か……」
美咲はスマホをぎゅっと握る。だめだ、これは完全に誤解される流れだ。何でもないやり取りが、「仲の良さ」から「恋愛関係」へとすり替えられていくのを、リアルタイムで見せられているような感覚だった。
「では、お二人とも、本番に向けての意気込みをお願いします!」
高橋の締めの言葉に、蓮は真剣な表情になり、カメラをまっすぐに見つめる。
「僕にとって、今回の舞台は新たな挑戦です。玲奈さんやキャストの皆さんと一緒に、最高の作品を作り上げたいと思っています。ぜひ劇場で観ていただけたら嬉しいです!」
玲奈も同じく、真剣な口調で続ける。
「舞台は生の空間でしか味わえない感動があります。観客の皆さんと一緒に、この作品を完成させられるのを楽しみにしています」
こうして配信は終わった。
しかし、SNSでは――
「神谷蓮と天宮玲奈、やっぱり付き合ってる説」「匂わせ発言、来たな」「蓮玲、お似合いすぎる」
……やっぱり、変な方向に転がっている。
美咲はスマホを握ったまま、天井を見上げて大きく息を吐いた。
「……もう、どうすればいいの?」
蓮が頑張っているのは分かる。玲奈が彼を支えてくれているのも分かる。でも、こんな形で変な噂が先行してしまうのは、なんだか悔しい。
この時、美咲はまだ知らなかった。この「神谷蓮と天宮玲奈の関係性」が、ますます世間の注目を集め、大きな騒動へと発展していくことを――。
――――――――――――――
「……いやもう、意味が分からないのよ」
美咲はジョッキを片手に、盛大に愚痴っていた。
場所は駅前の居酒屋。推しの舞台チケットを勝ち取ったお祝いと称して、奈々と飲みに来たのだが、もはや完全に“愚痴の会”と化していた。
「舞台のプロモーションなのよ?それなのに、なんで『付き合ってる』『匂わせ』『結婚』なんて話になってんの!?共演したら即カップル認定なの!?そんなこと言ったら、世の中の舞台俳優、全員共演者と結婚しなきゃいけなくなるんだけど!?」
「うん、うん……」
奈々は適度に相槌を打ちながら、のんびりと焼き鳥をつまんでいる。一方の美咲は、すでにジョッキを三分の二ほど空けた状態で、まだまだ勢いが収まりそうにない。
「最初は『お似合い』とか『仲が良さそう』とか、そんな感じだったのよ。でも、今日の配信のせいで、完全に変な方向に話が進んでるの!ほら、これ見て!」
美咲はスマホを取り出し、SNSの画面を奈々に突きつける。そこには「#蓮玲」「#結婚間近」のタグとともに、さまざまなツイートが並んでいた。
「やっぱり付き合ってるってこと?」「蓮くん、玲奈ちゃんのこと好きそうだったよね」「え、スタオベで結婚発表ってマジ?」
奈々はチラリと画面を覗くと、ゆるく肩をすくめた。
「まあ、ファンの想像力ってすごいからねぇ」
「想像力で済めばいいのよ!これ、もうほぼ確定みたいに語られてるのよ!?私の推し、知らないうちに結婚させられてるんだけど!?」
美咲はジョッキをテーブルにどん!と置いた。
「だいたい、なんなの!?『スタオベしたら結婚発表』って!!?どこからそんな話が出てきたの!?舞台の成功と結婚がどう繋がるっていうのよ!!」
「うーん……それがネットってやつでは?」
奈々は冷静に言いながら、塩味の効いた枝豆をぽりぽりと食べる。
「火のないところに煙を立てるのが、ネット民の特技でしょ?たぶん、誰かが適当に言ったのが面白がられて、それが『そういうことらしい』ってなって、気づいたら『関係者の証言』みたいになってるパターンじゃない?」
「バカじゃないの!!?」
美咲は頭を抱える。
「いやもう、意味が分からない!!推しの舞台よ!?演技を楽しみにしなさいよ!!どうして変な噂ばっかりに食いつくの!!?ちゃんと蓮くんの演技を見てから言いなさいよ!!」
「それを一番願ってるのは、美咲だけなんじゃない?」
奈々がグラスを揺らしながら言う。
「少なくとも、SNSで騒いでる人たちは、舞台の内容よりも、蓮くんと玲奈ちゃんの“関係”のほうに興味があるみたいだし」
「それが嫌なのよ!!」
美咲は大きく息を吸い込んで、一気に吐き出した。
「私は推しの舞台を観たいの!!芝居を楽しみたいの!!それなのに、周りが変な期待ばっかりするから、変に意識しちゃうし、なんか純粋に楽しめなくなる気がするのよ!!」
奈々はしばらく美咲を眺めていたが、やがて静かに微笑んだ。
「……美咲、本当に舞台好きなんだね」
「え?そりゃそうよ、私は舞台オタクよ?」
「ううん、そういうことじゃなくて」
奈々は小さく首を振る。
「美咲って、ただ推しが活躍すればいいってわけじゃないんだね。本当に“舞台”っていう文化自体を大事に思ってるんだなって思った」
美咲は口を開きかけたが、なんだか気恥ずかしくなって、ジョッキに口をつけた。
「……まあ、ね」
「だからこそ、余計に腹が立つんでしょ?舞台をちゃんと観てくれないことに」
「……そうかも」
そうなのだ。
神谷蓮の舞台デビュー。それは彼にとっての大きな挑戦であり、成長の機会であり、美咲にとっては待ち望んだ瞬間のはずだった。
なのに、変な噂ばかりが先行して、肝心の舞台の内容に注目する人が少ない。そのことが、たまらなく悔しい。
「……でもさ」
奈々が、おしぼりで手を拭きながら言った。
「美咲が推しをちゃんと見てるなら、それでよくない?」
「え?」
「周りがどう思おうと、どう騒ごうと、美咲は蓮くんの演技を観に行くんでしょ?噂を信じるかどうかは他人の問題だけど、美咲の目の前の“推し”は、変わらないんじゃない?」
その言葉に、美咲はしばらく何も言えなかった。
そうだ。結局、自分が信じるべきものは――。
「……そっか」
美咲は深く息をついて、ジョッキを持ち上げた。
「じゃあ、改めて……推しの初舞台に乾杯!」
「はいはい、乾杯」
二つのジョッキがぶつかる音が、居酒屋の喧騒に紛れて響いた。
たとえ世界中が噂を信じても、彼女だけは違う。美咲は、自分の目で推しの舞台を見届ける。それが、舞台オタクのプライドだ。
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