***



 

 新品のスマホが入った袋をデスクに置いて、ヴェイルは着ていたコートを手近な椅子へ向け放り投げた。見ていたソリンがため息をつく。肩にかかった金の髪を背中へ払うと、手慣れた所作でコートを拾い上げハンガーラックに納めた。


「差し出がましいようですが、肩入れがすぎるのではないですか?」


「買い終わってから言うんだな」


 商談終わりに購入したこのスマホが、気に食わないらしい。


「貴方は私が言っても聞かないでしょう。ならば、いつ申し上げても同じこと。修道院の他の者には個人のデバイスを与えないのに、あの者にだけ与えるのですか?」


 「贔屓ひいきでは?」と言いたいようだ。一瞬、否定の言葉がでかけたが、ヴェイルは「そうだな」と返した。


「なぜなんです?」


「理由はいくつかあるが」


「聞きましょう」


 自分が聞きたがった癖に、なぜこうも上からなのか。

 会話の終わりに顎を上げる癖がある同胞をじろりと見つめ、ヴェイルは昔のことを思い出した。


 ソリンと出会ったのは五年ほど前。

 ヴァンパイア同士の抗争に巻き込まれ、かなりの深手を負っていた彼を少しだけ手助けした。

 別に大したことはしていない。なのにそれ以降、懐かれていつの間にかこの上品だが尊大な男はヴェイルの私設秘書のような役割に落ち着いた。

 ホテル事業に関する業務の他、ヴァンパイアが関わるような……いわゆる力仕事の頼み事を日々、引き受けてもらっている。


 ソリンは優秀だった。


 先日こそ、ニコとトビーがさらわれる事態に至ったが、それはつまり、これまでは防いでいたということだ。

 現に犯人たちは、ソリンの目をくぐることができなかったため、手を替え品を替えかなりの労力を要したと供述している。

 ヴェイルもそれを理解しているから、彼を責めるような態度はとっていない。

 それでも、ソリンのプライドは傷ついたようだ。

 誘拐事件以降、明らかに神経が高ぶっている。トビアスやニコへの当たりが強い。悪いのはお前でもあの二人でもないと告げてはいるが「わかっています」と返事がくるのみだ。

 携帯一つにここまでピリつくのも、おおかた、「自分が失態を犯したから、保険をかけられたのだ」と考えているに違いない。「次にもし事件に巻き込まれることがあっても、携帯があれば連絡が取れるかもしれない。そのために買ったのだ」と思っている。


(まあ、事実そうなんだが。そのまま言ったら面倒そうだ)


 まだまだ若く未熟なヴァンパイア。けれど力は強く、伸びしろもある。個人的に情もあるし信頼もしている。

 ただもし今後、自分の手が回らないとき。この男にニコの護衛が頼めるかどうかは、慎重に見極めなくてはいけない。


「もともと携帯は渡すつもりでいた。あの子の遺伝子型である"ニコル"は七十年ほど前、上流階級の間で広く流行し熱狂的な支持者を得た。一時期はどこへ行ってもあの顔があったが……最近は姿を見ない。多くのヴァンパイアがあの血の味を知っている。だからこそ、備えあれば憂なしだろ?」


「上流階級? 貴方が嫌うたぐいの者たちだ。彼らの社交場にあなたが顔を出し、尚且つ流行まで把握しているなんて。驚きですね?」


「別に俺は階級で相手を嫌っているわけじゃない。人を害するヴァンパイアが嫌いなだけだ。そうでない相手とは普通に付き合いもあるし、得難い情報も手に入るしな」


 ニコがこちらに来てから、ヴェイルは彼の遺伝子元オリジナルの特性について、バウトゥーラを持つ知人をあたり、調べはじめた。

 なぜ数が減ったのか。それは単なる流行りすたりによるものなのか、気になったのだ。

 依然、多くの情報は得られていないものの分かったこともある。


 "ニコル"の場合、クローン作成の成功率が他と比べて極めて低い。

 一時期は研究者の腕や環境等の偶然の因子から個体数が増えても、それを成し得た何かが欠ければ再現は難しい。そういうことだろうと知人は言った。


 クローン作成はまず、生体の腕や腰などから皮膚の一部を切除して、体細胞を採取するところから始まる。

 取り出した体細胞の核を、顕微操作けんびそうさで一つずつ卵子に移植していくのだ。

 ここで使用する卵子は特定のドナーのものでなくとも良い。卵子にも卵子提供者のミトコンドリアDNAが含まれるが、これはエネルギー代謝や一部の疾患に関与する程度で肝心ではない。

 外見や性格に直接関わってくるのは、切除された皮膚の持ち主の――つまり体細胞の核の持ち主の――DNAだ。


 細胞は冷凍保存が可能だが、核が老化していたり損傷していたりすると移植後に受精卵として機能しない。一体を生み出すのに、何度も何度も移植を繰り返し、成功するまでひたすら続ける。一人のクローンの陰には、同じ遺伝子を持つ死体が積み上がっている。まだ生まれてもいないものを「死体」と形容するのが適切かはわからないが……。だからこそ、ニコは危ないのだ。


「ですが何も、貴方ご自身が身近に置いて手ずから守らなくともよいでしょう? 貴方が特定の飲み物バウトゥーラを側に置いているなんて、皆がなんと言ってるかご存知ですか? 所詮、あなたも食欲や肉欲には勝てないだなんて、俗なことを」


「放っておけばいい」


「私が嫌なんです!  貴方を悪く言われるのは。こう言ってはなんですが、あの子がもし何かの理由で命を落とそうと、貴方に不都合があるのですか? もし、慈悲の心から守りたいと仰るなら、私に護衛を任せることだってできるはずだ」


「俺にとって不都合がどうかで人間の生死が選べるなら、そんなに有難いことはないな」


「どういう意味です?」


「良い。ただの独り言だ」


 森の中のアトリエを、今でも鮮明に覚えている。

 鉢植えに咲く色とりどりの花。暖かなサンルームと、陽に焼けたゴブラン織りのソファ。笑い合う二人のこと。


「……ニコは、俺が捕らえようと惑わしをかけたのに、それを破って俺の指を噛んできた。生への執着がそんなにも強いなら守ってやりたいと思うだろう?」


「は? あなたのまどわしを破ったと?」


「それだけ強い思いだったんだろう。そんな姿を見れば、贔屓ひいきしたくもなる」


 力自体は弱かった。けれど、心に噛みつかれたような衝撃だった。

 対象に触れずとも、相手がある程度の距離に居れば幻術はかけられる。敢えて触れるのは、より確実に強く知覚を操作するためだ。


 それなのにニコは抵抗した。


 加えて、それほど強い生への執着を持っているにも関わらず、他人を守ろうとする情や勇気も持っている。


 いつだって自分の心を惹きつけるのは、ひたむきな人間の持つ情熱だ。

 彼らの放つ一瞬一瞬の輝きを見逃したくない。その一心で自分は長年、人の中に留まっている。


「それに何より……あの場所であの日、あの時、ニコに出会ったことに意味を感じずにはいられないんだ」


 まるで死んだ友が、自分のもとへニコを遣わせたのかのようで。

 


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