第六章 カッシアンとサイラス
一
ベッドの上、波打つ白髪が放射状に広がっている。
サイラスはカッシアンの髪を避け左手をついた。
上体を支えつつ、友人の顔を上から覗き込む。
「まだ泣いてるのか?」
カッシアンはかれこれ数時間ずっと、泣き通しだ。
涙の跡を追うと耳の穴へと繋がっていた。寝ながら泣くと、雫はそこに行き着くらしい。
(へぇ……面白いな)
何か拭くものはないかと周囲に視線を巡らせると、ベッドの足元に白いブラウスを見つけた。その布切れを掴み、カッシアンの顔を拭う。
耳に指を入れ水気をとってやると、
むず痒そうに身じろぎをする。
「……んっ」
「よう。お帰り」
ややあって、「……来てたの?」と尋ねる声は、まるで寝起きのような
「ぼーっとしてどうした? 新月はまだ先だぞ」
月が消える新月の夜とその前後一日の合計三日間。力の強いヴァンパイアは不安定になる。力が弱まったり、その制御が難しくなったり、精神的に脆くなったり。症状はヴァンパイアによって異なる。
このままいくと後々、面倒そうだとサイラスは思った。
現に今日の時点で、屋敷の
「お前、あれどうしたよ?」
死骸を指差して尋ねると、カッシアンが静かに答える。
「……ぼーっとしてしまって、飲みすぎて。今度、謝らなくちゃ」
「なんで?」
「……え?」
「お前のなんだから必要ないだろ。それよりも服」
「服?」
「それ気に入ってるやつだろ? まだ新月も来てねえのに汚く飲み散らかしやがって。この調子じゃ全部、駄目になるぞ」
「ああ、本当だ……」
カッシアンは胸元を見下ろし、落ち込んだ様子だ。
「はぁ。ガキかよ。よしよしよし」
カッシアンを抱き起こして座らせ、サイラスは使用人を呼んだ。
血溜まりと死骸を片付けさせる間、乱れて絡まった白髪を整えてやる。
その後、ゆっくりと服を脱がせ、新しい衣服を着せる。最後にシミ抜きをするよう告げて、使用人を追い払った。
小さい頃に、カッシアンが所有する別荘のそばの湖で出会って以来、この男を慰めるのはサイラスの役目だ。
当時は「なんだこの、ぼーっとしたガキ」と思っていたが――今も思っているが――不思議と馬が合う。
子供の頃は二人で良い感じの枝を拾ったり、石を投げ水切りの回数を競ったり、月夜に眠るトンボを叩き起こして追いかけ、羽を地面に並べて数えたり――そんな幼少期の延長に今がある。
「よくあんな大貴族と懇意になったな」などと周囲には言われるが、大したドラマもない出会いだ。
「あの子に会いたい……」
「だから
「燃やされてしまうだなんて思いもしなかった……あの子は繊細だから、長引かせると可哀想だから、私がちゃんと時期を見極めてあげないといけなかった……」
しばらくして思い出したように「今日はどうしたの?」とカッシアンが問うてきた。サイラスはサイドテーブルに置いたアタッシュケースを
「お前がこの前、協力してくれた分の金」
同胞が処分に困っている
「要らない。お金が欲しくてしてるんじゃないから……どうしていつも持ってくるの?」
「送金とか振り込みとか言われてもな、形のないものは信用できない。現物に限る」
「……重いのに」
「そう思うなら受け取れ」
「要らない」
いつになく、そっけない言い方だ。
カッシアンは続けた。
「人間
人好きなヴァンパイアは言う。
――人を襲うな
――お前らは
――お前たちの振る舞いは人間社会に混乱を来たし、恐怖をもたらす
だから制裁を加えることも止む無しと言う。
「私たちは、人は襲っていないもの。私はただ、あの子ともう一度、静かに暮らしたいだけ」
再び俯いたカッシアンの頬の上を、涙が滑りはじめた。
「ああ、お前は間違ってないよ。論理的で理性的だ。おまけに優しい」
カッシアンの言う通りだ。
例え土の中から幾つかの骨が掘り起こされようと、それは人間のものじゃない。人には区別がつかずとも、
禁忌は犯さず、与えられた領分の内側で生きている。
人間だって自分の金を使って好きに肉を買い消費して生きている。
ヴァンパイアが同じことをして、それを非難される謂れなどあるはずがない。哀れで肩身の狭い同胞を救おうとするカッシアンのどこに不義がある?
「本当は俺の方で確かめてから、お前に言おうと思ってたんだけどな」
サイラスは一言断って、カッシアンに切り出した。
「お前にとっては朗報だと思うぞ」
「なに?」
「その前に確認させろ。この前の宴はルーマニアの例の城でやったんだよな?」
カッシアンは頷いた。
とある同胞がルーマニア北西部の古城を年老いた人間から買い取った。その伝手で開かれたのが前回の宴だと。
「城の持ち主が画家のパトロンやってたの知ってるか? アトリエが敷地内にあったのは?」
「……知らない」
「その画家、ヴェイルの知り合いらしい」
色素の薄い眉が寄った。
出てきた名前が不快だったようだ。
「この前、俺の取引先がウィーンで事故ったんだけどな、その現場にニコルの血があった」
「え?」
「匂いからして間違いない。まあ、雨が降ってすぐ流れたが……ウィーンと言えば、奴の根城だろ? 奴が城からニコルを連れ出してウィーンまで持っていったのかもしれない」
「そんな……森の中で、ニコルは偶然ヴェイルに出会ったの?」
「さあな。でも可能性はある。ヴェイルのやつは新月のときどうなる?」
「わからない」
「お前の家系は力が弱まるだろ? 傍系でも同じなんじゃないか?」
「……そうかも」
「じゃあ、まあ、賭けてみるか。面倒なことになるのは目に見えてるけど」
ヴェイルの立ち位置は、なかなかに奇妙だ。
大貴族の傍系の血筋だが、本人はまず表舞台には出てこない。これまで同胞の揉め事に口を出したことは一度もなく、にも関わらず人間派のヴァンパイア共にやたらと慕われている。敵に回すと厄介だ。
「でも、ヴェイルは
「うん。……あの男はヴァンパイアが嫌いで、
「そんなの嫌。よりによって」と呟くカッシアンの瞳が揺れた。
「おい、またかよ。どうした」
「昔、あの男に……『気色悪い』って言われたのを思い出して」
「そんな男に、自分のお気に入りがヤられるのは嫌だって?」
カッシアンは耳を塞ぐと布団を被り、再びベッドの中に潜り込んでいく。
「知るのが怖いなら俺が行ってやるよ。どっちにしろ今、ニコルを持ってるかもしれないのは、この世でヴェイルだけなんだろ?」
もぞり。布団が肯定を返す。
サイラスは口角を引き上げた。
(ニコルに執着してる癖に俺に任せるんだから、情けなくて可愛い奴だよお前は)
カッシアンは目立つ。
人に紛れる
「お前は本当、どうしようもないな。なぁ、ヴェイルの話をもっと聞かせろよ」
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