悪役令嬢でも幸せになって良いですか?

ぜろ

第1話

 わたくしの名前はワルイザ・ハーンテッド。今を時めく悪役令嬢だ。例によって平民娘に王子の心を持って行かれた。三歳の時から五年にわたり受けて来た厳しい妃教育が無駄になっては堪らない。だからわたくしは今日も先に高等部の校舎へと馬車を乗り付けるのだ。平民娘を待ち受けるために。


「あらターニア、今日も恥ずかしげなく学園に来ているのかしら? まったく平民娘の根性には呆れ返るものがありますわね!」

「あらワルイザお嬢様、おはようございます」

「あ、おはよう。じゃなくてっ! いい加減王子のことは諦めて学園も出て行かれた方が良いんじゃないのかしら! あなたのおうち、それほど裕福でもございませんでしょう? 王立学園に居続けるにはご両親の負担が大きいんじゃなくて?」

「王子と学園には何のつながりもありませんし、家は小金持ち程度ですから私一人を学園に通わせるのは平気らしいですよ。あら王子、おはようございます」


 ターニアの目線がずれて、わたくしを飛び越していく。立っていたのは私より背の高い、今年で学園高等部に入った王子――わたくしの許嫁である、オーベル様だ。呆れたように私を見下ろし、てちてちと頭を軽く叩いて来る。気安いそのしぐさが嬉しくて、でもちょっと髪が乱れるのがもどかしくて、むがーっと両手を振り上げた。くすくすと笑う王子。笑いものになんてなってはいけませんわ、わたくしはワルイザ・ハーンテッドなのだから。


「おはようターニア。おはよう、ワルイザ。君も毎日早起きしてわざわざ高等部に来なくたって良いだろうに、変なところで勤勉だね」

「変ではございませんわよ、わたくしの王子が平民に誑かされている噂が毎日入って来るんですもの、たまりませんわ」

「僕はまだ君のものじゃないんだがなあ」

「まあ王子、婚約破棄するおつもりですの!? あんな小娘のために!? 我がハーンテッド家との婚約はお互いに不利益ではないはずでしょう!?」

「利益不利益で生涯の伴侶を選ぶのが少し嫌になって来ただけだよ。さ、君はもう初等部へお戻り。早くしないと遅刻になってしまうよ」


 校舎の時計を見ると、確かにぎりぎりだった。これもターニアがのんびり出校な所為だ。ふんっとくるくるに巻いた長い黒髪を翻し、わたくしは馬車に乗って初等部に向かう。二人がひらひら手を振っているのが見えたので、べーっと舌を出してやった。庶民ぽい仕種だと我ながら思うけれど、それでも王子は渡したくないのだ。


 妃教育を受けて来たわたくしには、ターニアに対し一日の長があると言って良い。五年間のそれは確実にわたくしを王子に近付けるだろう。王子だって生まれた時からの婚約者であるわたくしをそう簡単に捨てやしまい。八年間の契約は、結構長いと言って良い。


 初等部二年の教室に入ると、ごきげんよう、とみんながわたくしに首を垂れる。そう、わたくしはこの歳――齢八つにしてかしずかれることに慣れている、公爵令嬢なのだ。あんな芋臭い娘に王子を取られてたまるものですか。わたくしの王子なのよ。生まれた時から、わたくしの王子と決まっていた人なのよ。


 羽ペンをざりっと言わせると、インクがにじんでノートに染みを広げた。まあ良い。小金持ち程度の庶民がいつまで学園に通っていられるか、見ものと言うものだわ。

 思いながらわたくしはにやりと笑い、教師にあてられた文章をすらすらと読んで行った。

 四歳から文字の読み書きは出来ていたから、こんな他愛のない授業すっ飛ばして高等部に入学したいぐらいだった。



「ではマリアンヌさん、ターニアの家の資産状況をお教え願えます?」

「は、はいワルイザ様!」


 放課後はティータイムと称してターニア対策だ。今まで何を言ってものらりくらり、靴を踏んでも靴墨が付いてしまいますよと言うぐらい図太い女だから、何を隠しているかしれない。案の定私に名指しされたマリアンヌはおずおずとしている。じ、っと見つめると、すくみ上ったように手元の手帳を見つめた。


「小金持ち、と言うよりも、平民としては裕福な部類に入るようです。実家は海運業で財を成し、社交界にも出入りを許されている程度だと」

「……それは、面白くありませんわね。アデライドさん」

「は、はい、実はターニア嬢の母方の祖父が公爵家に連なる人であったらしく、素性もしっかりしたものだそうです」

「カトリーヌさん」

「成績は上々、特に得意な科目はまだありませんが苦手な科目もないと」

「ふん! まったく面白くない娘だこと! このわたくしの前に出ること自体が差し出がましいというのに!」


 サンドイッチを頂いてから紅茶の匂いを楽しみ、少しだけミルクを入れる。音をたてないようにスプーンで混ぜ、ハンドルをつまんでこくんっと喉を鳴らすと、少しだけ留飲も下がった。家柄も成績も非の打ち所がない? でも今はただの平民の娘よ。そんな娘が王子とどうにかなろうだなんて、おこがましいのよ。

 わたくしの王子様。金髪碧眼、くるくるの髪に優しい笑顔。それを向けられるのがわたくし以外だなんて、冗談じゃない。わたくしの。わたくしだけの王子様だったのに。


「オーベル様はどう思っていらっしゃるか、と言うのを、皆様の見解としてお聞きしたいですわね」


 顔を合わせる三人の同級生。代表として手を上げたのは。マリアンヌだった。


「王子様の方がターニア嬢に惚れ込んでいるのではないか、と……」


 かしゃんっと茶器を鳴らす。びくっと三人の肩が震える。


「王子があんな芋臭い娘を相手にするはずありませんわ! きっと平民が珍しく見えているだけよ! 王子はわたくしの王子なのだから! 生まれた時から、決まっていたんだから!」


 ちょっと泣きそうになるのを我慢しながら、わかくしは割ったスコーンにジャムとクロテッドクリームを塗り、口元を隠してしまう。

 王子がわたくしを捨てるはずなんてない。

 そうですわよね、王子?

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