第7話 シロヒコ、返礼品を受け取る

堤の側に積み上げられた品々はムラにとってはひと財産だった。

堤の監視も兼ねて、見張り番が立てられることになった。


番は交代制だったが、最後の寝ずの番はシロヒコが名乗り出た。

堤の前で所在なくうろついていたが、やがて座り込む。


この時代、夜は長い。

ろうそくや油種火の明かりが庶民に普及するのは江戸時代以降である。

ムラの明かりなど、寝屋で灯される炉の光と夜空の月星が全てであった。


鎌の形に欠けた月が日を追いかけて夜空に残っていたが、もう沈んでしまっている。

見張り番には焚き火が許されていたが、既に燃え尽きていて、

わずかに柿色の灰がくすぶるのみである。


シロヒコは焦りを感じていた。

シロヒコは未だ若衆の一人に過ぎない。

幼馴染だったサクヤが神託を無事にこなしてしまうのを見て、

何とかムラの役に立とうと必死だった。


シロヒコは夜這よばいの習慣を持たない純粋な青年だった。

明日こそ皆の役に立とうと決意しながらさっさと寝る毎日である。

シロヒコは地面に雑に敷いた使い古しのむしろの上で、

暗く襲い掛かる睡魔を必死にこらえていた。


「シロヒコ…。起きてる?」


そこへ、耳慣れた少女の声が耳に届く。

視界に入らずとも間違えようのない、サクヤの声だった。


「ああ、こっちだ…」


声を張り上げたつもりが身体が妙に重く、

つぶやくような声しか出せない。


「初めてのお仕事で、すっごく

 緊張したんだよ。ちゃんと見てくれた?」


ああ、もちろんだ。


睡魔と闘いながらシロヒコは返事するが、

声が届いている自信がない。


「シロヒコも頑張ってるんだね。こんな遅くまで番をして。

 私、びっくりしちゃった」


サクヤはすぐ目の前に居る。

じっとこちらを見つめていた。


「どうしたの? 返事してくれないの?」


サクヤが心配そうな顔で寄りかかってくる。

体重が感じられないくらい軽いのに、

か細い手で触れられたところが焼け付くように熱い。

シロヒコはサクヤを抱きとめようとして手を伸ばし――


まぶしくて目が覚めた。


山の辺から顔を出した日の光がシロヒコの顔にかかる。

ガバッと慌てて身を起こす。すっかり朝だった。


里の朝は早い。

寝屋を出て母屋に行き、朝食の支度を始めるもの。

畑に出向き見回りを始めるもの。

遠目に何人かの仲間たちの姿が見えた。


幸い、シロヒコが番で寝こけていたいた様子を

見とがめたものは居なかったようだ。

そうだ。貢物はどうなった?


貢物は堤の側に積み上げていた。

シロヒコは張り切って大蔵との間を何往復も運んだのだ。

だがその姿はすっかり消えていた。


「無い!? いや、ある…」


シロヒコの目の前に見慣れぬものが積み上げられていた。

鹿の毛皮、見慣れない複雑な文様のつぼ

黒光りする丸みを帯びた石。

まるで井原の里の貢物が化けたかのようだった。


内容を確かめようと近寄ったが、

それより先にやるべきことがあることを思い出した。


「み、みんなー! 返礼が来たぞ!」


シロヒコは叫びながら皆を呼び集めた。


井原に贈られた返礼品を皆で改める。


・茅(カヤ。ススキのこと)を編んだ大ムシロ2枚。下敷きとカバーを兼ねている

・鹿の全身毛皮3枚

・栗5升。イガは取り除かれているが鬼皮は付いたままだった

・藻塩3升。砕いた海藻を海水と共に煮詰めて作られる

・栗と藻塩が詰められた壺2個。見慣れぬ文様がびっしりと彫り込まれている

・底の尖った奇妙な壺1個

・人頭大の黒曜石1個


里の者たちには見慣れぬものばかりだった。

歓声が飛び交う一同。


そして、堤には石のくわを地に突き刺して立てられていた。

その意味は明白だ。


「これは…。おそらく堤を砕いた得物だろう」


タカクラジが鍬を引き抜き、皆に振り返る。


「堤を壊したものたちはもはや我らの敵ではない。

 再び堤が壊されることはないだろう。

 急いで修復せよ。早乙女たちを待たせるな」


応!

男たちは歓喜に沸いていた。


サクヤの神託がもたらしたこの特異な結果は、

日本全土を巻き込む神話のはじまりだった。

やがては大陸の諸国や中国の皇帝をも動かす未来へと繋がるわけだが、

今はまだ辺鄙へんぴなムラの小さな事件に過ぎなかった。


井原のムラと謎の勢力との貢物の交換は、

歴史的に特筆すべきものと言える。

一般的にこういった最も原始的な

交易形態のことは沈黙交易と呼ばれる。


交易する双方が互いに姿を見せないことが特徴で、

歴史上様々な地域、民族の間で実施された。


決して過去の遺物ではなく21世紀の

現在でも公然と行われている。

日本の農村部では、人々は自分の畑でできた

余剰物を周囲の庭先に放置する。

受け取った側は暗黙のうちに誰から

贈られたものかを正確に判断し、

後日然しかるべき返礼品を用意する必要がある。


※鍬(くわ)

 土を耕すための農業で最も基本的な道具。

 L字型の木の柄の先に石斧を垂直に固定した構造で、

 腕の振り下ろしにより地面に叩きつけることで穴を掘ることができる。

 使い方は現代のツルハシと同じである。

 石斧を柄の先にまっすぐ取り付けた道具は鋤(すき) であり、使い分けられた。

 縄文時代、弥生時代共通で細長い磨製石器および打製石器が

 大量に発見されており、その形状から石斧と呼ばれている。

 従来は斧として使われていたと推定されていた。

 ところが井戸尻考古館の実証研究により、磨製石器の石斧が伐採用、

 打製石器の石斧が鍬の刃先として使いわけられていたことが判明した。

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