― 対摂理・ジェミニ計画 ― Episode Lazu[L // R]ite//エピソード・ラズライト
或火譚/アルカタン
1〜4
機密文書 H.A.3061 –
計画名称:対摂理・ジェミニ計画
編纂責任者:OZ 機密指定:極秘
[計画目的]
本計画の目的は、カルディア:タイプ・ジェミニの開発である。
これを実現するため、計画は聖書『
[対象条件]
計画の遂行には、双子の存在が不可欠である。
・双子は親に愛されていないことが必須条件とされる。
・また、無知であること、外部の情報や世界の構造を理解していないことが求められる。
・年齢は5歳から7歳が望ましいとする。
[計画区域と環境]
・計画実施区域として、南ビアンポルト地方に2500平方キロメートルの専用区域を確保。
・当該区域に、計画のための都市「フラトレス」を建設する。
・フラトレスに集められた双子は、12歳になるまで外部の世界および戦争についての知識を一切与えられないものとする。
・双子には、計画の成功を前提とし、あらゆる不安要素を排除した環境を提供する。
・愛情を与え、幸福な環境で育てることが、本計画の最重要事項の一つである。
[計画遂行のための資源]
・本計画の成立には膨大な量のリンネホープが必要となる。
・収集、管理、精製に関する作業は、別途指定された機関によって行われる。
– 責任者の任命 –
本計画の責任者として、ファウスト博士を正式に任命する。
本計画の成功を祈る。
OZ
―― 起点 α ――
英雄歴 3061年4月――『対摂理・ジェミニ計画』、始動。
世界のカルディア開発技術と魔法体系の粋を結集し、2500平方キロメートルにわたる巨大な工場プラント――新たな
どこまでも続く鉄の都市。視界の果てまで、無数の煙突が立ち並び、蒸気が空へと昇っていく。幾千もの炉が赤く脈打ち、金属の匂いと熱が重く空気を満たしている。迷路のように絡み合った鈍色のパイプが頭上を這い、制御塔の赤い灯火が絶え間なく点滅していた。
その中心に鎮座するのが、
円筒状の巨大な炉で、頂点は雲を貫くほどの高さを誇る。外壁には複雑な魔法の式が光を放ちながら流れ、炉の側面には回転するリング状の部位が幾重にも重なっている。周期的に光が脈動し、そのたびに炉の奥深くから低い振動音が、まるで怪獣の叫び声のように響き渡る。
ここでは、魔法起動機兵/カルディアの製造が進められていた。
魔法起動機兵/カルディア。
――魔法起動式のヒト型ロボット。
高さは20メートルから25メートルのものが一般的で、
「聖鉄/セイテツ」と呼ばれる特殊な金属から造られる。
ただのカルディアではない。
その名も。カルディア:タイプ・ジェミニ。本計画の最終目的だ。
――。
地上は、鉄と炎が支配する世界だった。
しかし、この都市の本質は、地上ではない。
真のフラトレスは、地面の下に広がる巨大な地下都市である。
そこは、まるでアリの巣のように縦へと広がり、無数の箱状の区画が積み重なっている。それぞれの箱は、独立した「箱庭」として機能し、特定のテーマを持つ。それらの箱庭同士は、巨大なエスカレーターによって繋がれており、縦横無尽に移動することができた。
都市の中央は吹き抜けになっており、
最深部から見上げれば、遠く地上の空が霞んで見える。
この地下都市の目的は、計画の対象となる双子たちを育てるための環境を整えることにある。すべての箱庭は「子供のための街」をテーマに造られ、まるでテーマパークのように彩られていた。
- 村の箱庭:のどかな農村が再現され、麦畑と風車が回る。動物たちが放牧され、子供たちは土に触れながら暮らす。
- 学校の箱庭:白い校舎が立ち並び、学び舎としての機能を持つ。
- 遊園地の箱庭:回転木馬、観覧車、魔法で動くジェットコースター。笑い声が響き、子供たちは夢の世界にいるかのような時間を過ごす。
- 水族館の箱庭:透明なドームの中に海が広がる。魔法の水流が魚たちを浮かべ、空を泳ぐような幻想的な光景が広がる。
- 動物園の箱庭:希少な生物たちが飼育され、子供たちは目を輝かせながらそれらと触れ合う。
- 病院の箱庭:傷ついた者を癒す施設。静かな白い部屋が並び、魔法医学の力で病を治療する。
- 劇場の箱庭:巨大なホールには豪華な演出が施され、許可された劇や音楽が披露される。
- お菓子工場の箱庭:好きなお菓子を好きなだけ食べることができる。虫歯には要注意。
他にも、子供たちのために無数の箱庭が用意されていた。
対象はこの都市の外の世界を知らない。
この地下都市は、幸福だけが与えられる閉ざされた楽園だった。
―― 対摂理・ジェミニ計画、選ばれた双子たち。 ――
計画は始動した。
数多くの候補の中から、最適とされた四組八人の双子が選ばれた。
―――― ◇◆◇ ――――
『アメシストとシトリン――砂漠に生まれた無知な双子。
コードネーム:アメシスト&シトリン(5歳・姉妹)』
砂漠の国に生まれた二人の姉妹。
姉のアメシストは紫の瞳と濃いラベンダー色の髪を持ち、
妹のシトリンは黄金色の瞳と淡い黄色の髪を持っていた。
盗賊として生きる両親のもとで育ち、教育を受けることはなかった。
彼女たちが知るのは、金の価値と、生き抜くための浅ましい知恵だけ。
金に目がくらんだ両親は、ファウスト博士からの協力金を受け取ると、何のためらいもなく二人を手放した。
「金になるなら、お前たちなんかいらない」
その言葉を聞いたとき、二人の心に去来したのは恐怖ではなく、ただの静寂だった。
目隠しをされ、粗末な衣服のまま、トラックの荷台に押し込まれる。
どこへ向かうのかも知らぬまま、砂漠の夜風に体を揺られていた。
―――― ◇◆◇ ――――
『エメラルドとアクアマリン――貴族に捨てられた双子。
コードネーム:エメラルド&アクアマリン(6歳・兄妹)』
貴族の愛人のもとに生まれた双子。
エメラルドは翠の瞳を持ち、くすんだ緑色の髪をぼさぼさに伸ばしていた。
アクアマリンは透き通る青い瞳と、波打つような水色の髪をしていた。
彼らの母は、貴族の男に捨てられた。双子が生まれたことが原因だった。
母は二人を抱え、生きるためにすべてを犠牲にしたが、やがて息絶えた。
捨てられた彼らは、路上で野良猫のように生きる術を身につけた。
ファウスト博士に出会ったとき、二人はお菓子を差し出され、
「これは君たちのものだよ」と言われた。
初めて差し出された、純粋な甘さ。
疑うこともなく、二人は素直にお菓子を受け取った。
そして、目隠しをされ、トラックへ乗せられた。
―――― ◇◆◇ ――――
『ブラックオパールとホワイトオパール――戦争に生まれ、売られた双子。
コードネーム:ブラックオパール&ホワイトオパール(7歳・姉妹)』
ファウスト博士は、彼女たちの名前を呼びやすいように変えた。
ブラックオパール――姉のクロは、黒い瞳と、灰色の髪。
ホワイトオパール――妹のシロは、銀の瞳と、雪のように白い髪。
二人は戦争孤児だった。
焼け落ちた故郷、死んでいく家族、涙を流す余裕もない日々。
生き延びるために、彼女たちは奴隷商人の手に渡った。
売られるたびに、身体に傷が増えていった。
ファウスト博士は彼女たちを、資金で奴隷商人から買い上げた。
「君たちを夢の国につれて行ってあげる」
その言葉に、何の感情も抱かなかった。
目隠しをされ、再び檻の中に入れられるのと何が違うのか、わからなかった。
―――― ◇◆◇ ――――
『ラズライト――太陽の双子。
コードネーム:ラズライト|天藍石/Lazulite & 青金石/Lazurite(7歳・きょうだい)』
どちらが兄か姉かも決められなかった双子。
ファウスト博士はそれぞれ、スペルの違いから。
「エル/L」と「アル/R」と名付けた。
エルは、赤みがかった茶髪にルビー色の瞳の女の子。
アルは、同じ赤みがかった茶髪に、サファイア色の瞳の男の子。
母は彼らを愛してはいなかった。
「明日の朝ごはんのパンを買うお金もなかったのよ」
たったそれだけの理由で、双子はファウスト博士に売られた。
目隠しをされ、トラックに乗せられた。
どの双子も、それが新たな運命の始まりであることを知らなかった――。
「まったく……OZ/オズとやらは、名前を付けるのがめっぽう下手らしい。二人とも同じラズライトとはなんなんだ。まったく……まったく……」
ファウスト博士は、丸メガネを揺らしながら荒野を運転していた。
夢の国――フラトレスへと向かって。
うしろの荷台では、八人の子供がすやすやと寝息を立てていた……。
◇◇ ◆◇ ◇◇ ◆◇
トラックの振動が止んだ。
八人の子供たちは、いつの間にか眠りについていた。
目を覚ましたとき、彼らがいたのは体育館だった。
広大な床、天井には高く吊るされた鉄製の梁、四方の壁には奇妙に整った観客席。
だが、そこに座る者たちは、皆、どこか異様だった。
教師も、生徒も、全員がブリキでできた人形だった。
ギシギシと軋む音を立てながら、無機質な顔を持つ者たちが、整然と並んでいる。
目があるのかも分からない機械の頭は、こちらをじっと見つめていた。
ただ一人の人間。
壇上の演台に立つファウスト博士。
彼は丸メガネをかけ、少し古めかしいローブを身にまとった、気弱そうな三十代の男だった。
ファウスト博士が、マイクを手に取る。
「えー……」
言葉を発しようとしたその瞬間、彼はマイクに額をぶつけた。
――ゴンッ!
体育館に大きな音が響き渡る。
「い、痛てて……」
ファウスト博士は額を押さえながら顔をしかめた。
その瞬間、周囲のブリキ人形たちが一斉に手を叩き、カタカタと笑い声のような音を立てる。
キシキシ、カラカラ……。
笑いながら機械の腕を動かす彼らの動作は、
どこかぎこちなく、それでいて異様なほど整然としていた。
ファウスト博士は苦笑しながら、再びマイクに口を近づけた。
「えー……改めまして、入学おめでとうございます。選ばれし双子の皆さん」
彼は咳払いし、ゆっくりと続ける。
「あなたたちには、12歳になるまで、このフラトレスで生活してもらいます。ここでは、学び、遊び、そして成長することが目的です。もちろん、外の世界について知る必要はありません。あなたたちが知るべきことは、すべてこの場所にあります」
子供たちは、寝起きのぼんやりとした意識のまま、その言葉を聞いていた。
ファウスト博士は、機械的な拍手音を背にしながら、さらに続ける。
「ルールは簡単です。仲良く、楽しく、何も疑わずに生きること」
その言葉が、体育館の静寂に染み込む。
そして――。
エルは、違和感を拭えぬまま、周囲を見渡した。
この奇妙な空間。
笑い続けるブリキの人形たち。
壇上で穏やかに微笑むファウスト博士。
何かがおかしい。
「……なに、ここ……?」
エルは小さく呟いた。
彼女のその戸惑いを残したまま、第一話は幕を閉じる――。
> >> 第2話
フラトレス地下都市の奥深く、ファウスト博士のアトリエは異様な雰囲気に包まれていた。
棚には無数の薬草が詰め込まれたガラス瓶が並び、それぞれに古代アーキ語で記されたラベルが貼られている。部屋の隅には、鉄の大釜がゆっくりと泡立ち、淡い蒸気を放っていた。天井には無数の鎖と吊るされたランタンが揺れ、薄暗い光が壁に映る。
壁には神声文字が無数に刻まれ、古代の元素周期表が掛けられている。その傍らには、祖式錬金術の緻密な魔法式が描かれた黒板があり、そこには消えかけたチョークの跡が見えた。机の上には、積み上げられた魔導書、錬金術の記録、使用済みの羊皮紙が雑然と置かれ、金属製の器具が細かい反射を放っている。
まるで知識と研究の塊のような空間。
その中で、一人の男が静かに座っていた。
ファウスト博士。
今の時代では希少な存在となった、原初の魔法を使う
神経質そうな丸メガネの奥にあるのは、鋭くもどこか落ち着かない目。
彼は机の上に置かれたレコードプレーヤーに手を伸ばし、盤をセットする。
カチリ。
針が落ち、やがて優雅な旋律がアトリエに響き渡る。
「やはり、タイヨウシング・エラは素晴らしい……っ」
ファウスト博士は呟く。
「
彼はため息をつきながら、ペンを手に取り、日記を書き始めた。
『ファウスト博士の日記
英雄歴 3062年4月14日――』
計画開始から一年。
ジェミニ計画は順調に進行している。
この一年をかけ、彼らの記憶を慎重に再構築した。
洗脳という手段は、実のところ一瞬で完了することも可能だ。
しかし、人間の脳は思った以上に狡猾だ。
急な変化にはすぐに違和感を覚え、排除しようとする。
それでは計画の根幹が揺らいでしまう。
だからこそ、じっくりと時間をかけた。
彼らの悲劇的な過去と外の世界の記憶はすべて消去し、新たな認識を植え付けた。
今の彼らはこう信じている。
・「外には恐るべき化け物『錆の魔女』が存在し、それから身を守らなければならない」
・「フラトレスは、希望のシェルターであり、この場所で守る術を学ぶことこそが使命である」
・「錆の魔女と人類の最終戦争によって、世界中の都市が滅び、多くの人類が亡くなった」
・「自分たちは、残された人類を救うための選ばれし英雄である」
これが、彼らの「今の真実」だ。
だが、計画の本質はここでは終わらない。
:戦い方を知らない者たちが初めて剣を握るとき
事を急いてはならない。
彼らに戦う術を教えるのは、まだ早い。
戦う術を持つ種族は、秩序を作り、自らを律することができる。
だが、守ることしか知らない種族はどうだろう?
彼らは、「守る」という行為の中でしか生きる術を学ばない。
戦い方を知らず、怒りを抑圧し、衝動を制御する手段を持たない。
それはまるで、広大な草原に生きる草食動物のようなものだ。
彼らは獲物を狩ることを知らず、外敵に立ち向かう方法も学ばない。
しかし、その状態のままでは、いざ危機が訪れたとき、無力のまま終わる。
では、もし彼らが初めて「戦わなければならない」と認識したとき、どうなるのか?
戦いを知らずに育った者が、初めて戦闘を経験したとき、人間は制御不能な捕食者へと変貌する。
戦争を知る者は、戦いを「目的のための手段」として理解する。
だが、戦争を知らない者は、「本能としての戦い」に取り込まれる。
戦いを制御することを学ぶ前に、暴力の快楽を知ればどうなるか。
彼らは、抑圧からの解放によって、極限の攻撃衝動を生み出す。
これは、私が導き出した理論の結論である。
だからこそ、彼らが十二歳になるまでは、平和な世界を与え続ける。
戦いを知らないまま、心を抑圧し続けるのだ。
そして、最後の扉が開かれたとき、彼らはどんな力を解放するのか。
それを知るのが、私の役目であり、対摂理・ジェミニ計画の最終到達点である。
:彼らの変化と計画の進行
オパール姉妹のクロとシロ。彼女らは他の双子よりも過酷な経験をしている分、現実を疑う能力が優れていた。そして、ラズライトのアルは、想像以上に注意深く、賢しい子だ。
この三人の記憶の書き換えには時間がかかった。
しかし、それもついに完了した。
今の彼らは、過去を忘れ、
ブリキ人形の住民たちに疑念を抱くことなく、私を博士と呼んで慕っている。
あとは、彼らが十二歳になるのを待つだけだ。
フラトレスの中で、穏やかに、平和の中で、時を停滞させながら。
計画は、順調だ――。
Dr.Faust
―― 停滞 β ――
フラトレス地下都市。
エリア:「プラネタリウムの箱庭」にて――。
「なあ、エル。他の惑星にさ、オレたちが住める場所ってないのかな?」
ぼさぼさの天然パーマをしたエメラルドは、左手にコーラ、右手にスナック菓子を抱え、だらしない格好のままプラネタリウムの天空に映し出された無数の星を眺めていた。
この一年で、彼はずいぶんと幸せ太りをした。
たぽたぽと膨らんだお腹が、笑うたびに小さく揺れる。
突然の問いかけに、エルはおどおどとしながら口を開く。
「いっ――あ、あるとおもう! 住める場所っ!! だって宇宙は広いもん!」
「だよなぁー。その星みつけたら、もう錆の魔女とかこわくないよな!!」
エメラルドはスナック菓子の粉がついた指先を軽く払うと、満足げに笑った。
「もうっ、エメラルドくん、ばっちいよ!!」
エルが眉をひそめ、じとっとした視線を送る。
しかし、当の本人は気にも留めず、能天気に笑い続けていた。
エメラルドがぽいと投げたペットボトルのゴミは、無重力のようにゆっくりと床へ落ちた。
すぐにブリキ人形の清掃員が現れ、カシャン、カシャンとぎこちない動きでそれを回収する。
エルは、その光景をじっと見つめた。
光り輝く星の投影を背景に、整然と動く無機質な人形たち。
なぜか、胸がちくりと痛んだ――。
◆◇
エリア:「お菓子工場の箱庭」には、三人の少女の姿があった。
アメシストとシトリンの姉妹、そして、アクアマリンだ。
ここは、まるで夢の世界だった。
地面も、空も、川も、家も――すべてがお菓子で作られた空間。
カラフルな砂糖の道を歩き、ふわふわのマシュマロの丘を越え、どこまでも甘い香りに包まれながら、三人の少女たちは持ってきたかわいい柄のブリキ缶に、お菓子をいっぱい詰め込んでいた。
アメシストは、クッキーを家のドアから剥がして取り、川に流れるチョコレートを塗る。
シトリンは、飴玉が実る木から、色とりどりの飴をもぎ取って缶に詰め込む。
そして、三人の中で年長者のアクアマリンは、空からふわりと降り注ぐバニラアイスの雪を、せっせと缶で受け止めていた。
甘い。美味しい。甘い。楽しい。
ここを訪れる子供は皆、思考を停止させ、ただ純粋な甘い欲に溺れる。
「ねぇ、みんな!! お菓子あつめたら、つぎのばしょに行こっ!」
舌足らずな口調で、シトリンが呼びかけた。
「まだ! いまパフェ作ってるから、まって!」
シトリンの姉、アメシストが、チョコまみれの手を振りながら応える。
「ああ……ああっ、また落としちゃった……!」
アクアマリンは、バニラアイスの雪集めに四苦八苦していた――。
◇◇◇
フラトレス地下都市――中央吹き抜けの回廊。
夜の帳がフラトレスを包むころ、三人の影が静かに吹き抜けの周りに立っていた。
この場所は、フラトレスの中心。
箱庭の層が無限に積み重なり、無数のエスカレーターが蜘蛛の巣のように交差する巨大な空間だった。彼らが立つ回廊からは、その複雑な構造が一望できる。下を見れば、まるで終わりのない迷宮のように箱庭が続く。ひとつひとつの箱には、違う景色が広がっていた。
学校、遊園地、病院、教会、森のような箱庭さえあった。
この吹き抜けは地上から円形の穴が貫くように開いており、真上を見上げれば夜空が広がっている。
星々は濃紺の天幕に散りばめられ、流星が時折その静寂を裂く。名も知らない星座と、ぼんやり明るい半月。工場プラントの巨大なシルエットもまた、夜の影となって静かにそびえ立っている。
三人のうち、クロが吹き抜けの手すりにもたれながら、不機嫌そうに呟いた。
「錆の魔女をさっさと倒して、こんな世界、早く抜け出してやる」
彼女の声は硬く、灰色の髪が月光を浴びて淡く輝く。
「クロはまたそんなこと言って……。12歳まで平和に暮らすって、博士に言われたでしょ?」
シロが少し困ったように言った。
クロとは対照的に、彼女の髪は柔らかく風に揺れている。
夜の静寂がその声を包み込むようだった。
「でも、なんで待つ必要があるんだろう」
ふいに、アルが口を開く。
彼は吹き抜けを見下ろしながら、少しだけ眉を寄せた。
「それに、そんな化け物、本当にいるのか。声もしないし、ここを襲撃されたこともない」
この一年間、錆の魔女の存在を示すものは何もなかった。
「アルくんも、疑いすぎじゃない?」
シロがアルを見上げる。彼女の銀の瞳には、どこか迷いが浮かんでいた。
「ねっ! 12歳までに強くなって、それで錆の魔女を倒すんだよっ!」
シロは励ますように胸の前で両手をぎゅっと握る。
「強くなるって言っても、なんの勉強もさせられてないけどな」
クロが短く吐き捨てる。
その言葉に、アルは静かに頷いた。
「そうだな……。魔法の勉強もなければ、戦う術も教わってない。武器だって与えられてない。ただ毎日、夢の国で幼稚な遊びを繰り返すだけ。これで『選ばれた英雄』って言われても……」
クロは、手すりを強く握る。
「おかしいよな。こんなの……本当に私たちは『英雄』なのか?」
誰も答えない。
彼らの周りには、ただ静かに動くエスカレーターの音だけが響いていた――。
◆◇◇
フラトレス地上部――。
工場プラントの中心にそびえ立つ鉄星炉。
その巨大な円筒形の炉は、天を突くほどの高さを誇り、外壁には脈打つように光る魔法紋が刻まれている。ゆっくりと回転する外装部が、炉の脈動とともに幾何学的な光を投影し、内部に明滅する無数の機械の影を浮かび上がらせていた。
炉の内部は、まるで神殿のような異様な空間だった。
天井は見えず、無数の巨大なクレーンとハンガーが組み込まれ、膨大な機械部品が所狭しと吊り下げられている。炉の中央には、魔法起動機兵――カルディアの開発が進められていた。
巨大なハンガーの中心部。
そこに、鋼鉄の塊のような機体がそびえ立つ。
高さ25メートル。
影の中に潜むそのシルエットは、人型をしているが、人ではない。あまりにも巨大で、あまりにも威圧的なその姿は、まるで巨神の彫像のようだった。
カルディアの装甲は、層を成すように重ねられた聖鉄によって覆われている。
多重装甲の構造が、まるで炎のごとく層を成しながら、堅牢な防御と機動性を兼ね備えていた。
各所に鋭角的なパーツが組み込まれ、流れるようなシルエットの中にも鋭い突起が混在している。その形状は、あたかも炎が天を貫くようなデザインを意識したもののように見えた。
頭部には、王冠のような構造体が配置され、その中央には、まだ輝きを見せない眼のレンズが埋め込まれている。――腕部は、力強い造形でありながらも洗練されていた。
手甲には炎を象った意匠が施され、各関節には推進用のエンジンノズルのような機構が備わっている。
脚部は、大地を踏みしめるための強靭な造りとなっており、ヒール部分には逆関節のサポートユニットが付属していた。
背部には、展開可能なユニットが組み込まれ、今はその形状を静かに閉じているが、いずれ開けば太陽の翼のようなシルエットを形作ることだろう。
そこで働く作業員たちは、魔法駆動のパワードスーツを装着していた。
彼らのスーツは、浮遊ユニットを搭載し、炉の内部を自在に飛行しながら、重く巨大な部品を軽々と運び込むことができる。スーツの動力源には、小型の魔法起動円盤/ディアノイアが搭載されており、飛行中には魔法陣のような紋様がかすかに発光していた。
「第七装甲、搬入完了!」
無線が飛び交い、パワードスーツを着た作業員たちがカルディアの胴体部分へと装甲を取り付けていく。部品が炉の奥から運び込まれ、クレーンがゆっくりと精密な動作で組み上げを進める。
全体像はまだ闇に沈んでいる。
しかし、確かに、その機体は形を成していた。
作業が進む中、炉の中央に立つカルディアの頭部がわずかに傾ぐ。
そして――。
眼が、淡く輝いた。
ほんの一瞬。
まるで、機体が自らの誕生を悟ったかのように。
> >> 第3話
フラトレス地下都市の奥深く、ファウスト博士のアトリエは相変わらず雑然としていた。
部屋の棚には薬草の入ったガラス瓶が並び、魔導書が積み上げられ、壁には神声文字が無数に刻まれている。中央の大釜はゆっくりと泡立ち、時折、白い蒸気を吐き出していた。錬金術師の作業机には、元素周期表と古びた羊皮紙が散らばり、日記を記すためのインク瓶が静かに揺れている。
ファウスト博士は、慣れた手つきでレコードプレーヤーの針を落とした。
タイヨウシング・エラ――。
いつもの旋律が流れる。
彼はわずかに目を閉じ、音楽に耳を傾けると、静かにペンを走らせた。
『ファウスト博士の日記
英雄歴 3066年4月14日――』
計画開始から五年が経った。
ジェミニ計画は、今のところ順調だ。
子供たちは問題なく成長している。
最初は警戒していたクロとアルも、今ではこの平和な生活を受け入れ、何の疑問も抱かずに日々を過ごしている。
そして、今年、オパールの姉妹とラズライトの双子は計画の目標である12歳を迎える。
私は錬金術師だから、カルディア:タイプ・ジェミニの技術的な詳細は理解していない。しかし、開発はすでに最終段階に入ったらしい。計画の目的に必要不可欠な「力」――その全貌が、ようやく完成しようとしている。
そして、明日はいよいよOZとの会議だ。
私もこの五年間、ずっとこの地下都市で暮らしてきた。
あの男の顔を知るのは、正直、楽しみだ。
計画は成功しつつある。
私も、この成果をもって昇格できるだろうか。
……そんなことを考えながら、私は子供たちのことをまとめてみることにした。
:フラトレスの子供たち
アメシストは最近、おしゃれにこだわるようになった。毎日違う服や髪形を試しては、誇らしげに私に見せてくる。私が適当に頷くだけでも、満足そうに笑うのが不思議だ。
シトリンは相変わらず甘いものが大好きだ。それだけでは飽き足らず、自分でお菓子を作ることも覚えた。味見を強要されるのは困るが、あの誇らしげな顔を見ると、つい許してしまう。
エメラルドは、ゲームばかりして自室にこもりがちだ。しかし、どうやら宇宙に興味を持っているらしい。ときどき、プラネタリウムの箱庭で星を見上げているのを見かける。
アクアマリンは、何よりも体を動かすのが好きなようだ。毎日フラトレスのエスカレーターや箱庭を利用してランニングを続けている。見ていると、まるで鳥籠の中を走る鳥のようにも思える。
クロは……どうやらアルのことが好きらしい。
いつも一緒にいて、二人で読書をしている姿をよく見かける。クロのほうが少し大人びているのに、アルの言葉には妙に素直になるのが、何とも微笑ましい。
シロは、村の箱庭でブリキ人形たちとごっこ遊びをしている。まるで本物の村のように農業をしたり、羊の世話をしたり……彼女にとって、あの箱庭はどこまでも「現実」なのだろうか。
最後に、エル。
彼女は子供たちの中で一番引っ込み思案で、いつも背中を丸めている。
しかし、笑顔が素敵な子だ。
もし外で生活していたなら、きっと友達がたくさんできていただろう。
……ああ、なんだ。
いけないな。
私は、彼らを閉じ込めている「悪者」なのに。
それなのに、こうして彼らの日常を記録することに、どこか愛おしさのような感情が滲んでいる。
これは、計画に不要な感情なのか?
それとも……。
いや、考えるのはよそう。
明日の会議に備えなければならない。
計画は、順調だ――。
Dr.Faust
レコードの旋律が静かに流れる。
ファウスト博士は、最後の一行を書き記すと、ペンを静かに置いた。
―― 岐路 γ ――
―――― ◇◆◇ ――――
【星掟統制機関:アークステラ】
概要:この世界のシステムやルールを定める統治機関。
指導者:執政官「アニハ=サンタカージュ」が統括する。
本部所在地:「星礼街=テイルソニア」に設置されている。
―――― ◇◆◇ ――――
世界の中心と呼ばれる都市国家、
この街には、時代を超えた神秘が宿っていた。
建築物のすべてが壮麗でありながら、どこか人智を超えた意志に導かれたかのように、完璧な調和を持って組み上げられている。荘厳なゴシック建築の尖塔が雲間にそびえ、バロック様式の彫刻が神々の息吹を感じさせるように街角を飾る。一方で、幾何学的なアーチを描く回廊が広がり、鋼とガラスの美しさを極限まで追求した近代的な建築が、不思議とこの古の都市に馴染んでいる。
街は縦横無尽に交差し、歩道橋や石造りの階段、宙に浮かぶ小さな広場が絡み合い、まるで異世界の迷宮のようだ。幾重にも入り組んだ路地裏では、聖なる光を湛えたステンドグラスが夜でも輝きを放ち、浮遊する灯籠が道を照らしている。浮遊地区では、街の一部が空中にせり出し、そこへと伸びる鉄道や車道が、まるで蜘蛛の糸のように都市の隅々を結んでいる。
テイルソニアは、ただ歩くだけで胸が高鳴る、そんな場所だった。
都市の中心には、計算され尽くした幾何学的な設計の中央庭園が広がる。
草木はすべて緻密に配置され、石畳の小道はまるでひとつの巨大な紋章を描くかのように交錯している。噴水の水は絶え間なく湧き出し、夜には街の光を映しながら、柔らかな音を奏でる。庭園の周囲には高い柱が立ち並び、それぞれが神話的な意匠を持つ彫刻で飾られていた。
そして、その庭園の中心に位置するのが、神殿――『
都市の壮麗な建築に比べ、ひどく質素に見えるその建物。しかし、それは単なる錯覚だった。外観は簡素でありながら、よく見ればその造形は人智を超えた調和を持ち、寸分の狂いもなく完璧な対称性を成している。神殿の白い壁面は、光の角度によって微妙に色を変え、まるで呼吸しているかのように見えた。
内部へ足を踏み入れると、そこには円形の巨大なホールが広がっている。
何段にも重なる長椅子が壁沿いに配置され、中心にはたった一つの円卓が鎮座する。その天井には神秘的な紋章が描かれ、まるで見えざる者たちの声を受け止める器のように広がっていた。壁には名もなき歴史が刻まれたレリーフが浮かび、無言のうちに人々へ何かを語りかけている。
神殿の裏へと進むと、そこには他にはない奇妙な光景が広がっていた。
無数の旗とガス灯が、整然と突き刺さった広場。
風が吹くたびに旗が揺れ、それぞれが異なる紋章を掲げている。
都市の記憶、英雄たちの遺した証、それらすべてがこの場所に集約されているかのようだった。
旗とセットのように設置されたガス灯は、どれも異なるデザインを持ち、その炎は決して消えないとされている。日中でも、そこに揺れる青白い炎は不変の誓いを示しているかのようだった。
この広場では時間の流れが歪む。
風の音さえ遠のき、人々はただ旗を仰ぎ見る。
ここは、テイルソニアという都市が抱える、最も神秘的な場所のひとつだった。
◇
テイルソニアの神殿――円形の巨大なホール。
ホールには、世界各地から集まったコミュニオン(国や組織)の主席魔導師たちが列席していた。それぞれが自らのコミュニオンの威厳を背負い、異なる制服に身を包んでいる。
その中心。円卓を挟むように、四つの影が向かい合っていた。
一人は、アークステラの執政官、アニハ=サンタカージュ。
静謐な威厳をまとい、背には光輪、天使の翼が揺れている。
その隣には、半天使族の秘書、ノイトぺセル・メンカリナン。
彼女の欠けた光輪と片翼が、静かに光を映していた。
対面に立つのは、漆黒の鎧に身を包む男、オセ・ツァザルディオ。
兜の右頬には「XCiX」の金文字が刻まれ、巨大な影が揺れている。
最後に、一人の女性。
カナリア色の螺旋状の髪をなびかせる、勇敢な戦士。
――
その場の空気を切り裂くように、彼女がオセに詰め寄る。
「お前、また裏で何か企んでいるな」
オセは微動だにせず、低く答えた。
「妄想だ」
ハンネの瞳が鋭く光る。
「それに、U13の主席魔導師であるあんたが拒否権を発動し続けるせいで、一向に奴隷貿易を禁止する条約が結べない。あんたたちが統べるビアンポルト地方だけだぞ? 他の地方はすでに奴隷を解放し、正当な権利を与え始めている。時代遅れなんだよ、あんたの思想は」
ホールの空気が張り詰めた。
U13――それは、この世界で最も影響力を持つ13の主要コミュニオンの集まり。
その中で、オセが主導する勢力だけが、奴隷貿易の禁止に徹底して抵抗していた。
アニハが静かに言葉を挟む。
「まあ、そうじゃな。我らアークステラは公平な立場ゆえ、口出しはできんのじゃが……オセ、過去に囚われるな、とだけ言っておくぞ」
オセの兜の奥で、わずかに口元が歪んだ。
「ふん。貴様たちと、わざわざ無駄な議論をしにきたのではない」
彼は立ち上がり、重々しい鎧の軋む音が響く。
「……聖戦だ」
ホールがざわついた。
「聖戦」とは、この世界における戦争のこと。
この星礼院会議で、その目的を宣言しなければならない。
ノイトぺセルが冷静に問いかけた。
「聖戦を起こす理由は?」
オセは一歩前へ進み、宣言する。
「貴様、ハンネエッタのコミュニオンが保護している『原初の天使』ユハを渡せ」
ハンネの目が鋭く光る。
「……!? 意味が分かってるのか? そんなことをすれば、ユハを目覚めさせることになるぞ」
オセの声は、確信に満ちていた。
「それが目的だよ」
アニハの表情がわずかに曇る。
「正気か、オセ」
オセは冷笑し、彼女を見下ろすように言った。
「口出しするつもりか、執政官? 貴様が定めた星の掟に則り、こうして宣戦布告してやっているのだ。傍観者のアークステラに、それを止める権利はない」
アニハは、ゆっくりと目を閉じた。
「……そう……じゃな」
ノイトぺセルが小さく息を吐く。
「アニハ様……」
しかし、ハンネは真っ直ぐにオセを見据えた。
「いいだろう。受けて立とう。その代わり、あんたが負けたら、奴隷禁止条約に判を押してもらうからな。んで、あんたが裏で進めている計画のことも……すべて、洗いざらい話していただこう」
オセはわずかに首を傾げる。
「何のことだろうか」
ハンネは息を詰めた。
「とぼけるなよ。――五年前、あんたが南ビアンポルト地方に建てた巨大な工場プラント。あそこで造っているものについてだよ。それに、星の掟で禁止されている対摂理魔法を使っているという噂もあるそうじゃないか」
ノイトぺセルの目が鋭くなる。
「ハンネさん、それは本当ですか?」
オセの声は淡々としていた。
「証拠がない……だろう?」
ハンネは歯を食いしばる。
オセは肩をすくめ、最後の条件を告げた。
「一つ、貴様らに有利な条件を与えてやる。一方的に蹂躙してもいいが、それではつまらんからな」
彼はゆっくりと視線を上げる。
「戦場を、貴様ら『聖鉄ハンネ騎士団』の本拠地――アビスヘブンにする」
ハンネが拳を握る。
「お前、兵士の命をなんだと思っているッ! アビスヘブン地方はこのアスハイロストで最も瘴気が濃い場所だ。我々は慣れているが、あんたらの兵士は……」
オセは冷ややかに言い放つ。
「構わん。どちらにせよ、勝てばいいだけの話だ」
ハンネがオセを睨みつける。
「ツァザルディオぉッ!!」
アニハが静かに言葉を発した。
「――では、聖戦の
◇ ◆ ◇ ◆
神殿の裏、無数の旗とガス灯が立ち並ぶ庭園。
夜風が吹き抜け、旗がざわめく。
戦いの火蓋を切る儀式――旗立式が執り行われる。
アニハ=サンタカージュが静かに前へ出た。
「それでは、旗立式を執り行う。両者前へ」
オセとハンネが、それぞれの陣営を代表して進み出る。
オセの手には、黒地に金の刺繍が施された旗。
そこには、「XCiX」の文字と、蹄鉄を組み合わせた紋章が描かれていた。
一方のハンネの旗は、白地に二人の剣士とライオンが象られた紋章が刻まれている。
二人は静かに向かい合い、それぞれの旗を掲げる。
アニハの声が、庭園に響いた。
「星の掟に従い、互いの命を尊重せよ。――己が正義に誓えるか」
ハンネが力強く宣言する。
「誓う!!」
オセもまた、静かに頷いた。
「……誓おう」
二人は旗を掲げたまま、交差させるように突き合わせる。
ノイトぺセルが進み出る。
「では、旗を突き刺してください」
オセとハンネは、同時に地面へ旗を突き立てた。
旗の布が風に揺れ、ガス灯の明かりに照らされる。
その瞬間、静かだった庭園が、これから起こる戦争の予兆を感じさせるかのように張り詰めた。
誰もがその場に立ち尽くし、ただ、揺れる旗を見つめていた。
これが、聖戦『
…………、
……、
工場プラントの轟音が遠くで響く中、狭く質素な会議室の中は静寂に包まれていた。
窓の外には、炎を吐く炉の影。鉄と蒸気の匂いが漂い、壁には錆の跡が刻まれている。
その部屋の中央、粗末な金属製の机を挟んで、二人の男が向かい合っていた。
ファウスト博士は、落ち着かない様子で眼鏡を押し上げる。
一方、対面に座るオセ・ツァザルディオは、黒い鎧を纏い、漆黒のマントを静かにたなびかせていた。兜の隙間からは、計り知れない冷徹さが覗く。
オセは無言のまま、一冊の報告書を机の上に置いた。
「順調なようだな」
低く響く声。無駄な感情は一切ない。
ファウスト博士はその言葉にわずかに安堵し、報告書に手を伸ばしながら、戸惑いを滲ませた。
「まさか……主席魔導師のツァザルディオ様だったとは……」
彼は喉を鳴らしながら呟く。
オセは微動だにせず、次の言葉を静かに告げた。
「計画は中止だ」
ファウスト博士の手が止まる。
「な……何をおっしゃるのですか? ここまで進めておいて、中止など……!」
「他のコミュニオンに気づかれ始めている」
オセの声は冷たい。
「長くは隠し通せん。いずれ、この計画は世界に露見する」
ファウスト博士は唇を震わせながら、言葉を探した。
「で、ですが……子供たちはどうするのですか?」
オセはわずかに視線を落とし、そして短く答えた。
「オパールとラズライトは、引き続き最終段階へ進め。計画中止後も、最後までやり遂げろ」
ファウスト博士の喉がごくりと鳴る。
「では……他の子たちは……?」
胸に湧き上がる嫌な予感。
オセの答えは、容赦なかった。
「適切に処分しろ」
ファウスト博士の体が強張る。
「……処分、とは……」
オセは微動だにせず、ただ静かに言い放った。
「言葉通りの意味だ」
その瞬間、工場プラントの重い音が遠くで鳴り響く。
金属が軋み、煙が立ち上る。
ファウスト博士の眼鏡の奥の瞳が揺らぐ。
この言葉の意味を理解しながら、しかし、受け入れたくはなかった。
会議室の時計が無機質に時を刻む。
今まで続いたこの計画が、何かの岐路に立たされたことを、彼は初めて実感した。
> >> 第4話
かつて知識と研究の塊だったこの部屋は、今や静寂に包まれていた。
積み上げられていた魔導書はすべて棚へ戻され、壁に書かれた神声文字も消されている。机の上に散乱していた錬金術の器具や書類は片付けられ、アトリエはまるで何事もなかったかのように整理されていた。
だが、それはただの幕引きの準備にすぎなかった。
ファウスト博士は、最後のルーティンのようにレコードプレーヤーへと手を伸ばし、盤をセットする。
タイヨウシング・エラ――。
静かに針を落とすと、いつもの旋律が流れ出した。
この音楽とともに、彼は最後の日記を書き始める。
『ファウスト博士の日記
英雄歴 3066年4月21日――』
対摂理・ジェミニ計画、中止。
五年にわたり続けてきたこの計画は、ついに幕を閉じることになった。
私は、何のために、誰のためにこの計画を行っていたのだろうか。
思い返せば、五年前。計画が始まる前の私は、組織の中で浮いていた。
居場所がなかった。
ただ研究を重ねるだけの、どこにでもいる魔法使い。
そんなとき、OZから手紙が届いた。
それが、対摂理・ジェミニ計画の責任者としての任命通知だった。
これは、組織の中で自分を示すチャンスだと思った。
何も疑わなかった。
組織の命令だから。
そう思って、私は子供たちをトラックに乗せ、フラトレスへと運んだ。
組織の命令だから、
子供たちを箱庭に閉じ込め、洗脳した。
それが「計画」だった。
しかし、今になって後悔している。
私が犯した罪の重さに。
あの日――。
OZ、オセに計画の中止を言い渡されたその日から、私は学校の箱庭で子供たちに授業をしている。
彼らが本来持つべきだった知識を、そして戦う術を。
彼らから奪った五年間を返すように。
だが、それでも、私の罪は消えることはない。
だから、せめて最後に、私なりの贖罪をしようと思う。
彼らを逃がす。
処分などするわけがない。
そして、最後に、彼らの洗脳を解くつもりだ。
その時、私はどんな罰を受けようとも、受け入れるつもりでいる。
この五年の罪を、清算するために。
決行は三日後。
組織が聖戦で忙しくしている今が、唯一のチャンスだ。
計画は順調だ――。
Dr.Faust
―― 崩壊 δ ――
カルディア:タイプ・ジェミニの機体開発は、すでに二機が完成していた。
一機は、ブラックオパール&ホワイトオパールの機体。
そして、もう一機は、ラズライトの双子の機体。
フラトレスの子供たちの中でも年長組にあたる彼らは、今年で12歳を迎える。
英雄歴 3066年4月22日――。
その日、フラトレス地下都市の「学校の箱庭」にある体育館では、
彼らの誕生日会が開かれていた。
クロとシロの誕生日は2月、エルとアルの誕生日は8月。
すでに過ぎた者もいれば、まだ迎えていない者もいた。
しかし、この日は特別にまとめて祝われることとなった。
広々とした体育館の中央に、大きなテーブルが並べられ、子供たちは、ブリキ人形の住民たちが用意した豪華な食事を前に、無邪気な笑顔を咲かせていた。
ただ一人。
ファウスト博士だけが、頻繁にメガネを押し上げ、どこか落ち着かない様子だった。
「博士っ!! 一緒に食べよ!」
無邪気な声が響く。
シトリンが満面の笑みを浮かべながら、博士を呼んだ。
ファウスト博士は申し訳なさそうにしながら、目の前のポテトフライを一本取る。
「――うん。美味しいよ。ありがとう、シトリン」
そんな博士の様子を見て、アメシストが呟く。
「ポテト一本って。ダイエット中の女の子じゃないんだから」
彼女の言葉に、子供たちはくすくすと笑う。
アクアマリンは、大きな骨付きチキンを頬張りながら、
「ふは……ふはひはふ……?」
何を言っているのか、誰にもわからなかった。
クロは、「誕生日会なんて」と大人ぶった態度を取っていたが、シロに被せてもらったパーティーハットは、しっかりと頭に乗せている。満更でもないようだ。――エルは、服にこぼしたミートソースを、アルに拭いてもらっていた。
二人はこの五年間で、どちらが姉か兄かを決めるために、さまざまな勝負をしてきた。
しかし、どれも引き分けになったり、邪魔が入ったりで、
結局、最後まで決まることはなかった。
一方、エメラルドといえば――。
四年前の幸せ太りから一転し、今では木の枝のように細くなっていた。
ぼさぼさの天然パーマは相変わらずで、
彼はテーブルの隅に座り、ノートを開いて、星座を書き並べていた。
オリオン座、さそり座、ペルセウス座、そして双子座。
どれも精密に描かれ、黒の濃淡を使い分けて、星の明るさまで表現している。
彼はただ、静かに夜空を描き続けていた。
…………、
……、
――作戦を開始しろ。証拠は一切残すな。
無線機から響く、冷たい男の声。
それを合図に、カルディア地下都市の入り口前で待機していた兵士たちが、静かに動き始める。全身を黒の鎧で覆い、完璧な統率で進む彼らの姿は、まるで影のようだった。
隊長の男が手を上げる。
指を二本立て、前方を指差す。
無音の指示で部隊が動く。
彼らの鎧には、金文字で刻まれた銘があった。
『XCiX』
(――この中だ。俺が合図を出したら突入して殲滅、)
(――ただし。オパールの姉妹。ラズライトの双子は殺すな。)
隊長はハンドシグナルで命令を下す。
スライドドアの端に指を這わせ、わずかに隙間を作る。
そこから静かに、内部の空気を探る。
……(問題なし)。
男は、籠手の上から布を巻き、滑り止めを施す。
そして、指を三本立た。
(――よし、いくぞ。)
3――
2――
――ガガガガッ!!
スライド式の扉が、轟音とともに開く。
フラトレスの子供たちと博士に、視認する隙すら与えない。
魔法光弾の雨が降り注いだ。
兵士の一部が結界魔法を展開し、動きを封じる。
人間も、ブリキ人形も、すべてその場に固定された。
あとは――。
動かない的を、アサルトライフルで撃ち抜くだけ。
「撃てえーーッ!!」
隊長の怒号が響く。
――ここで終わり。
誰もが、そう思った。
だが――。
≫
どこからか、そんな声が聞こえたような気がした。
誰が?
その答えを知る者は、今はいない。
「なんッ――!!」
隊長が背後の気配を察知し、振り向く。
――ブロロロロロロォォ!!
爆音。
突如、部隊の背後から響く鋭いエンジン音。
猛獣の咆哮のような音が、空気を震わせる。
漆黒のバイクが、闇を裂いて飛び込んできた。
流線形のカウルが光を弾き、濡れた刃のようなシルエットを描く。
タイヤが床を噛み、火花を散らしながらスライドする。
黒い影が、隊員たちのど真ん中を切り裂いた。
乗り手は全身黒づくめ、
フルフェイスヘルメット。
反射するバイザーの奥は、見えない。
表情すら、伺えない。
――ただ、その闇の中で。
男は楽しそうに口角をあげた。
(ふぅー。最高っ、気持ちいいー!)
バイクの男が腰のホルスターに手を伸ばす。
次の瞬間、鋭い軌道を描く何かが部隊の中央へと投げられた。
――スタングレネード。
閃光が、世界を焼く。
真白な光が視界を埋め尽くし、耳を裂く轟音が鼓膜を叩く。
兵士たちは条件反射で身を低くするが、
視界を奪われたままでは反撃などできない。
その間にも、バイクは勢いを殺さず疾走していく。
後輪が軋み、煙のようなタイヤ痕を残す。
その姿は、疾駆する闇。
「おーい、みんなぁ。朝だよー、起きて起きてー」
バイクに乗りながら、
男は子供たちと博士の状態を確認する。
「あぁー。ごめんね、間に合わなかったみたい」
アメシスト、シトリン、アクアマリン。
彼女たちはすでに死んでいた。
頭部を魔法光弾で撃ち抜かれ、
もはや原型を留めていない。
男は、屍人化を防ぐため、
彼女たちの心臓を丁寧にハンドガンで撃ち抜く。
本来なら、獄卒が浄化魔法を使い、冥界へ送るべきだった。
だが――戦場に、綺麗事はない。
紫、黄色、水色のリンネホープが体育館の床を転がる。
遺志残響宝石/リンネホープ・ジェム――、
死体となった人間の心臓が宝石化したもの。
宝石の核には、死者の生前の記憶や知識、感情、意志などが封じられている。
男は、それらを拾い、ポケットへ入れた。
「あっちぃ」と呟き、ヘルメットを脱ぐ。
プラチナブロンドのポニーテールが、光を反射する。
アサン・クロイヴ。
当時は十代の放浪青年。
まだ会長でも、そして英雄でもない。
ただの悪運が強い男。
「おおっ、この子たちはきれいだねぇ」
クロ、シロ。
エル、アル。
この四人は、かすり傷一つなかった。
「でぇ、このボサボサ髪くんは……」
エメラルド。
右足と腰に二発、撃たれている。
「で、最後にこのおっさん。……うん。痛そ」
ファウスト博士。
腹部を数カ所撃たれ、かなりの重傷。
アサンが状況を確認する間にも、
気絶していた六人は意識を取り戻しつつあった。
まるで捨てられた玩具のように転がる、
穴だらけのブリキ人形。
だが、彼らはただの人形ではない。
フラトレスの住民。
命ある「住民」だ――。
その感情はきっと洗脳によるものではない。
エルの頬を、止めどない涙が伝う。
彼女の魂に宿るリンネホープが、
静かに怒りの「赤」へと染まっていく。
「くっ……くそ……!!」
焼けるような痛みを覚えるながら、
隊長の男がゆっくりと起き上がる――。
その脳天を、アサン・クロイヴが撃ち抜いた。
「そろそろ起きちゃうねぇ。これはマズいなぁ。みんな、さっさと逃げるよ!!」
生き残った子供たちは、裏口へと走る。
破壊された箱庭を後にして――。
◆ ◆ ◇◇ ◆◇ ◆
鉄の空が、黒く沈んでいた。
フラトレスの地上。
巨大な工場プラントを覆うように、重い雲が垂れ込めている。
雨は静かに降り続き、冷たい水滴が無機質な鉄骨を叩いては流れていく。
まるで、この世界から音という概念が消え去ったかのようだった。
四人の子供たちは、無言のまま歩いていた。
すべてが崩れ去った。
響き渡る銃声。
紅く染まった床。
砕け散る意志の残骸。
そのすべてを目の当たりにしながらも、彼らは生き延びた。
だが――。
すべての仲間が、無事だったわけではない。
クロとシロ、エルとアル。
四人は、重傷を負ったエメラルドを担架に乗せ、雨の中を進んでいた。
エメラルドの顔は蒼白だった。
意識はほとんどなく、
時折うわ言のように何かを呟くが、その声は雨音にかき消された。
ファウスト博士は、漆黒のバイクの後部座席に乗っていた。
アサンに支えられながら、どこか遠くを見つめている。
彼の胸には、言葉にならない絶望が渦巻いていた。
「……私のせいだ」
あの時、もっと早く気づいていれば。
あの時、もっと早く決断していれば。
アメシストも、シトリンも、アクアマリンも――。
失われた三つの命が、瞼の裏に焼き付いて離れない。
子供たちを守ると誓ったはずだったのに。
彼らの未来を取り戻すために、計画を裏切ったというのに。
結局、自分は何も変えられなかった。
――巨大な鉄星炉が見えてきた。
雨がその表面を叩き、
まるでそれ自体が泣いているかのようだった。
クロも、シロも、エルも、アルも、
誰も、何も言わなかった。
ただ足を動かし続ける。
足元の水たまりが、淡い血の色に染まっていく。
だが、彼らはもう、それすらも感じなくなっていた。
――いつか、また笑える日が来るのだろうか。
その答えは、まだ誰にも分からない。
ただ、一つだけ分かっていることがある。
このままでは終われない。
彼らは、その思いだけを胸に、鉄星炉へと足を進めた。
雨は、なおも降り続いていた。
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