Iris' Lights アイリスライツ
神白ナオヤ
第一章
第一章1話・異境編「異境」
——激しい水流の中。
——水の荒れ狂う音。
——極寒。
自分の意志とは関係なく、激しく揺さぶられる。
沈んで目が開けられない。
街を、海そのものが襲ってきたかと思うような、大量の激流が襲っていた。
「少年」は、その激流のただ中にいた。
少年——中学二年生・
着ている服は
冬の冷水が全身を鋭く刺す。
体のしんから震えあがるような寒さで、歯が鳴るのが止まらない。
足もつかない中、激流に押し流され続ける。
泥水が鼻に入り、鼻の奥が痛い。
口からは
一方で、いや、まだ死んでたまるかと必死に浮上を試みる。
しかし、だんだんと体が沈んでいき、顔も水面に出せなくなる。
水中の暗闇の中でとにかく必死にもがく。
息のできない中、空気を求めてとにかく顔を上へ上へ、上げようとする。
泥や泥水を必死に吐き出す。
息を吐いて、吸おうとしても、また泥水がなだれ込んでくる。
……とにkaく、とnいかく、吸わnaければ
吸って、咳こむ。
……もっと、もttお、…もうsuこし、iきを
…頑bあれば、吸
「…………っっっはっああっっ!!!?!?!?!?!???!」
必死に手足をばたつかせた。
口に入った泥を吐き出そうとした。
……しかし、激流の中でなければ、口には何も詰まってもいなかった。
「っはああ、はあ、はあ、はあ、はあ…」
混乱の中、
「……うっ」
キーン、と耳鳴りが聞こえる。
まるで悪い夢からさめたかのようだった。
息苦しさは無く、寒くもない。
穂緒は周りを見渡す。
——そこは霧の立ち込めた河原だった。
水墨画のように遠くの景色はかすみ、どこか別世界にいるようだった。
服はぬれて張り付いているが、あの体のしんから底冷えするような寒気はない。
そして、立ち上がった目の前には、——白装束の、灰色の髪の老婆が立っていた。
https://kakuyomu.jp/users/kamishironaoya/news/16818622170841845779
https://kakuyomu.jp/users/kamishironaoya/news/16818622170841916883
老婆は無表情に、淡々と告げる。
「……
衝撃が瞬間、
……ああ、そうか。
「黒」に、街を襲った「あの黒い津波」に、俺は飲み込まれて。
俺、死んだのか———
自分の死にがく然とする
「ここは……」
「……この世とあの世の狭間、『
「…………」
いまだに現実を受け入れられていなかった。
老婆はきびすを返し、
「こちらへ」
そう言うと手を後ろに組んだ老婆はさっさと歩き出した。
「俺の家族は……妹の
「……全員、無事でございます」
老婆はまたしても淡々と答える。
「……ッ! そうか…………」
「では、改めて……こちらへ」
老婆は歩き出した。
川辺を二人が歩く。
周りは霧に包まれ、大きい川の対岸や遠くを見渡すことは出来ない。
湿った空気が肺を満たす。
川の流れる音、そして砂利を踏みしめる音だけが響く。
水墨画のような風景は、
……
先程は家族の無事を確認して一時的に安心した。
しかし死んでしまったことへの悔しさや喪失感から、いつの間にか足元ばかりを見ていた。
どん底の中、思い出されるのは、——死ぬ直前の記憶。
……俺は激しい地震の直後、学校から戻り、風邪で休んでいた妹の
ふと町の方を見ると、ゆっくりと歩くおばあさんが見えた。
見捨てられず、俺はおばあさんの元まで行った。
おばあさんを背負って歩くうちに、後ろの方から何やら物音がした。
そこで振り返ると————それは「黒」だった。
津波は、ありとあらゆるものを飲み込み、「黒」となって俺の前まで迫っていた。
こんなすぐ来るとは思っていなかった。
水位はどんどん上がって、あっという間に水に足を取られ、水中へ放り出されてしまった。
その後は……津波にのまれ、ここに来ていた。
……俺は一体、どうなるのだろうか。
この後、行くのは極楽か、地獄か。
ああ、俺はまだ何も出来ずに、中三になる前に、人生が終わるのか。
考えてみれば、なかなかろくでもないことが多かった。
俺は小学生の頃から、正しいことを言っているのに変な奴だと言われたり目の敵にされたりすることが多かった。
いたずらしたり、人をいじめたり、ちゃんと掃除しなかったりするのが悪い。
それをはっきり悪いと言っているだけなのに、あいつらはそれを正そうともせず難くせをつけてくる。
俺はいじめてきたやつを殴り返しただけなのに、俺が悪いことにされて先生から怒られたこともあった。
そういう理不尽に思うことがある度、俺は同級生だろうが先生だろうが、正しいと思うことを言ってきたし、してきた。
テストで間違っているのに丸がついていれば先生の元に直しに行った。それが正しいからだ。
自分が正しいと思ったことは、例え自分に都合が悪くてもやってきた。
メンドくさいだの、
けど、真面目にやってない奴の方がメンドくさくて
だから学級委員や合唱コンクールの指揮者をやれば、みんながちゃんと理想通りに従っていい感じになると思っていた。
けれど、お前が指図するなと言われ、なかなか従ってもらえなかった。
……学校の事を思い出せば嫌なことが多い。
——けど家族とは……ああ、すごく良かった。
……特に妹とは仲が良かった。
幼少の頃、妹の穂波はいつも俺の後ろをついて回っていて、どんな時も頼りにしてくれていた。
猫背気味に、不安げに歩く姿がかわいらしくて。
おっとりとしゃべる。
もちもちした手の、可愛い妹。
穂波を見ていると、何だか守りたくなるような気持ちにさせられる。
道端のお地蔵さんにも、手を組んで祈りを捧げている姿がとても印象に残っている。
……すごく、すごく、いい子なんだ。
今年の春で、中学生になる。
しかし、その晴れ晴れしい姿はもう、俺は見られない。
……そうか、俺は穂波を残して、死んでしまったのか。
……もう、俺は全てを失い、何も無くなってしまった。
——まるで、目の前に何もない、白い空間にいきなり放り出されてしまったような感覚。
今までは、何となくこの毎日が続くと思って考えもしなかった。
しかし未来が無くなって初めて、目の前に未来が何もないということが、こんなも全身がすくむような、空虚な空間に放り込まれる感覚だということを、まざまざと感じさせられた。
……俺はこのまま、この目の前に何もない空間にいたままなのだろうか。
「……着きました」
そこには、小舟と、それに乗る船頭が居た。
「ここより先、舟に乗っていただきますと、
……そうか、別人になるのか。
今の自分とは別の何者かに生まれ変わる……
今の自分が無くなり、全く違う環境で、全く違う自分がいる……
それは
しかし、それ以上に、
————怒りだった。
「なあ、おばあさん。
……こんなことが、こんなことがあっていいはずが無いッ……!!!
あの災害は、俺の生きたかった明日を奪った!
他の誰かは生きられる明日を、あの災害は奪ったんだ!
こんなことが、こんなことがあっていいはずがないッッッ!!!!!」
それは、災害という理不尽への、根源的で心の奥底から湧き上がるような怒り。
それは、激流がめちゃくちゃに渦を巻き、すべてを破壊しつくような怒り。
それは、自分の人生をはばむ災害そのものへの、
それは、世界に叩きつける、
それは、理屈ではない、
「俺は、全てを失ったんだ!俺は今、何者でもなく、ここで終わるんだ!
ここで終われない……終われないんだ!
俺は、ほんっとうに何も成せず、災害に全て奪われて、
この
魂の叫びだった。
自分という人生をまだ何も出来ずに終われない、終われるはずがない。
わずかな希望があればそれにすがりつきたいという思いで、心の底から絞り出した言葉だった。
このまま、何もない空間に放り出されたようなこの感覚のまま、無念の内に終わる事だけは、
それを見た老婆は、無表情に応える。
「……であれば、別の道もございます」
老婆は常に無表情で、感情を読み取れない。
終始、何を考えているのか分からない様子で、その返答に本当に希望があるのか、まるで分からない。
しかし
「……! それは……!」
「あちらにございます」
そう言って老婆は、
————アヤメの花が咲き誇る、その中を貫いて霧中へと続く木道を示した。
https://kakuyomu.jp/users/kamishironaoya/news/16818622170842013149
「…………!!!!!!」
先程までは気づかず突如現れた景色に、
それまでは死んだように色のない景色ばかりが続いていた。
その中に、突然、青々と生気のある花々が目の前に現れたのだった。
「あちらは
災害で命を落とした死者が
今を生きる生者の為に
災害の原因たる『
——『アイリスライツ』
そちらへと通じる道にございます……」
「アイリス……ライツ……」
想像もしていなかった選択肢に、
しかし。
「……それは、俺を殺した災害に、俺が直接、復讐できるってことか?」
「……左様にございます」
「……それは、死んだ俺でも、家族のために、なにか出来るということか?」
「……左様にございます」
「……それは、死んだ俺でも、何もない俺でも、誰かのために戦える道なのか?」
「……左様にございます」
「…………」
……俺は、ついさっきまで、死んで終わりだと思っていた。
でも。
死んだ俺が。
俺を殺した災害そのものにこの怒りの
そしてそれが、家族を災害から遠ざけるためになるなら————。
この俺にでも、まだ成せることがあるというなら————。
「行きます」
「あの先に、行きます」
その揺るぎない決意に満ちた
「……承知いたしました。では、」
老婆が手をパンッ……と打ち鳴らすと。
「……これは」
「行ってらっしゃいませ」
老婆は手で木道を示す。
ここから先は自分で行け、ということであった。
——その、どこまで続くかも分からない、アヤメの咲き誇る、霧中へ延びる木道へと。
「………」
老婆はじっと、その後ろ姿を見送っていた。
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