第12話 花束

ばたんと玄関のドアが開く音がして、うとうとしてた私たちは思わず飛び起きた。


「お母さんだ……ってか!すみか見つけたこと、連絡するの忘れてた!!!」



二人連れ立って階段を駆け降りる。

お母さんは私と、それからすみかの姿を順番に見て、ふーと安堵のため息をついた。


「あのね、見つかったんならせめて連絡くらいよこしなさいね」

「はい」

「お母さんもうずっと車飛ばしてたんだから」

「ごめん……」

「私も勝手に出てってごめんなさい……」


お母さんは自らの腰に当てていた手を下ろした。

一転して、声色が優しくなる。


「すみかちゃん、何があったの? もしかしてお家のこと?」


すみかを横目でちらりと盗み見る。一瞬その頬がこわばって、すぐ元に戻った。


「いえ、実はその、好きだった子に彼女ができたらしくて、それで……」


ガツンと殴られたような衝撃が走る。


すみかに、好きな子?


「あら、そうだったの……」


お母さんは聖母さんみたいな温もりでもってすみかの頭を撫でた。


「もっと気軽に相談してくれていいからね」

「……ありがとうございます」







部屋に戻って扉を閉めた瞬間、つかみかかるくらいの勢いですみかに聞く。実際にちょっとつかみかかったかもしんない。


「す、すすすすきな子?」


すみかは何でもないように言う。


「もち、嘘だよ」

「嘘」

「うん、嘘」


すみかは足元に視線を移した。


「お父さんから帰れって言われたって正直に伝えるのは、なんか嫌、っていうか。七海とこのままでいられなくなるような気がしたから」

「でも、さ」

「分かってる。分かってるよ。そのうち七海のお母さんにも伝わるって。でもさ」


すみかが顔を上げて、私の方を見据えて言った。


「今くらいは、こうしてたいんだ」



今くらいは。いずれ壊れてしまうとわかってても。


崩落がそばにあるのに、見ないふりをする。


それは多分、とても脆い営みだ。


けれど、今こうして一緒にいる時間を大切にしなきゃな、とも思った。








次の日。昨日約束した通り、私たちは例のショッピングセンターに来ていた。

人が多いのは相変わらずで、気を抜いて歩いてるとすぐ人にぶつかりそうになる。


「手は繋がないの?」

「えーっと」


私がもじもじしていると、すみかが元気よく手をぱたぱたさせた。


「つなご!」


うう、なんか調子狂う……



「私、ここ見たい」


すみかがカフェの隣に位置するブティックを指差した。街中でよく見るブランドのロゴがある。

そのブランドは男女問わず結構支持されていて、私もそこの服を何着か持ってたから、断る理由はなかった。


「七海はどういう服が好み?」

「うーん、あんまり派手なのは好きじゃないし。着るとしたらこういう系かなぁ」


私が手に取ったのは淡いブルーのカットソー。ピンクとかを自然に身に纏える人ってすごい。私には全然似合わないと思う。


「へぇー!かわいい!」


可愛いのは服、だよね? ってわかってるんだけど、やっぱり面と向かって言われるとちょっと心が揺れてしまう。


「こーいう感じのはあんまり?」


そう言ってすみかが薄いピンク色のカーディガンを差し出してくる。


「ピンク系、私あんまり似合わないからさ……」

「絶対そんなことないって!着てみなよ」


全く気が乗らない私をすみかは引きずるようにして試着室に連れて行く。

ペラペラのカーテンを開けて、すみかはごく自然に私と同じ部屋に入った。


「……え?」

「着ないの?」

「着ないの? じゃなくてさ。いや、なんでまだいるの!?」

「七海の着替え、見たい」

「私は見られたくないんだけど!てか試着って一人でするもんだから」

「あんま声大きいと怪しまれちゃうよ」


すみかの声に危険な香りが漂い始める。

あ、これやばいやつだ…… なんて思ってると、予想通り、すみかがとんでもないことを言った。


「ねぇ、キスしよっか」


一瞬で頭が真っ白になる。

キス。

昨日のことを改めて思い出す。

私、すみかとキス、しちゃったんだよね……

あの時は全然そんなふうに思ってなかったけれど、今となって思い返してみると急激に恥ずかしくなってくる。

すみかは私の耳元に顔を寄せて、ゆっくり囁いた。


「誰もいないね」

「いるよ……」

「ふたりだけだよ。私たちだけしかいないの」


私は何か言おうとしたのだけど、突然降ってきたすみかの唇に呆気なく塞がれてしまった。


「ん……」


溢れた何かが声となって漏れ出る。


体から力が抜けて、ふにゃふにゃになって、支えが効かなくて、壁にもたれかかる。

頭がぽわぽわで埋め尽くされてく。

気持ちいい。


何か音を立ててしまえば隣の人にバレちゃうかもしれなくて、でもそれを意識すると、もっと気持ちが良くなってしまう。どうしようもないな、わたし。


いやでもこれ相当まずくない?

試着室でキ、キス……とか。なんか、不健全すぎない?


親指と人差し指で顎を摘んで、もう一回……と近寄ってきたすみかを私はあわてて引き離した。


「服、着るから……」

「ちぇー」


てか、顎をくいっとする、そんな大人な感じの仕草、どこで覚えたんだろ……

怖い。すみかが怖い。底がしれない。






その後も靴とかスマホのケースとかいろいろ見て回って、フードコートで海鮮丼たべて、ってしてるとあっという間に時間は過ぎていった。


私よりちょっとだけ前を楽しそうに歩くすみか。長い時間手を繋いでいるから、お互いの手の感触や温度が馴染んできて、程よく気持ちがいい。


さらさらと絹みたいに動くすみかの髪を見てて、ああ、やっぱり私はすみかのことが好きなんだなぁって、思った。

その瞬間、胸の中に温かい液体がたくさん流れ込んでくるような感覚があって。


この気持ちを友達か恋人かで分類するのはどうしたって無理なんだろうなって、分かってしまった。




 



「あのさ!」


ベッドに入ろうとするすみかの手を引っ張って、引き止める。

情けないくらい手が震えて、それは確実にすみかにも伝わってるはずで、私は泣きたくなった。


「ちょっと今日、話あるっていうか」


まっすぐにすみかの目を見据える。


「私、ね」

「うん」


深呼吸を一つ。


「……すみかのことが好き、だから」


すみかが息を呑む微かな音がした。


「なんかその、友達として、とかではなくて」


「……でも、恋人、って言っちゃうのも違うかなって」


私がそう言うと、すみかが首を傾げる。


「それ、都合のいい奴ってこと? それかセフレってやつ?」


セフレとか、そんな言葉を躊躇なく使ってるすみかを見て、あ、なんかこの子大人だなって思った。じゃなくて!


「全然、そういうんじゃなくて……! わたし、すみかと恋人なんかじゃ足りないの、全然」


友達でも、恋人でもない。

そんな言葉じゃ、表しきれない。


「すみかがもっと、欲しくて」


言葉を区切る。すっごく醜い独占欲だって分かってるけど、言わずにはいられなかった。


「だから、恋人じゃダメ、なの。恋人以上がいい」


「恋人、以上……」


「すっごい自分勝手でごめん。……でもすみかが嫌なら全然、そう言ってもらっていいし。むしろダメ元?みたいなところあるし」


言い終わるか終わらないかのうちに、ばふっと、すみかが勢いよく抱きついてくる。


「……七海」

「な、なんでしょうか!」


耳を塞ぎたくなるほどの沈黙。時間にするとほんの数秒だけど、私には永遠のように感じられた。


「それ、最っ高!!」

「え」

「わたしも、七海のこと大好き。それで……」


すみかの方を見て、言葉が詰まる。

すみかは今にもこぼれてしまいそうなくらい、目にいっぱい涙を溜めていた。まばたきをすると、僅かに飛び散った雫がきらきらと光る。  


すみかはまっすぐ私の方を見て、刻み込むように言った。


「七海と、恋人以上になりたい」


今度は私が息を呑む番だった。


「……ほんと?」

「本当だよ。私も七海と同じ気持ち。でもさ、恋人以上って、具体的に何なんだろうね」

「それはその、えっと、考え中というかその」


私があたふたしていると、すみかが私の前髪をそっとはらった。


「七海のそういうとこ、私好きだよ」



幸せオーラを当たり一面に振り撒くように、すみかが笑みをこぼす。



ぱあっと、色とりどりの花束が私の脳内で弾けた。

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