第8話 萌芽
最近できた大型ショッピングモールの中に、その映画館はあった。この地域の人が遊びに行くならばまず最初に候補にあがるような、広く名の知れた施設。
誘致の話が出た頃は、近くにあった商店街の人たちと何か揉めたみたいだけど、結局有耶無耶になって、今こうして立派にそびえたっている。
エスカレーターを何度か乗り継ぎつつ映画館のある5階へ向かう。エレベーターで一気に行ってしまうのもいいんだけど、エスカレーターでゆっくり行った方がわくわくが高まるような気がするので、私はいつもそうしている。
仄暗い映画館のフロアに入ると、キャラメルポップコーンの甘い香りが鼻腔を心地よく刺激した。
「すみかは何見たい?」
上映作品一覧が表示されたディスプレイの前に来て、すみかに聞いてみる。ホラーは勘弁してほしいけれど、それ以外なら私は基本的になんでもいける。雑食系、ってやつ。
「うーん…… これかな」
すみかの指が示したのは、韓国の恋愛モノだった。
「へぇー、こういうの好きなん、だ……」
サムネイルの下に表示された紹介文を読んでいると、ある一点で目が止まる。
それは明らかに、女の子同士の恋愛を扱ったやつだった。
「どう?」
どう? って言われましても。
イタズラを仕掛けた子供みたいにきらきら輝くすみかの瞳。
「えー……」
なんで自分がこんな戸惑ってるのか分からなくて、言葉が出ない。
でも、違うやつにしないか提案するのも、それはそれで変な意味が生まれてしまいそうで。
私は笑顔を作った。
「良いよ、これ、見よっか」
「やった」
うん、まぁ、すみかが嬉しそうにしてるし、良いかな、なんて。
チケット購入端末を操作していると、私はそれに気がついた。
「てかこれ、18禁のやつじゃ……」
「そだよー」
「いやいやそだよーじゃなくて。だめじゃん。私たち思いっきり17だよ、セブンティーンだよ!子供だよ!」
「まぁまぁ、映画館ってそんな厳重に年齢確認されるわけではないらしいからさ」
「そういう問題じゃなくって!」
「行こ?」
くいっと、手を引っ張られる。
「わわ、待って……」
出てきたチケットを2枚、慌てて回収して、すみかに引っ張られるまま入場ゲートへ。
すみかの言葉通り、受付のお兄さんは私たちの方をチラッと見ただけですぐ通してくれた。
「恋愛映画で18禁って、嫌な予感がするんだけど……」
「私はしないよ、そんな予感」
やっぱりと言うべきか、私の悪い予感は現実になった。
その映画にはしっかり濡れ場が出てきた。というか、ほぼそれしかなかった。
昼夜を問わず肉体的な交わりに溺れるカップルの間に生まれる精神的なズレ。それを埋めようと繰り返し交われば交わるほどズレは大きくなっていく、そういう内容。
中盤あたりで、ヒロインがヒロインに耳を責められるシーンが出てきて、すみかのセレクトに従順に従ってしまったことを私はかなり後悔していた。
でもでも。耳に息吹きかけられるのとか、普通のコミュニケーションだし。私はなんとか自分を保とうと、脳内への言い訳を組み立てる。
流石にちょっと無理がある気もする、けど。
ただ、女の子同士の恋愛映画に、私たちがこっそりしてたことと同じシーンがあるのって、なんか、その…… なんだろう?
こういうことを考えているといつも碌なことにならないので、さっぱりと忘れ去ることにした。
やけに長いエンドロールが全部終わって、2時間弱大人しくしていた照明が息を吹き返す。
シアターから出る通路をてくてく歩いていると、前を行くすみかが急に振り返った。
「ね、どうだった?」
長い時間黙ってスクリーンを眺めていたからか、すみかの声は少しハスキーになっていた。
私は正直な感想を伝える。
「……んーとね、その、過激、だった……」
「私たちもあれとおんなじようなこと、してたよねぇ」
「してないよ!? 流石にあそこまでは、さぁ」
「えー」
「……もしかして、私を恥ずかしくさせるために映画見に行こって言ったの?」
「まさかー」
すみかはケロッとしていた。あんな映像を見たあとなのに。
というか、これなら家ですみかに嗅がれてた方が100倍マシだったんだけど…… その方が感じる恥ずかしさの量が少なかった、と思う。
でもまさか、映画を見ようよと言われてこんなものを見せられるとは普通思わないので、あの時の私を責めることはできない。
すみかは首を振って肩にかかった髪をはらう。絵になる仕草だ。
「まぁ、参考にはなったかな」
すみかのその声は、いつも私をからかってくるときのそれによく似ていたので、慎重に聞き返す。
「……何の?」
「将来、人と付き合うことになったとき、の」
「……」
将来、人と、付き合うことになったときの。
心臓がどくどくと自分の位置を激しく主張してくる。
「手、繋ごっか」
なんで今? とは、聞かない。
一瞬の躊躇のあと、私のほうから手を伸ばす。
繋いだすみかの手はいつもより少しだけ熱かった。
どこに行く当てもなく、私たちはとりあえず歩き出した。
同じ場所に留まったままだと何かが爆発してしまいそうで。
「あれぇ、七海じゃん!」
突然、名前を呼ばれた。
聞き覚えのある声…… と思って周りを見渡すと、大きなショッパーを抱えた女の子が目に入る。
「きょ、
すみかの手がぴくりと動いた。
京香は笑いながら近づいてくる。
「今日は映画ー? おすすめ教えてあげよっか?」
「あー、私たち、もう見終わっちゃったとこ」
「あちゃ、残念だぁ。背筋がバッキバキに凍りつくレベルの海外ホラー、ちょうど今やってるのになぁ」
京香は大袈裟におでこに手をやると、一歩引いて見守っていたすみかに気づいた。
「あれ、そちらはどなた様?」
「ああ、私の従姉妹。すみか。休み明けから私たちの学校、通うんだよ」
「へぇー! 私、
教科は初対面の人と話す時、やたらと声がでかくなる。本人曰く親しみを込めてる、らしいんだけど、側から見たらもう威嚇にしか見えない。
「……よろしく」
「よっろしくねー!」
と、すみかの手が私のTシャツを掴んだ。
それをちょっと引っ張って、小さな声で私に言う。
「帰ろ、七海」
「え、まだ私、京香と話が……」
ぐいぐいと、有無を言わさないような力でシャツを引っ張られる。私はすみかについて行くしかなく。
京香の方を振り返ると、またねーと呑気に手を振っていた。
「嗅いで」
「えぇ……」
「いいから」
その夜、ベッドの上で。
ぐいっと、白さが際立つすみかのデコルテのあたりに顔を押し付けられる。
ちょっとさ、積極的すぎない?
なんでだろ、なんて考える余裕もなく、息を吸うと脳みそにすみかの原液みたいなものが流れ込んできた。
直接は触れてなくても、すみかが汗ばんでいるのが分かる。
よく考えると、直接すみかを嗅ぐのって、これが初めてなんだよね……
すみかの喉元が動く。声が降ってきた。
「ねぇ、七海は、私のことどう思ってる?」
「どうっていうのは……」
「好きか、嫌いかならどっち?」
「えっと、好きか嫌いかなら、好き、だよ?」
「ふふーん」
見上げると、すみかはなぜか得意げな表情をしていた。
「頭、貸して」
「え?」
「いいから。撫でさせて」
なんで撫でられているのかはまっったく理解できなかったけれど、すみかの手のひらが包み込むように私の頭の上を優しく動く。気持ちいい。
自然と眠気が誘発されて、瞼が重くなる。
幸せホルモンがどんどん出てくるのを感じる。そんなものが本当にあるのかは知らないけれど。
頭を撫でられるのって、こんなに幸せなことだったんだ。
「すみかはいつも私の知らない世界、見せてくれるよね……」
眠気に揉まれながら私がそう言うと、慈しみたっぷりに動いていたすみかの手がぴたりと止まる。
「すみか……?」
その時のすみかの表情を、多分私は一生忘れないと思う。
いろいろなものが溢れてしまう寸前でなんとか食い止めているような、そんな表情。
何かが崩れてしまいそうな危うさ。
嬉しそうとか悲しそうとか、そんな簡単な言葉ではそれは表せない。
何かを言ってあげたかった。
けれど、何も言えなくて。
頭に乗せられたまま静止していた手が再びやさしく動き出して、すみかの表情がいつも通りの、余裕たっぷりのものに戻る。
私はそっと目を閉じた。
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