花の妖精の恩返し ~手柄横取りパワハラ上司に華々しい制裁を~

水帆

厄日の俺と花の妖精

「……田井中課長。これはどういうことですか?」


 田井中――俺の直属の上司は、デスクの前に立つ俺を一瞥すると、フンと鼻を鳴らした。


「……何のことかな?」


「とぼけないでください!」


 俺はプレゼン資料の束を課長の机に叩きつけた。

 

 それは俺が何日も残業して作成した、渾身のプレゼン資料だった。

 その資料の作成者欄から俺の名前が消され、代わりに田井中課長の名前が書かれている。


「ああ、それね。を専務がとても気に入ってくれてね。まったく、君が、仕方なく私の方で作ったのだよ」


 田井中は悪びれもせず片手をひらひらと宙に泳がせる。

 

「これは……俺が作った資料です! きちんと期限内にお出ししていますよね?! どうしてこんなことするんですか?!」


 田井中はせせら笑い、眼鏡越しに冷たい眼差しで俺を睨み付けた。


「難癖をつけるのはやめないか。……君は何か勘違いしているんじゃないか? いいか、小島。君の評価は私が握っているんだよ」


「!」


「私が評価を下げれば、君は出世なんて一生夢のまた夢になるだろうねえ」


 こいつ……。

 評価権限を盾に取って、俺を黙らせるつもりか。

 

「……おい。何か言うことはないのか」


 田井中の言葉に、俺は奥歯を噛み締めた。


「…………ありません」


「もう一度聞く。何か言うことはないのか?」


 田井中の瞳には悪意の光がちらついている。

 この状況を楽しんでいるんだ。

 俺は机の端を見つめながら、震える拳を握り締め、喉から声を絞り出した。


「…………疑って、すみませんでした」




  


 俺は俯いたまま廊下に出て、駆け込むように男子トイレに入ると、


「あいつ……!!」


 トイレの壁を力一杯殴り付けた。ズドン、とくぐもった鈍い音が響く。あまりの怒りに感覚が麻痺しているのか、拳の痛みが少し遅れてじわりと広がった。


 荒い呼吸が落ち着くまで、トイレの壁にもたれ掛かっていると、男子トイレに誰か入ってきた。


「……あれ、君、小島君か? 今何か大きい音がしたようだけれども」


 現れたのは専務だった。


「……」


 専務とは社内の懇親会で何度か話したこともあり、専務との関係は特に悪くない、と思う。

 いっそ田井中課長のことを、相談してみようか。

 

 そう思って言葉を選んでいるうちに、先に専務が口を開いた。


「そうだ、小島君ね……。君、あまり田井中君を困らせてはいけないよ。期限を守らないし仕事もできないし、があって手を焼いていると聞いたよ。社会人として恥ずかしくはないのかね」


「!」


 田井中に、先手を打たれていた。

 これでは、専務に『あれは俺の作った資料です」と主張したところで、虚言癖で片付けられてしまう。


「君も田井中君くらい仕事ができないと出世できないよ。……あっ、君!」


 追い打ちをかけるような専務の一言を聞いて、俺は考えるよりも先に走り出し、男子トイレから飛び出した。もうこれ以上聞きたくなかった。



  


 田井中と同じ島の自席に戻るのは嫌だった。

 自分でもどこに向かっているのか分からないまま、とにかく一人になりたくて、廊下を走って社屋から出た。


 エントランスを出入りする営業社員から身を隠すように素早く社屋の隣の公園に駆け込むと、ベンチにへたり込むように腰掛け、そして項垂れた。


 公園と言うにはとても狭い敷地。小さな滑り台とブランコ、そして花壇の脇にあるベンチ。


「……馬鹿みたいだ」


 今回のクライアントについてあらゆる情報を集め、研究を重ねて提案内容を練り、連日遅くまで残業してやっと良いプレゼン資料ができた。クライアントを満足させる自信もあった。

 

 それなのに、まさか田井中に全部持っていかれるなんて。しかも手柄の横取りだけでは済まず、俺の評判まで貶められている。


「はあー……」


 ため息しか出なかった。俺は天を仰いでベンチの背もたれにだらりと寄りかかった。

 

 これから、どうしよう。


 俺は、この部署に先月異動してきたばかりだった。

 前任の同期は既に辞めていて、その穴埋めということで俺が異動することになった。


 その同期は俺から見ても優秀な奴で、なぜ辞めたのか不思議に思っていたが……もしかすると彼も苦労していたのかもしれない。

  

 田井中の下で、このままただ奴隷のように働くか。


「……いっそのこと、俺も転職するか……?」


 しかし、今の激務を続けながら転職活動なんて、いつできるのだろう。平日の夜は毎日残業。土日は休日出勤のこともあるし、休みでも平日の疲れを引きずっていて正直余力はない。

 

 いっそ、先に辞めてから探すか?

 いや、それも怖い。いい仕事が見つかる保証なんて無い。下手をすると生活に困ってしまう。

 

 俺は深いため息をついた。

 ただ仕事を頑張っていただけなのに、なぜ田井中のせいで俺が苦労して転職しなければならないのだろう。そう思うと余計に腹立たしい。


「……うぅっ、はぁ」


「?」


 耳元で何か微かな声がしたような気がして、身体を起こした。

 しかし、耳を澄ましても何も聞こえない。

 

 まったく、あまりに疲れて幻聴でも聞こえたのだろうか。俺は再びベンチの背もたれに身体を預け直した。


「……たすけ、て……」


 俺は飛び起きた。やはり微かだが声がする。

 周囲を一通り見回したが、公園には人影がない。


「……なんだ? 誰もいないのに」


 そしてベンチの後ろの花壇に視線を落として、



「あ」


 花壇の花の中に、小さな目が二つ瞬いている。

 

 よく見ると、とても小さいが、花の間に小さな女の子がいる。そして何か伝えようと、小さな口を動かしている。


「……え?」


 いま俺が見ているのは幻だろうか。

 ピンクと黄緑色の花びらみたいな服を着た、まるで小人のようなサイズの女の子。花壇の花の間に仰向けに倒れ、苦しそうな顔でこちらを見ていた。


「……お、お水……」


「お水?」


 なんだこの、小さな生き物は。

 人間みたいな形をしているし、言葉を喋っている。

 

 しかし目の前で女の子が辛そうにもがき苦しんでいるのを見て、俺は一旦その疑問を頭の隅に片付け、慌てて公園脇の自販機で水を買って戻ってきた。

 

 水のペットボトル片手に花壇を覗き込むと、女の子は仰向けでまだ口をぱくぱくさせていた。


「えっと、水だけど、どうしたら」


「ここに……」


 小さな女の子が、両手を器のようにして俺の方に差し出した。

 俺はペットボトルの蓋を捻り開け、慎重にその両手の器に、ポタポタと数滴垂らしてやった。


 垂らした水は、表面張力で丸いゼリーのように女の子の両手の器に収まった。

 

 女の子はその水をこくりこくりと飲み干すと、可愛らしい声で「はああ~、死んじゃうかと思いました」と言った。


 何なんだ、この子。

 俺は疲れているのか?


 すると女の子が起き上がって、わさわさと葉をかき分けて花壇のガーベラの花の上にのぼり、花の真ん中にちょんと腰掛けた。


「人間さん、助けてくれてありがとうなのです! いやー、おかげで命拾いしたです」


 俺は固まったまま瞬きした。

 俺の目の前で、一体何が起きているのか。

  

「しかし、緊急事態だったとはいえ、人間さんに見られちゃいましたねえ……あーあ、やっちゃったのです……」


「え、えっと……君は、何なの? 人間……じゃない?」


 そう言うと女の子はくるりと背を見せた。

 なんと女の子の背中から透明――いや、虹色を帯びた羽が4枚生えている。


「羽?」


 女の子はガーベラに座り直してにんまりと笑った。


「わたし、妖精なのです。花の妖精のリリっていいます」


「は、妖精……?!」


 妖精ってあのファンタジーの妖精か?

 いやいや、そんなの想像上の生き物じゃないか。実在するわけがない。


 じゃあ何だ?

 人形? いや、動きなめらかすぎだろ。

 VR? いや、そんな装置どこにもない。

 プロジェクションマッピング? いや、映像は水飲まない。俺が水あげたし。


「人間さん、信じてないですねえ~」


 俺の探るような眼差しを受けて、リリは不満そうな顔で頬杖をついた。

 

「いやいや、妖精って……そんなのいるわけ……」

 

「いるですよ? 見えないだけで、木の妖精、水の妖精、火の妖精、他にもいろんな妖精いるです。街にはちょっと少ないけど、こっそりいるですよ」


 思わず周りを見回してしまったが、そこは人気の無いビルの間のただの狭い公園でしかなかった。


「まあ、信じなくてもいいですけど……リリ、本当は人間さんに見られちゃいけないのです。だからこのこと、黙っていてほしいです」


 なんだか頭痛がしてきた。

 この世界に妖精がいる? ただでさえ疲れているのに勘弁してほしい。頭が処理しきれない。

 

「……人間さん、リリにできることなら何でもするですから、このこと黙っていてくれないですか。お願いです」


 リリが念を押すように、手を合わせてお願いしてくる。

 

 俺は今日何度目か分からないため息を吐いた。

 今日は厄日か何かだろうか。これ以上面倒事に巻き込まれたくない。


「……何でもって。別にいいよ」


「いえ、リリの命の恩人ですから。何でもしますよ!」


「いや。何でもって言ったってさ……そもそも、君は何ができるの」


 花の妖精に出来ることってなんだ。

 お花を咲かせるとかか?


「そうですね……お花を咲かせるとか、お花畑を作るとかとっても得意です!」


 めちゃくちゃ予想通りだった。

 というか『何でも』の範囲が狭すぎる。花の品種なら何でも咲かせられるって話だろうか。

 

「いや俺、花とか興味ないからさ……。いいよ、別に何もしなくても。黙っとくから」

 

「ああう、そうですかあ……まあ、あとは、誰かを花粉症にするとかですかね」


「! 花粉症?」


「はい、花の妖精ですから。どんな花粉も自由自在です!」


 リリは得意気に胸を張った。


「……誰かを花粉症にするなんて、本当にできるの?」


「はい! それはもう、ひっどい花粉症にさせちゃいます。あれ? やりたいですか?」


 俺の脳裏には、ある人物が浮かんでいた。

 想像の中で、そいつの眼鏡が底意地悪く光る。

 

「……お願いしてもいいかな」


「わかったのです、まかせてください! あ、ちなみに花粉といっても人間さんが花粉症になるのはいくつかあるですけど、どれにするです? スギ、ヒノキ、ブタクサ、イネ、ヨモギ、ハンノキ、シラカンバ……たくさんありますから好きなの選」


「全部で」


「え?」


「全部で頼む」


「ぜんぶ」


「全部」

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