(青天の霹靂)3

三.

瀬木が帰ってから、僕は牧多に電話をした。彼はすぐに電話に出た。

「牧多。今、どこにいるんだ?」

「杉原と初めて会ったコーヒーショップがあるだろ? 今、あそこにいるんだ」

牧多は声をひそめて言った。

「新聞記事のことは知ってるんだな?」

「知ってるどころか、支部の周りを記者が何人かうろついてたよ」

牧多の話から、FT新聞以外の記者にも、支部が問題視されていることが分かった。

「若者信者はどこに?」

「俺が、全員にメールをして、とにかく自宅待機をするように指示した。家にも記者が来るかもしれないけど、絶対に取材に応じるなって伝えておいた。それと、何かあったら、俺に連絡するように言った」

牧多は頼もしかった。感情に左右されない分、危機対応がより的確なのかもしれない。

「じゃあ、賀矢先生はどこに?」

「朝刊を見て、すぐに身を隠したようだ。どこに隠れているかは俺にも分からない」


僕も、今からそこに行くと伝えて教会を出た。バス停にある時刻表を見た。教会前にバスが来るまで、まだ三十分も待たなければならなかった。僕はタクシーを呼ぼうと思った。

そして、スマートフォンでタクシー会社を検索していたら、静かに僕の近くに車が止まった。

気づいて顔を上げると、ワゴン車が止まっていた。ボディーの側面にガムテープが貼られていた。僕は事態が呑み込めず、じっとそのガムテープを見ていた。

すると運転席から、

「神と真と愛 礼命会の文字が見えるとマズいから、ガムテープを貼って隠したんだ」

と先生の声がした。

僕は、「先生!」と思わず叫んだ。

車から降りた先生を見ると、いつもの黒いスーツの上着を脱いで、代わりに、明るいベージュのコートを羽織っていた。そして、先生を特徴づけていた薄青色の眼鏡も外していた。これまでの印象が強いために、眼鏡を外して、上着を替えるだけで別人のようになった。変装としては非常に効果が大きかった。

僕の視線を感じた先生は、自分で説明した。

「私は新聞や講演会のポスターで顔が知られているからね」

それから、先生は、僕がどこに行くつもりなのかを尋ねた。

僕は、牧多の状況を伝え、今から、コーヒーショップに行くことを話した。

「すぐに助手席に乗りなさい」

先生は、僕を車に乗せると、周りの様子を窺いながら、静かに車を発進させた。

「今、FT新聞の瀬木という記者が教会に来ました」

僕は先生に言った。

「数日前、私も彼の取材を受けたよ。説教が終わって信者さんの家を出たところでつかまった。色々聞かれたよ。ペンダント売りの問題について、私よりも詳しく知っていた……」

先生はそれきり沈黙した。

僕は、先生が精神科医だと知ったことを話したかった。でも、沈黙する先生には言い出しにくかった。

すると、先生が言った。

「慢心だよ」

「何がですか?」

「瀬木記者に言われて、ペンダント売りが悪質なやり方に変わっていることを初めて知った。私は礼命会代表として恥ずかしい」

先生は車を運転しながらそう言った。

「賀矢先生にも、問題があります。支部の活動を意図的に本部の先生に報告していませんでした。その結果が、今の事態に至ったとも言えます」

「でも、それなら、私から支部に問い合わせをするべきだった。牧多君に聞けばすぐに分かった。それに何よりも、私は、信者さんの家に寄付の回収に行くのに夢中になっていた。その結果だよ。その結果が今の事態だ」

先生はようやく目が覚めた。僕はそう思った。そこで、

「先生が信者さんの家を回るのを、僕は、『礼命会出張サービス』と心の中で名づけていました。もちろん、批判の意味です」

と言った。

「杉原君。心配をかけて済まなかった。それにしても、礼命会出張サービスとは、絶妙のネーミングだね」

先生は笑った。


先生の様子を見て、僕はもう話してもいいだろうと思った。

「これから、僕の推論を話します。先生に初めて会った日のことです。僕が腹痛で路上に倒れ込んでいるところに、先生が現れました。そして、僕の腹痛と日頃からの生きにくさと違和感を一度に治してくれました」

先生は、僕の唐突な話しに、

「確かに、そうだった。でも、それが何か?」

と聞いた。

僕は話を続けた。

「つまり、僕はこう思うのです。腹痛が神経性の胃炎であることと、その胃炎の原因が僕の厭世的な気分から来ていることを見抜いた先生は、僕に、一種の暗示をかけたんです。僕の腹に手を当てて、呪文のような言葉を繰り返すことで、胃痛を治したんです。実際には、突然、道の真ん中で、そんなことをされて、僕は、びっくりして胃の痛みが飛んでしまったのだと思います。更に、胃痛から解放された瞬間ならば、軽快感で、違和感も消えていて当然です。先生はその瞬間をとらえて、腹痛と違和感を同時に取り去りましたと言いました。そうやって、僕に暗示をかけたのです。専門家でないとできません。でも、先生ならできます。何故なら、先生は精神科医だからです」


この話は、先ほど、瀬木から、先生が精神科医だと聞かされたことから、考えたことだ。僕は、デタラメを言ったわけではない。もちろん、僕は先生と違って精神科医ではないから、細かなところは間違っているかもしれない。だが、先生が僕にしたことは、こういうことだ。


「見事だ。杉原君。その通りだよ。ところで、私が精神科医だという話は、さっきの新聞記者から聞いたんだね。他人の過去を勝手に調べて喋る。困った人達だ」

先生は、特に怒ってはいなかったが、そう不満を述べた。

そこで、僕は話した。

「僕もそう思います。ただ、あの瀬木という記者は帰り際にこう言いました。身辺を嗅ぎまわって気に入らないと思うが、現実に、原価が数百円もしないペンダントを一個三千円で買わされているお年寄りがいる。中には、十個まとめて買ったお年寄りもいる。信者仲間の実家のアクセサリー工場が焼けたという嘘の話に騙されて。君は、直接関わっていないようだけど、同じ教団の人間として、責任を感じて欲しい、と。僕は、その言葉を真剣に受け止めました。そして、逃げていてはいけないと思いました」

先生は、それを聞いて、こう話した。

「確かに、そうだね。私も、今朝の記事を読んで気づかされたことがある。私は、大学病院を辞めてから、どこまで逃げ切れるのかを試していた気がするんだ。人間は、現実から、どれだけ逃げられるのか。現実を見ることなく、生きることができるならば、それは人間にとって最も大きな苦痛から逃れられることだ。そして、私はできれば、医者を辞めてからの人生を、生涯、逃避のまま終わらせたかった。そんなことを考えていたんだ。それが、今朝の記事を見て、逃げ続けた結果が、今、大きな現実の塊となって私に突きつけられているんだと気づかされた」

先生は真面目に語った。そのことから、かつては、精神医学に真摯に向き合っていたことが分かった。ただ、それだけに、何故、宗教団体の教祖に転身したのか? という疑問もより強まった。


コーヒーショップの入っているビルの地下駐車場に車を停めた。初めて、ここで牧多に会った。僕が礼命会に入会した日だった。牧多の体験した奇蹟-父親の突然の死について聞かされた。地下駐車場を歩きながら考えていた。あの日、車を降りると、駐車場は蒸し風呂のように暑かった。三月の今、陽の当たらない地下駐車場の空気は冷たい。あの日から八カ月ほどの歳月が流れた。新たに設立されたダムドール支部が、新聞沙汰になる問題を起こすには十分な時間が流れたということだろうか? 僕には分からなかった。だが、事実がそれを証明していた。

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