(苦行)5

五.

石本信弥と森野香々美は、水越賀矢に行動を監視されていた。そして、二人は、その内容の一部を皆の前で暴露された。実際に、行動を監視しているのは牧多賢治だった。彼は水越賀矢の諜報係だ。ダムドール支部は、穏健な宗教団体礼命会の支部ではない。それどころか、カルト教団ではないのか? 何故なら、水越賀矢のやっていることは、自分に逆らう信者に対しての私刑だとしか思えないからだ。


「笑っている人。笑っている場合ではありません。次は、これです」

水越賀矢は、再び資料の一点を指差した。

信者は、皆、はっとした表情になった。

「G大学の大邨哲也氏子とJ大学の二上利香氏子。一月二日。XY神社に初詣に行った帰り、そのまま二人はどこかへ姿を消しました。どこへ消えたのでしょう?」

水越賀矢は大邨哲也と二上利香のほうを見た。

二人も並んで座っていた。

「どこだっていいじゃないですか! 何故、そんなことまで賀矢先生に干渉されなければならないんですか? 映画ですよ。初詣の後は映画を見に行ったんだ」

大邨哲也は言った。

「そうです。どこへ行こうとかまいません。たとえ、それが映画館であっても、遊園地であっても、そして、人に言えないような場所であっても、かまいません。問題は、あなた達二人が、礼命会ダムドール支部の信者であるにもかかわらず、XY神社に詣でたことです。これは、二重信仰です。礼命会ダムドール支部信者として許されるものではありません」

水越賀矢の言葉に、大邨哲也も二上利香も、あ然とした。

「だったら、最初から、あなた達のしたことは二重信仰になるって言えばいいじゃないですか?」

「かまをかけられたみたいだ。入会する時にも、二重信仰の話なんて聞いていない」

二上利香と大邨哲也は水越賀矢に抗議した。


僕も、「礼命会は二重信仰を否定するものではない」ということを、青沢礼命が水越賀矢に直接話していたことを覚えている。水越賀矢が青沢礼命に初めて会った時のことだ。礼命会開祖の青沢礼命が二重信仰を否定していないのに、彼女は二重信仰を否定している。やはり、ダムドール支部は、礼命会ではないということではないのか? 僕が考えていると、突然、水越賀矢が僕を見て言った。

「杉原氏子。気づいていたでしょう? 車座になっている彼らの並び方を見ていて」

僕は、内心気づいていた。けれど、何故、それを僕に言わせるのだろうと思いながら、問われたのでやむを得ず、

「男女一組ずつの形になっています。おそらくペンダント売りの修行で、コンビを組んでいる人同士が並んでいるのだと思います」

と答えた。すると更に、

「コンビ? コンビでいいかしら?」

と彼女が尋ねるので、

「カップルだと思います」

と僕は仕方なく答えた。

その答えを聞くと、水越賀矢は、

「そうです。さすが、杉原氏子。青沢礼命先生に直々に入信を勧められた若者。ここにいる富裕層若者信者とは違う。信仰に一心に打ち込み、恋愛に惑わされることもなく、神の道を追求する杉原氏子には全てがお見通しです。皆さん。同じ若者信者として、この差をどう捉えますか?」

と信者たちに問うた。

僕は、青沢先生もいい加減なことを言う時があるけど、水越賀矢も、相当にいい加減なことを言うと呆れた。僕は信仰に打ち込んでなんていない。恋愛だって、生きることにすら無気力な僕が、到底、恋愛などできるはずがないだけだ。僕は水越賀矢が言うようなストイックな人間ではない。


水越賀矢の問いかけに対して、V大学法学部二年の河岸君江が答えた。

「杉原氏子には、杉原氏子の信仰があり、私たちには私たち一人一人の信仰の仕方があると思います。杉原氏子のようにストイックな信仰をするには、私は、まだ信仰が浅すぎます。いつか、そうなりたいと思いますが、今は、まだ無理です。そして、他の若者信者も同じだと思います」

彼女の答えを聞いて、僕は、その通りだと思った。僕がストイックな信仰をしているというのは、全くの嘘だけれど、仮に、僕がそういう信仰をしていたとしても、僕は河岸君江の答えに賛同する。

だが、彼女の意見に対して、水越賀矢は、また資料に目をやり、

「十二月二十九日夜。河岸氏子が、毎日のペンダント売りによる疲労と風邪のため自宅で寝込んでいる間、J大学法学部四年の平塚秀尚氏子は大学の友人数名と合コンに参加しました。相手はS女子大の女子学生です」

と言った。

河岸君江の顔は真っ赤になり、

「先生。どうか私の意見に対して答えを述べてください。今、そんなことどうでもいいじゃないですか? でも、平塚君。本当なの?」

と取り乱してしまった。

彼女の隣に座っている平塚秀尚は黙ってうつむいていた。


僕は、水越賀矢が、牧多に命令して信者二十人を監視させ、それによって集めた情報を使う目的は、こうやって自分に都合の悪い意見を言う信者を黙らせるためだと分かった。確かに、一時は黙るだろう。でも、こんなやり方では、誰も彼女にはついて来ない。遠からず支部も消滅する。これなら、若者信者を心配する必要などなかった。僕が、そう思った時だった。


水越賀矢が、二十人の若者信者に向かってこう言い放った。

「あなた達が本気で生きているかどうか? 私はそれを問うている。あなた達は全てが甘い。いつも最後は誰かが助けてくれる。いつも最後は何となく許される。世界は何となく動いている。この国のことも誰かが何とかしてくれる。その考えがこの国をダメにしたのよ! これからこの国を背負うあなた達が、本気にならなくて誰がこの国を建て直すの? あなた達が本気を出さなければ、子ども達の未来が暗いものになる。食べるものも、まともにない。教育もまともに受けられない。今、既に、そうなりかかっているじゃない? 立ち上がるのよ! 飼い馴らされた子羊たち。この国の未来のために野生の狼になるの!」

サングラスを外し、目をむいて彼女は叫んだ。

支部の中に彼女のしわがれた声が響いた。彼女は手にした資料を放り投げた。紙が舞った。そして、パラパラと床に落ちた。


先ほどまで、水越賀矢に恐怖と敵意を抱いていた信者たちが、彼女の叫びを聞くと、立ち上がって、目に涙を浮かべながら水越賀矢に握手を求めた。一瞬で彼女は救世主になった。

「賀矢先生。あえて困難なペンダント売りをさせる本当の目的は、僕たちにそのことを伝えるためだったんですね」

「賀矢先生。私は、いつも、辛いことから逃げてしまいます。でも、その自分を変えます」

「この国の未来のために修行に励みます!」

二十人の信者に囲まれながら、水越賀矢は言った。

「みんな、分かってくれて、ありがとう」

それから、彼女は高らかに礼命会ダムドール支部神訓をそらんじた。若者信者二十人も、彼女とともに神訓を唱えた。


その時、僕は、こんな視点で彼らを見ていた。

水越賀矢の主張に若者信者は共感した。僕も彼女の主張を特に否定はしない。但し、涙を流して感激するほどの内容ではないと思った。にもかかわらず、若者信者は涙を流した。僕はそこに注目した。彼らは、過酷な修行によって精神的に追い詰められている。だから、あの程度の話にも涙を流して感激したのだ。もしかしたら、これはマインドコントロールではなく洗脳の一種ではないのか? 「マインドコントロールとは、言葉、行動、態度で人の気持ちをコントロールすること。洗脳とは、暴力、罵りなど恐怖を伴うことがあり、人の考えや思想を根本的に変えること」。僕は、以前、書斎で読んだマインドコントロールの本にあった解説を思い出した。


僕は牧多を見た。彼は不動の姿勢で立っていた。僕は彼に話しかけずに支部を出た。外は薄暗くなっていた。時計を見ると五時を過ぎていた。集会はまだ続いていた。僕は、若者信者のことが心配で気負い込んで集会に参加した。しかし、実際には、彼らのために特に役に立てることはなかった。そのことに気づいた僕は、途中で集会を出てきた。僕は商店街をバス停に向かって歩いた。一度、支部を振り返った。薄暗がりの中、古びた建物に掲げられた真新しい「ダムドール支部」の看板だけが、不自然なほどくっきりと見えた。僕は、しばらくその光景を眺めた。それから、バスに乗って丘の上の教会に帰った。


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