第15話 『切り裂き魔』の正体

 ブラックタワーの三五階には、全面ガラス張りの展望室があった。地表から三五〇メートル上空にあるその場所からは、ドミニク街の夜景を一望することが出来る。

 本来は旅行客などで賑わうはずの大きな部屋は、静寂に包まれていた。

 建物自体はライトアップされているのにも関わらず、展望室には照明が点いていなかった。

 街の灯りだけが照らす夜の闇の中。

 そこに、一人の男が居た。

 男は全身を黒一色で統一しており、フードを被っていた。顔にはサングラスと黒いマスクを着けていて、人相を隠している。

 彼こそが連続殺人鬼『切り裂き魔』だった。

 男は自分が仕留めるべき最後の相手の到着を今か今かと待ち侘びていた。

 標的が必ず来るという確信が、彼にはあった。

 八年前、彼を襲った悲劇。そのことを引き合いに出せば、やって来ると踏んでいた。

 だからわざわざ分かりやすい手紙まで送った。

 現在の時刻は午後十時四五分。指定した時間まであと一五分。

 時計を確認し終えると、男はあることに気付いた。

 展望室の中央に位置するエレベーターが作動しているのだ。

 今宵のブラックタワーは男が貸し切っているため、一般客では無いだろう。

 あいつだ。

 男はマスクの下の口を歪ませる。

 標的の最大の実績、その象徴であるこの塔をその血で穢す。

 命も誇りも、何もかもを蹂躙する。

 漸く目的を果たすことが出来る。その喜びで笑わずにはいられない、そんな様子だった。

 五分程が経過して、エレベーターが展望室に到着した。

 その扉が自動で開く。

 直後だった。

「いやあ、どうもどうもお待たせしました」

 軽やかな少女の声がした。

「……!?」

 男は思わず二歩下がる。

 そこに姿を現したのは、明らかに彼の標的では無かったからだ。

「よくそんなノリで居られるよね」

 現れたのは、青年と少女の二人組。

 男があの日の夜、仕留め損ねた者達。

「それはまあ、こういう修羅場を何度も潜り抜けて来ましたからね。こっちは慣れっこですよ。あなたもその内慣れますよ」

「僕は全然慣れたくはないんだけど」

 青年……ルークはため息を吐いた。下手をすれば殺し合いになりかねない雰囲気など願い下げだった。

「まあまあ。そうだ、これが終わったら食事なんてどうですか?事件解決の後はパーッと行きましょうよ」

「こんな状況の後じゃあ食欲なんて湧く訳が無いだろう。よく何か食べる気になれるね」

「こう見えて食べ盛りですからね。それにわたしはそういうのは気にしませんから」

 ブロンドヘアーの少女……キャロルは笑みを浮かべながら人差し指を立て、まるで自慢するかのように言った。

「あなたもそんなタイプですか。『切り裂き魔』、ダガン・フォーガスさん?」

 鋭い黄色の瞳が、男の姿を捉える。

 男はサングラスとマスクを外し、フードを脱いだ。

 露になったその顔は、ルークの学校の保健教諭であるダガンのものだった。

 普段と違うのは、その顔つき。

 彼は笑顔だったが、その奥に何か冷たいものが隠れている、そんな雰囲気だった。

「やっぱり、一連の事件の犯人は先生だったんですね」

「さっきからキミ達は何を言っているのですか。『切り裂き魔』?事件の犯人?私はただ今夜ここを貸し切って夜景を見るために友人と待ち合わせをしているだけですよ。何で私が殺人犯になってしまうのですか?」

「僕達はまだ『殺人事件の犯人』だなんて一言も言っていませんよ」

「……」

 ダガンの笑顔が硬直した。

「思えば、あの時からおかしいと気付くべきだったんですね。保健室で話をしていた時に貴方は僕の元に刑事さんが来ていたことを知っていた。確かに学校に居る時に巡査さんが来ていましたが、家に刑事さんが来ていたことを僕は誰にも話していなかったのに」

 ルークは一歩前に出る。

「それにこの間の薬局での会話。あの時、エマが話した噂には殺人事件のことはあったけど時間帯までは分かっていなかった。それなのに貴方は『夜道には気を付けるように』なんて言った。まだお昼時だったのに」

「……嫌ですねえ。それは全部、言葉のあやじゃないですか。私が誰かを手に掛けたという証拠でもあるのですか?」

 ダガンは大袈裟に両手を広げる。

「ではその手袋を警察に提出してみるなんでどうですかねえ」

 キャロルは不敵な笑みを浮かべる。

「『切り裂き魔』が犯行に使用した手袋には、四件目の被害者であるボイドさんの血が付着していることが分かっています。ここから見るにそれは革手袋みたいですけど、調べたら何かしらの反応があるんじゃないですかねえ」

「……」

「どうなんですか、ダガン先生!?」

 ルークは汗を掻いていた。彼にはまだ、目の前の容疑者を信じたい気持ちが残っていた。

 しかし。

「くくく、そうか。手袋か。まさかそこまで気付かれているとはねえ」

 ダガンは否定をしなかった。代わりに笑みを浮かべた。

 普段の彼からは想像も出来ない様な、邪悪な笑みを。

「では認めるんですね、一連の事件を起こしたことを」

「ええ、認めますよ。全員、この私が殺しました」

 あっさりと、自供した。

「どうして、ですか」

 ルークの声は震えていた。

「どうしてそんなことを!?」

「私の過去も調べているのではないのですか?だったら、動機くらい分かるでしょう?」

 ダガンの態度は、とても横柄なものだった。

「八年前、医師団である私達を紛争地に派遣しておきながら見捨てた、そして非難した彼らは罰を受けて当然なのですよ」

 被害者は、全員が医師団の派遣に直接関わった訳では無かった。

 だがその中には、彼らに否定的なコメントを残した者も居た。

 だから、殺した。

 犯行動機としては極めて単純だった。

 だからこそ。

「僕には余計に分かりません。貴方自身が苦しい思いをしたのなら、どうして殺したんですか!?人の苦しみを分かっているはずなのに」

「分かっていませんね、キミは」

 ダガンは舌打ちをした。

「私だけが苦痛を知っているのではいけないのです。彼らは私が受けた苦痛を何も知らないからこそ、あんな言動が出来るのです。私は必死に訴えましたよ、どんなに辛かったのか。しかし彼らは誰一人として分かってくれませんでした。だから、私が受けた苦しみよりも大きな苦痛を与えなければならなったのです。これは仕方のないことだったのですよ」

「何を、言っているんですか……」

 ルークには、理解が出来なかった。

 理解したいとは思えなかった。

「無駄ですよ、ルークさん」

 彼の隣に立っていたキャロルは、ため息を漏らした。

「こういうタイプの人は、自分の考えや行動が全て正しいと思い込んでいるんです。これは正当な権利だとか、正義のためだとか。その根底にあるのがただの押し付けや八つ当たりだと気付かずにね」

「今、何と言いましたか?」

 そう訊くダガンの声には、怒りの色が表れていた。

「私が間違っているとでも言いたいのですか?それなら彼らの方が正しかったと!?」

「では、あなたの訴えとやらについて触れてあげましょうか?」

 キャロルは飽くまでも冷静に、目の前の殺人鬼に向けて言葉を放つ。

「解放されてからあなたがアラン・レイザム氏の元に抗議をしに来るところを目撃した人がいます。あなたはその時、金銭の要求をしませんでしたか?」

「ええ、しましたよ。それが何か?」

 ダガンはすっかり開き直っていた。

「それは当然でしょう。私は時間を奪われ精神も削られていたのですから、謝罪の一つの形として要求して何が悪いのですか?」

「だから殺したんでしょう?要求に応じなかったから」

 キャロルは鋭く切り込む。

「結局のところ、あなたはその辺の犯罪者と大差ないんですよ。自分の欲を満たしたいから、自分の思い通りにならないから、なんて馬鹿げた理由を掲げている。同情の余地なんてありませんね」

 連続殺人鬼ダガンの行動原理ワイダニット。それは端的に言えば、復讐だった。

 それだけであれば、キャロルにも理解できるところがあっただろう。しかし、そこに混ざった不純な動機。

 一般的な倫理観からすれば、謝罪をする上で誠意を形として見せるという意味では慰謝料を相手に渡すのはとても合理的だ。勿論、それは裁判や示談などを経て行われるものであるべきなのだ。

 ダガンはその方法を選ばなかった。

 何かが、彼から欠落していた。

 正式な手順を踏まずに金銭を要求すれば断られるだけだというのは、冷静に考えれば分かるはずだ。彼は頭を冷やすべきだったのだ。

 彼を突き動かしていたのは、内から込み上げる憎悪だった。

 それが彼を変えてしまった。

「もう良いです。キミでは話にならない」

 ダガンは深いため息を吐いた。

「キミなら分かってくれるだろう、オルブライト君?」

 問われたルークは目を閉じて、かつてアビゲイルに言われたことを思い返す。

 そして、彼はゆっくりと目を開けて、目の前の男を見据える。

 哀れな殺人鬼モンスターを。

「……分かりませんよ。自分が苦しい思いをしたから他人にもそれ以上の苦しみを与えてやるなんて猟奇的な思考も、お金がもらえなかったからといって殺人にまで手を染める様な身勝手さも、僕には分からない。分かるはずが無い!」

 良識の欠如。

 それは普通の高校生であるルーク・オルブライトと、殺人鬼ダガン・フォーガスを隔てる大きな溝になっていた。

 その溝は、決して埋まることは無い。

 互いに分かり合えない程に、大きくなっていた。

「やれやれ。どうやら私はまたこの手を穢すことになる様だ」

 ダガンは肩を竦めた。

 理解されない虚しさと、教え子を手に掛ける諦観がその仕草に表れていた。

 殺人鬼は、上着のポケットから一本の折り畳み式ナイフを取り出す。獲物を仕留めるための凶器を。

「キミとは良い関係を築けると思っていたのだけどね」

「彼を襲っておいて、よくもまあそんなことを言えますね」

 キャロルは鼻で笑った。

「先生、大人しく捕まってください」

「それは無理な相談だ。私にはまだやるべきことがあるのですからねえ!」

 刹那。

 連続殺人鬼ダガン・フォーガスがルークに向かって突進した。

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