第2話 フェアリーネット

 その日の夜、蒼真はスマートグラスと一晩中にらめっこしたが、あの時のようにフィーが現れることはなかった。充電してから電源を入れ直しても、何も映らない。ただの重量のある素通しの眼鏡でしかなかった。

 自分ではそれ以上どうしようもなかったが、フィーのことが気になってどうしても処分する気にはなれず、結局蒼真は、祖母に断ってスマートグラスを家に持ち帰った。


 夏休みが終わり、始業式の日に学校へ行くと、さっそく幼なじみの白石しらいしゆうが声をかけてきた。悠は同じクラスで、パソコン部にも所属している。いわゆる「ハッキング」じみたことができ、何かと頼りになる存在だ。

「よう、蒼真。おひさー。夏休み、どうだった?」

「おはよう、悠。おばあちゃんちに行ってきたんだけど、そこで見つけた物があって。ちょっと見てほしいんだけど……」

 蒼真は教室の隅にある悠の席へと向かった。

 周囲のクラスメイトが自分たちに注目していないことを確認し、カバンの中からタオルにくるまれたスマートグラスを取り出す。

「これ、なんだけど」

 悠は興味津々の様子で手に取り、まじまじと観察した。

「スマートグラス? ずいぶん古い型だな。どこのメーカーかもわかんない。試作品か何かかな?」

「やっぱりそう思う? 叔父さんの遺品の中にあったんだ。一度は起動したんだけど、それから電源を入れてもうんともすんとも言わなくてさ。で、その起動したときに、変な女の子が映って――」

 蒼真は祖母の家で起きた出来事をかいつまんで説明した。もちろんフィーの姿がどんな感じだったか、何を言ったかもできる限り正確に伝えた。悠は半信半疑ながらも、真剣に耳を傾けてくれた。

「そんな高度なホログラムが内蔵されてるなんて信じがたいけど……。まあ、試してみるか」

 授業が始まるまでは少し時間があったので、悠は手慣れた様子で学校支給の自分のノートパソコンを立ち上げ、スマートグラスと有線で接続した。

「え、そんな簡単に繋いじゃって大丈夫なの? ウィルスとか……」

 自分から渡しておいてなんだが、出所が不明な以上、安全である保障もない。

 蒼真もそれが心配で、家で自分のパソコンに接続してみることはできなかった。

「大丈夫。その対策は万全だから」

 蒼真と同じパソコンを使っていて、自由に設定を変えられないようにプロテクトもされているはずなのに、どうしてそんな対策ができているのか大いに疑問だ。

 だが、まあ悠ならできるか、という根拠のない謎の信頼がある。

「じゃあまず、データ構造を見てみるぞ」

 さっそくとばかりに悠がキーボードを叩き始めた。

 しかし、すぐに眉を寄せる。

「……駄目だ。全然わからない。暗号化の仕組みが独特すぎて、手持ちのツールじゃまったく歯が立ちそうにないぞ」

「悠でもやっぱり無理かー……」

「いや、まだ諦めるのは早い。放課後、パソコン部の部室にあるパソコンに繋いでみればなんとかなるかも。もうちょい時間かけて調べてみるわ。俺も興味が湧いてきた」

 悠は笑みを浮かべ、スマートグラスを返してくれた。

 もうフィーに会うことはできないのか、と諦めかけていた蒼真は、希望が繋がって、ほっと胸をなで下した。


 放課後。

 悠の所属するパソコン部の部室は校舎の端にある、今は使われていない教室だ。

 今日は部活のある日ではないから、他の部員はおらず二人きりだった。

 ロッカーから自分用のパソコンを取り出すと、悠はそれにスマートグラスを繋いで改めて調査した。

「なるほど……やっぱりかなり手強い暗号化がされてる。けど、手がかりが何もないわけじゃない」

 悠が画面を見ながら興奮気味に言う。

 何度もハッキングツールを回し、膨大なログを解析するうち、どうやら「フェアリーネット」と呼ばれるプロジェクトの関連ファイルが断片的に残されていることがわかった。ファイルには日付や開発者の名前らしき文字列も混ざっており、最終更新日はおよそ四年前だ。叔父が祖母の家にいたという時期とも合う。

「フェアリーネット? 聞いたことないな。悠は知ってる?」

「俺もない。でも何となく、AI絡みのプロジェクトっぽい。しかも政府が関与してた感じがするな」

「叔父さんは、AIの研究者だったらしい」

「ガチで? 絶対それだ! ってかそれを早く言えよ! 蒼真が見たっていう女の子もただのプログラムじゃなくて、AIだったんじゃね?」

 悠は興奮を隠せない様子で、さらに奥へ奥へと解析していった。

 と、その時、突然部室の扉が開いた。

 クラスメイトの佐伯さえき愛莉あいりがひょっこり顔を出す。放送部に所属している彼女が、こんなところに来るのは珍しい。

「ねえねえ、悠くん、蒼真くん。すっごい真剣な顔してるけど、何してるの?」

「ちょっと調べもの。あ、愛莉にはまだ教えられないから」

「なんでよ。面白いことなら私も交ぜて」

 悠がすぱっと愛莉を拒むが、逆に愛莉は笑いながら部室に入って来た。蒼真たち三人はクラスの中でも仲が良く、それだけの軽口が許される関係なのだ。

「朝からなんか二人でこそこそしてるって思ってたんだよね」

 あまり大っぴらにしたくはないが、情報通である愛莉には、黙っていてもいずれ気づかれそうだ。蒼真は少し悩んだ末、愛莉にも事情を話すことにした。

「実は……このスマートグラスの中に女の子が――」

 これまでの経緯を簡潔に話すと、愛莉は目を輝かせた。

「きゃあ、なんかSFみたい! いいじゃん、ワクワクする! それに『フェアリーネット』って名前、なんかファンタジーっぽい!」

 愛莉はもともと好奇心旺盛で、常に新しいネタを求めているタイプだ。さっそくスマートグラスを手にとって観察し始めた。

「AIって、子どもの頃にすっごく流行ったけど、結局廃れちゃったよね」

「ああ、うん。チャット型とか、アシスタント型とか流行ったよね。LL……えーっと……」

 蒼真は情報の授業で習った内容を思い出そうとするが、出てこない。

「LLM――大規模言語モデルな。LLMを使ったコミュニケーションAIはほぼなくなって、今はAIは主に動画生成や画像判定に使われてる。つっても、LLM自体がなくなったわけじゃなくて、動画生成とかでAIが人間の指示を解釈するのには使われてる」

 キーボードを叩きながら、悠が解説した。

「さすが悠」

 蒼真の褒め言葉には反応せず、悠は、うーん、と困惑した声を出した。

「このデータ、完全に暗号化されてて、このままじゃ解凍できない。セキュリティキーがないと無理だな」

「セキュリティキーって何? パスワードみたいなもの?」

 蒼真はコンビニでデータカードを買った時に打ち込むようなコードを想像した。

「いや、記憶デバイス。USBメモリとか、データカードとか。昔ならディスクって可能性もあるけど、そこまで古くないだろ」

「それってどうやったら手に入るの?」

「ユーザーに必要な物なら、開発元が用意してて、同梱して販売されてるはずなんだけど……研究段階の試作品なら出回ってるわけないから、手に入れるのは無理だろうな」

 ここまでかー、と悠が椅子の背もたれに体を預けて目を両手で覆う。

「あっ」

 蒼真は叔父の遺品の中に、もう一つ似たようなデバイスがあったことを思い出した。

「USBメモリがあったかもしれない」

「ガチで!?」

「たぶん。同じ黒一色のやつが――」

「それだ!」

 悠がパチンと指を鳴らした。

「あ、でも待って。捨てられちゃったかも」

「ガチ!?」

 急いで祖母にメッセージを送る。

『屋根裏部屋のゴミって、もう捨てちゃった?』

 あの時選り分けた不用品は、他の物と一緒に業者に引き取りに来てもらうと言っていた。蒼真が家に帰る時にはまだ積んであったから、まだあるかもしれない。

 返事はすぐに帰って来た。

『明日捨てるつもりです。何か忘れ物ですか?』

『叔父さんの箱の中にあったUSBメモリが欲しいんだけど』

『見てみます』

「ねね、ありそう?」

 愛莉が期待を込めた顔で聞いて来た。

「探してくれるって」

「頼む~頼む~」

 悠が手を合わせて拝んでいる。

 ブブッとスマホが鳴った。

『どれでしょう?』

 メッセージと共に、USBメモリの写真が送られてきた。テーブルの上に六個置いてある。

 その中の黒いUSBメモリの部分を拡大して悠と愛莉に見せた。

「多分これだと思うんだけど」

「それだ! 間違いない!」

「うんうん、そっくり!」

『右上の真っ黒のやつ、送ってくれない?』

「あ、待って!」

 メッセージを送った直後に、愛莉が叫ぶ。

「一応、全部送ってもらった方がいいんじゃない? 捨てちゃってから、やっぱりあれも調べたかった〜ってなったら嫌だよね」

「あー、確かに」

「じゃあ、いっそ、箱ごと送ってもらっちゃおうか」

 USBメモリ以外にも、スマホや他のデバイスに何か手がかりがあるかもしれない。

『やっぱり、段ボールの箱ごと全部送ってもらうことって、できる?』

『わかりました』

 よろしくお願いします、と猫がお辞儀をしているスタンプを送って、蒼真はガッツポーズをした。

「送ってくれるって」

「よしっ!」

「やった!」

 三人で喜びを分かち合った後、今はこれ以上調べてもどうにもならないということで、荷物が届いてからまた集まって調べることを約束して、その場は解散となった。

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