16


 居酒屋から出た後の、世界の空気によって頬の熱が冷まされる感覚にはいつだって慣れる気がしない。


 祭りの終わった後、というか、楽しいことが終わってしまったという寂しさ。その熱にくぐもっていれば、それだけの時間を楽しめるというのに、明確に終わりがあるからこそその冷たさには慣れることができない。本当にいつまでも慣れることができない。


「それじゃあ、また」


 顔を赤くして、それでも元ある場所へと帰ろうとする翔ちゃんの影を、私ときょんちーは見送った。見送った、といっても駅前まで行く道程は同じだったので、熱の空気を冷ます風に当てられながら、三人で他愛のないことを話した。それこそ、結婚式とか何一つ関係しないくだらない話を。


「はい、またですね」


 きょんちーは彼の背中を見送りながら、そうして違う場所を見定めて、彼とは反対方向に歩いていく。私ときょんちーの家はそこまで離れているものでもないから、その足についていくことになるんだけれど、今日に限ってはその足取りも重い。


 別に、足枷になるようなことがあったわけではない。ただ、楽しかった雰囲気から現実に目覚めるのが本当に心苦しいだけ。きっとあの場に、さっちんがいたのならばもっと楽しかっただろうし、これ以上のやりきれない感情が生まれていたかもしれない。


「紗良ちゃん?」


 そして、私の名前を呼ぶきょんちーの声。彼女が先導して、それに私がついていく、という流れであるはずなのに、それでも私がちびちびとしか歩けないから、彼女から心配するような声をかけられてしまう。


「……んーん、なんでもない」


 とりあえず、強がってみる。強がってみて、その心の中では寂しさを感じることを隠してみる。大好きな人たちと集まるたびに経験していることなのに、それでも子供のように縋りたい、と考えてしまう自分は本当に大人なのだろうか。大人になりきれているのだろうか。


 そんなことを、一人で考えてしまう。


「それにしても結婚式、ですかー」


 私の思考を上書きするように、きょんちーは前を向きながら、それでも私の歩幅に合わせて言葉を紡ぐ。


「翔也くんも大胆なことを考えるものですよね」


「……本当そうだよねぇ」


 気持ちを隠すために、明るい声音に切り替えようとする。ただ、それにしては会話の間にラグがあって、全然切り替えられていない自分を、馬鹿かな、とか思ったりする。


「昔の翔也くんだったら、本当に考えられないです」


「それは、本当にそうだよね。あんなに目立つこととか嫌ってそうだったのに」


 子供をあやすような口ぶりで、きょんちーは言葉を重ねていく。


 ひたすら悲しいことから目を逸らすように、未来の楽しさに触れてもらうために。そんな彼女の声かけや、言葉が、私は好きだ。


 この前のバーベキューだってそうだ。終わり際に私が寂しそうな顔を浮かべていたのだろう、彼女は未来に期待するような言葉かけを繰り返して、私を悲しみから遠ざけるようにしてくれる。彼女のそんな振る舞いは、どこか教師のようであり、確かな大人のような言葉かけだと思う。


 それに身を委ねている自分は、本当に大人になり切れているのだろうか。大人になりきれたと素振りを繰り返すだけの、子供ではないだろうか。


 私は色々な人と関わって、子供であることを肯定できた過去がある。だからこそ、そんな自分に甘えてしまっているのではないか。そんな自分に甘えたままで、いつまでも大人になりきることはできていないのではないか。こんなことを考えても仕方ないとわかっているのに、それでも考えてしまう自分はどこまでも馬鹿だと思う。


「でも、そんな彼が結婚式をやりたいって言うなら、絶対に成功させたいですね」


 きょんちーは、空を見上げながらつぶやく。


 いつかの屋上の景色。彼がいなくなる前に見上げていた星空が視界に重なっていく。


 彼がいなくなる、と告げていた夜のあの星空は綺麗だったと思う。あの時の彼は子供であるのに、それでも大人なふりをして、最後までその振る舞いを全うして、その上で私たちの目の前からいなくなっていた。


 それを思うと、今の私はどうか。


「うん。絶対に、成功させてあげたい」


 私はきょんちーの言葉に、そう返した。


 それが大人になりきる、とか子供からの卒業と捉えているわけではない。ただ、彼らの結婚式を支えることができれば、ひとつの感情に区切りがつくような気がする。


 彼らの結婚式を利用したいわけじゃない。本当に翔ちゃんとさっちんのこれからを祝福するために、私は成功させたい。その陰で、自分の今についても区切りをつけることができたのなら、どれだけいいことだろうか。


 そんなことを考えながら、成功を約束したいと思っている。


 だからこそ、この機会を逃すわけにもいかない、という気持ちもする。


「ま、宣言したからには絶対やり遂げてみせるよ!」


 私は前にいるきょんちーには見えないことを理解していても、空を仰ぐようにしてそんなことを呟いた。


 彼らの為に。そして、私の為にも。


 この結婚式は、頑張らなければいけないのだ。

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