致死量の蜜 ~私の人生を破滅させる男~

秋月ゆうみ

第1話 再会

 杉崎蓮 すぎさきれん


 私の人生を狂わせた男の名前をつぶやくと憎しみが膨らんで押しつぶされそうになる。どんなに頑張っても彼は振り向いてくれないし、私のもとから離れていく。

 それでも彼の名前を口にするとき、私の声には甘さが滲んでしまう。

 杉崎くんと呼ぶときも、ベッドの上で蓮と呼ぶときも、想いがどうしようもなくこぼれてしまう。


 私が思い浮かべる彼はいつも爽やかな微笑みを浮かべている。

 表情とは対照的に、視線は驚くほど冷たい。

 私のことを人として見ていない冷ややかな視線を受けると、背骨のほうがぞくっとする。苦しいはずなのに、その目で見下ろされ続けていると、快感を覚えるようになった。


 彼に会うと私の心はかき乱されて、悲しんだり喜んだり苦しんだり浮ついたりで目まぐるしい。


 私の恋愛観は彼によって形作られ、彼以外に恋愛をできないようにさせられてしまった。そのことが不幸なのか、幸せなのか、私は判断できなかった。

 これまで恋心は彼にしかいだいたことはないし、これからもそうだろう。

 たとえ彼からどんな仕打ちを受けようとも、私の心は変わることはない。




***




『残業で遅くなるから 先ごはん食べてて』


 佑馬ゆうまからLINEが届いて、私は了解のスタンプを返した。


 佑馬とは大学三年生のときに付き合い、社会人二年目で同棲を始めてもうすぐ二年が経つ。


 一緒に住み始めた頃の佑馬ははしゃいでいた。

 休みの日がくるたびにお店に一緒に行って家具と雑貨を買いそろえた。リストアップしたものを全て購入しても、次の週になると必要なものが出てきて、リストを眺める佑馬はうきうきしていた。


 佑馬は感情が表に出るタイプだった。そういうところが私は好きで、一緒にいると楽しい気持ちがうつった。


 スマホをかばんにしまって歩き出そうとしたとき、ある人の姿が飛び込んできて、動けなくなった。

 心臓を握りしめられたように息ができなくなる。最後に会ってから、八年は経つというのに一目で彼であることが分かった。


 オフィス街の夕暮れ時は、駅に向かう人ばかりで立ち尽くす私を追い越していく。

彼も会社帰りなのだろうか。スーツ姿で向こうから歩いてくる。

 彼は自分のことを見つめる女がいることに気づくと顔をしかめた。

 眉が寄り、美しい顔が歪む。その顔は高校生のときと何一つ変わっていなかった。物憂げな切れ長の目、薄いのに存在感のある唇、シャープなあごのライン。

 不老不死と言われたら信じてしまいそうなほど昔のままだった。


 私はというと、見た目がずいぶんと変わっていた。高校生のときとは違ってばっちり化粧をするようになったし、髪も茶色に染めている。

 気づいてくれないと思っていたのに、彼が思い出したように目を大きく開いてくれたのは、彼を見つめる私の視線があのときと全く変っていなかったからだろうか。


 彼は近づいてきて私の顔を覗きこんだ。

 すぐ近くに彼の顔があると呼吸ができなくなった。


「もしかして、藤原ふじわらさん?」


 八年間耳に残って離れなかった声で名前を呼ばれたら、泣きそうになった。

 男性の声にしてはやや高く、優しい印象を与える声だった。


「うん。そうだよ」

「こんなところで会うなんて偶然だね」

 彼はふっと微笑んだ。その表情を見ていると、この出会いを偶然ではなく運命だと思いたくなった。


「僕のことじっと見てくる人がいるから何だろうと思ったよ。よく気づいたね」

「だって杉崎くん、ぜんぜん変わらないんだもの」

 自然と声が甘くなる。

「藤原さんもぜんぜん変わってないね」

「うそ!? どこが?」

 杉崎くんは私の質問には答えてくれないまま、かばんからスマホを取り出した。

「そうだ。連絡先交換しようよ」


 頭でどうしようかと考えるより早く、体がスマホを取り出していた。

 その動作から見抜かれてしまったのだろう。


涼花りょうかは昔から僕のことがほんと好きだね」


 杉崎くんと目が合った。柔らかく微笑んだ表情。

 それなのに視線はどこまでも冷ややかに私を見下している。昔と変わらない表情を向けられた途端、過去に引き戻された。

 彼のことが好きで好きでたまらなく苦しかった高校生の頃に。

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